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  • ピックアッププレイヤー 2020-vol.03 / 登里 享平選手

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登里 享平選手

ノボリの流儀

テキスト/いしかわ ごう 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Ishikawa Go photo by Ohori Suguru (Official)

 雨は止んでいたものの、肌をさすような2月の寒気が等々力競技場を包んでいた。

 2020年2月16日。
 Jリーグに先駆けて幕を開けたYBCルヴァンカップ。その清水エスパルス戦のピッチに、登里享平は立っていた。
ホームの川崎フロンターレは、キックオフと同時に猛攻を仕掛けている。そのままゲームの主導権を握ると、10分には早くも今シーズンの初ゴールが生まれた。
 アシストをしたのは登里だ。

 左サイドの深い位置で、倒れながらボールをキープした長谷川竜也からのパスを受けると、次の瞬間、意を決したように前を向き、ドリブル突破を仕掛ける。あっという間に縦に抜け出して敵陣をえぐると、残っていた作業はゴール前にいるストライカーの足元に丁寧にボールを届けるだけだった。

「ヤスト(脇坂泰斗)がうまくブロックしてくれていたので、プレッシャーを感じずに抜け出した感じです。あとはマイナス(のクロス)ですね。あそこにダミアンが入るのはわかっていたので、相手が股を開くのを狙ってました」

 パスに反応したレアンドロ ダミアンが大きな身体をくるりと反転しながら、左足のかかとに当ててボールをゴールネットに流し込む。今シーズン最初に訪れた歓喜の瞬間に、等々力競技場がどっと沸いた。

 チームはその勢いのまま前半のうちに追加点。後半にも得点を積み重ね、終わってみれば5得点で大勝した。新シーズンの船出は上々だ。90分フル出場を果たした登里は、確かな手応えを感じつつ、気を引き締めた表情でしっかりと先を見据えた。

「もっともっと魅力あるサッカーができると思うし、攻守においてもっとできると思います。システムを変更して新しいことをチャレンジしている中で、自分の強みを意識しながらアピールしていかないといけない。まだまだシーズンが続くし、これを続けられるようにしたいです」

 今年でプロ12年目を迎えた。

 クラブ在籍歴は、バンディエラである中村憲剛に次いで、2009年に同期入団した安藤駿介と並ぶ二番目の長さである。皆が認めるチームのムードメーカーでもあり、そのサービス精神と企画力を生かし、ファン感謝デーでは「総合演出プロデューサー」の顔も持つなどピッチ外でも重要な役割を任されるようにもなってきた。

 しかし本業は、ピッチの中にある。彼はフットボーラーなのである。

 ただ去年まではどちらかといえば、準レギュラーというのがチームの中での立ち位置だった。そうした現状に対しては、選手として満たされない思いを少なからず抱えていたという。

「長くフロンターレにはいるけれど、ケンゴさん(中村憲剛)やコバくん(小林悠)、リョウタ(大島僚太)、ショウゴ(谷口彰悟)とか代表にも入っている絶対的な存在がいる。そこと比べると、自分も思うところがあったんです」

 もっと試合に出たい。フロンターレでレギュラーポジションを取りたい。選手としては当然とも言える欲求は年々より強くなり、その思いがピークに達したのが昨シーズンだった。

 その年のオフ、クラブからは複数年契約の打診を受けている。しかし好条件を断って、あえて一年契約で勝負したいと申し出た。それはフットボーラーとしての覚悟だった。

「その前の年(2018年)もタイトルを取って、試合に出る喜びとか、試合に出る大事さに気づいたんです。自分は怪我も多いですし、色々と考えた結果、一回自分を追い込んでみようと思いました。だから、単年(契約)でお願いしますと。去年は、そういうシーズンでした」

登里 享平選手

──退路のない決意でシーズンに臨む。

 当然ながら、出場機会が約束されているわけではない。左サイドバックには車屋紳太郎という不動のレギュラーがおり、左サイドハーフでは齋藤学、阿部浩之、長谷川竜也などの実力者もいた。だがそこは競争であり、巡ってきたチャンスをものにしていくことで掴み取っていくしかない。それは、自分への挑戦でもあった。強い思いを内に秘めて、2019年はスタートを切っている。

 初先発の機会が巡ってきたのは第3節の横浜F・マリノス戦だった。

 ポジションは左サイドハーフでの出場だ。ラストプレーでの失点で勝利こそ逃したが、マッチアップした仲川輝人には一歩も引かず、見ごたえのある地上戦を繰り広げている。

 その直後の公式戦であるAFCチャンピオンズリーグ(ACL)のグループステージ第2節・シドニーFC戦では、本職となった左サイドバックとして先発を果たした。

 攻守両面で好パフォーマンスを披露し、ACLとリーグを通じて、チームの初勝利に貢献している。チームからは唯一AFCの週間ベストイレブンにも選出される活躍を見せたほどだ。自分なりに出せる最善のパフォーマンスを発揮し、チームを浮上させる仕事をしたという自負もあった。

「試合に勝ったし、自分の中でもアグレッシブにやれた。身体の状態も良かったんです。チームの調子があまり良くなかったのもあって、(その後のガンバ戦にも)自分がそのまま出ると思っていた… だから、そこに集中していたんです」

 ところが、である。

 試合に向けたトレーニングで左サイドバックの先発組に入ったのは、これまでのレギュラーである車屋紳太郎だった。過密日程による連戦だったとはいえ、与えられたチャンスをものにした以上、自分の立場も変わると登里は信じていた。次もスタメンで出るものだと思って準備していただけに、その反動からくるショックはあまりに大きかった。

「初めてですね、気持ちが切れました」

 少し視線を落として、あの日をそう回想する。

 自分の中で何かが崩れて、気持ちの整理がつかなくなった。その日の練習が終わると、すぐにクラブハウスに引き上げていき、あっという間に車に乗り込んで帰っている。爆発しそうな感情を押さえ込むので精一杯だったからだ。

「今までは、そういうのを見せないようにしていました。一昨年も、連続で試合に出ていても戦術的な理由で外されたこともありました。それでも、チームのために準備をしてきたし、そこは悔しさを押し殺しながら、ずっとやってました。でも去年は、それまでとは違うスタンスでやっていたので… だから、ダメージが大きかった。気持ち的に難しいと思ったので、すぐに帰ったんです」

 普段の登里と言えば、周りに気遣いが出来て、チームの雰囲気を盛り上げる側である。腐りかけたチームメートのフォローに回ったことも一度や二度ではない。そんな彼が、あれほどまでに荒ぶったのだから、周囲も困惑したに違いない。心配するスタッフの問いかけに無言を貫くこともあった。

「アキくん(家長昭博)には、『28歳で反抗期が来たな』と言われましたね(笑)。プロ11年目にして反抗期でした」

 そう言ってあの時の自分を茶化したが、幸いなのは、こうして笑い話として話せることだろう。90分をベンチで過ごしたガンバ大阪戦の翌日、その練習試合後には指揮官と話し合う機会を設けた。

 チーム在籍歴の長い登里にとって、鬼木達監督はコーチ時代から試合に出ていない時に支えてもらうことも多かった存在である。数年前、出番だと思ってチャンスが来なくて心が折れかけていた時期にもらったアドバイスは、彼の中で今でも大事にしている宝物だ。監督としてだけではなく、人間性も含めて尊敬できる指揮官だからこそ、自分が抱えて続けていた意見を伝えた。

「試合に出たいという思いがあることを伝えました。これまでで初めてですね、監督に対してそういう話を言うのは。個人的な話だけではなく、『これはどうなんですか?』と、チームに対して感じている意見も聞きました。結局、三時間ぐらいは話したと思います」

 話し合いは、建設的なものだった。自分の中でのモヤモヤ感が晴れるまでとことん話し込んだ。話が終わった頃にはすっかり夜になっていたが、もう一度、気持ちを作り直してサッカーに向き合おうと決め、次の日から登里享平は再び走り始めている。

 スタメンのチャンスが巡ってきたのは、3月31日の松本山雅戦だ。自分を必要としてもらえる以上、その期待には応えないといけない。ここが自分の転機だと感じ、かつてないほどの緊張感を持ってこの試合に臨んだという。

「最大集中でしたね。あれだけ荒ぶっていて、試合に使ってもらうからにはやらないといけない。絶対に勝たないと、と思ってプレーしました」

 その松本山雅戦では、前半44分に知念慶がダイビングヘッドで先制弾を決めている。左サイドを駆け上がった登里は、ボールを持った阿部浩之の大外から回り込み、柔らかい軌道を描いたクロスでその得点をアシストした。チームも2-0で勝利し、リーグ戦初勝利を飾った。

 この勝利からチームは夏場まで負けなしで勝ち点を積み重ねていく。チャンスをものにした登里も、レギュラーの一角としてピッチに立ち続けている。チーム事情で右サイドバックに配置されることあったが、そのオーダーも的確にこなした。試合が終われば反省は尽きないが、それすらも喜びとして噛み締めることが出来ていた。試合後には不思議な感覚を味わうようにもなったという。

「夏場にずっと出ていた時期には、頭も疲れました。身体は良いけど、頭が思考停止になるんです。家でボーっとする時間が多くなっちゃって(笑)。ケンゴさんにそれを言ったら『頭を使いながらサッカーやっている証拠だよ』って言われて、自分も結構、考えてるんやなと思いましたね」

 考えてサッカーをするということ。その醍醐味に、登里は気づき始めていた。

 長くプレーを見ているサポーターならばご存知だと思うが、登里はここ数年でポジションとプレースタイルが大きく変わったプレイヤーである。

 2009年に入団した当時は、武器である俊足を生かしたウィンガーだった。左サイドでボールを持ったら、愚直なまでに縦にドリブルを仕掛けて速さで勝負する。まさに「突貫小僧」とも言うべき、高速ドリブラーだった。

 そうしたプレーの片鱗を、現在も見せることはある。ただ身体能力を生かした直線的なスピードに頼った局面は減り、目立つのは、立ち位置を工夫しながら相手と駆け引きするクレバーなプレーぶりだろう。

 例えば昨年の左サイドでは様々なタイプの選手と縦関係を組む機会が多かった。それぞれの特徴がどうすれば生きるのかを逆算し、自分のポジショニングとサポートを工夫しながら、サイド攻撃を活性化させ続けた。

「竜也や学が自分の間合いで仕掛けられるように、こうしてあげたほうがドリブルがしやすいだろうなとか、そのために数的優位を作ってあげようとか、すごく考えてやってますよ。相手のサイドバックを動かして目線を変えてから使ってあげたりとか・・・・相手を見ながらやるし、ここのポジションを取ったら、どの選手が来るかと駆け引きしている時が面白いですね」

 サイドバックとしてのボールの引き出し方も実に巧みだ。持ち場である左サイドをスッと離れ、気づいたら、中央エリアに顔を出してパスを受けるプレーもお手の物である。そうやって攻撃の組み立てにも積極的に関わる役割は、タッチラインで勝負することだけを考えていた「かつての自分」からは想像もできないと笑う。

「以前は中に入る動きが嫌でしたし、そういうプレーを避けていましたから。中を使えと言われても、いつのタイミングなのかとか、なぜ入るのかとか全然わからなくて、とりあえず入ってみたけど、相手に潰される… だから、フラフラするだけでした(笑)」

 サイドバックが中央でゲームメークに関わる動きは、現代では「偽サイドバック」と称されることもあるが、誰かのスタイルをお手本にしたというわけではない。自分で気づいて、自分なりに考えながらやり始めたのが原点だ。

「相手のウイングが、基本的なポジションを取りますよね。そこで自分のマークに来たら、相手の目線も変わるので、味方のトップ下やウィングに、そこの場所に落ちてボールを受けて来てほしいなと思う時があるんです。

 でもウィングがサイドに張って、相手のサイドバックを止めてくれているのならば、自分が入っていけばいいんちゃうかなと思ったんですね。もしボールを取られても味方が近いので、うまく高い位置で取り返せる。サイドバックとセンターバックの距離が空くよりも中を使った方がカウンターの起点が潰せるし、リスクも問題ないなって・・・」

 もし相手に対策されても、それを上回る術を自分で考えながらまた打開策を見出そうとする。そうやって頭を働かせながら、サッカーをし続ける。気づけば、サッカーを語り出す話も止まらなくなっているのである。

 そこで、こんな質問をしてみた。

 もし29歳の登里享平が、18歳の登里享平とマッチアップしたら、どうやって押さえ込むのだろうか。

「あー、それは簡単ですね」と即答だ。

「まず左のコースを切りますね。スピードだけなんで、簡単です。中に入ってもプランがないし、ワンタッチで前向いて仕掛けるとかもできない。相手を見ていないから、潰しに行けばいい。調子が悪かったら仕掛けてこないし、メンタルも弱い・・・・」

 そして「たぶん一番楽なタイプですね」と声をあげて笑った。

 かつては愚直なほどにタッチライン際を走り続けていた。だがそんな時代があったからこそ、今の登里享平があると表現できるのかもしれない。

 振り返ってみると、サイドバックにコンバートされたのは、プロ4年目となる2012年頃である。当時は相馬直樹監督だったが、シーズン途中にやってきた風間八宏監督のもとで本格的にこのポジションにトライしている。最初は守備を覚えるのに精一杯だった。

 

 パートナーとなっていた左サイドハーフのレナトは、守備がさほど得意ではなく、乱暴な言い方をすれば、守りを放棄して攻め残ることが多かったドリブラーだ。そのため、左サイドでは1対2の数的不利で守らなくてはならない試合も日常茶飯事だった。一体どうやって守るべきか、自分なりに頭を使って考えるようになった。

「レナトは守備をしているようで、していないので(笑)。自分の中でのスピードや高さを考えつつ、ポルトガル語で右、左、戻れ、行け、だけ覚えて、立たせるところだけはしっかりやってもらいました。そうやって周りを動かしながら、うまく自分の間合いでボールが取れるようになっていきましたね。そこぐらいからです、ディフェンスの面白さを知ったのは」

 実戦ありきで、サイドバックとしてのプレーを体得していった。

 ちなみに当時の風間監督は「サイドバックはチームの目になれ」という独特の言い回しを残している。当時はあまりピンとこなかったが、「その言葉は、今の方がわかりますね」と登里は言う。

「サイドバックは、全体が見れるんです。あの時は自分のポジショニングで相手を引き出してというのはやっていないし、ポジショニングでサッカーをやるのはここ数年ですけど、今の方が全体を見えるようになったと思います。だから、もっとゲームを作れるようなサイドバックになりたいですね」

 そして考えてサッカーをするようになってから、登里の中で嬉しい変化が起きているという。

 それは中村憲剛と「サッカーの話」でコミュニケーションが図れるようになったことだ。これが何より刺激的なのだと明かす。

「昔から、ケンゴさんが言っていることを理解できたらいいなと思っていたんです。でも、サッカーの感覚がわかっていないから、ケンゴさんにアドバイスをもらっても、『いや、わからんなー』と思いながらも、『はい、はい。やってみます』と言っていた(笑)。でも、それがやっとわかってきました」

 最近では、中村がロッカールームで味方にアドバイスしているのに気づいたら、すぐに寄って聞き耳を立てているほどだ。Jリーグ屈指とも言われている中村の戦術観を貪欲に吸収しようとしている。

「ケンゴさんがシンタロウとかアオに話しているのも横で聞いてますね。寄っていったら、『また聞いてる』って言われてます(笑)。ケンゴさんの話はわかりやすいし、言語化する能力がすごい。ケンゴさんの頭の中はどうなっているのかなと思いますね」

 当の中村にも聞いてみた。もちろん、登里のこうした変化には気づいている。

「そうだね、サッカーの話ができるようになった。前は聞く一辺倒だったし、『多分、わかっていなんだろうな』と思って話していたから(笑)。ここ2、3年じゃないかな、グッと響いてきたのは。きっと、ノボリの中で整理ができていて、見えるものが見えてきて、それで自分の話す言葉が引っかかってきたんだと思う。ああいうピッチで気の利くタイプは、そう多くないから助かるよ。もともとピッチ外では気が利く選手だしね、プロデューサーとして(笑)」

 まだまだ伸び代を感じると、中村は太鼓判を押した。

「選手としてもここから一伸び、二伸びして欲しい。できると思うし、楽しみでしかないよ」

 ピッチ外の話題にも触れよう。

 登里享平といえば、最近では「ノボリP」の愛称も定着している。クラブの催しがあれば、演出プロデューサーとして全体を俯瞰し、選手のキャラクターに合った役割や企画構成を考えて的確に配置する。その手腕にはサポーターからの支持も熱く、クラブスタッフからも頼られることも多い。

「ファン感もそうですけど、イベントとかでスタッフが『ノボリさんが言っているんで』とか『プロデューサーが言ってるんで』って自分の名前を使って、若手に言ってる時もあるらしいんです。いや、俺、その案件にはそこまで深く関わってないけどって思うんやけど(笑)、それで若手がやってくれるのならば嬉しいですね」

 ピッチ外でも、ファンを楽しませることに貪欲に取り組むのは、川崎フロンターレというクラブが育んできた土壌でもある。毎年、テレビ番組の恒例企画では中村憲剛のゴールパフォーマンスも考えているが、今年は原点回帰でダンディ坂野の持ちネタである「ゲッツ!」を提案した。スタジアムの一体感に包まれるセレブレーションとなっており、復帰した中村憲剛とスタジアムで一緒に披露することを楽しみにしているサポーターは多いはずだ。

「選手としてではなくて、プロデュース業もやりつつですけど、いろんな人を巻き込んでいける。自分の中でもそこは伸ばしてもらっていますね。サポーターがどう喜んでもらえるのか。それを考えさせられるクラブなので、このクラブでプレーすることの誇りはありますね」

 根底にあるのは、観ている人にも一緒に喜んでもらいたいという思いである。そしてピッチ外でもファンやサポーターを喜ばせていこうとする姿勢は、先人たちが長い時間をかけて少しずつ耕し続けてきたものでもある。登里も先輩たちの背中を見て育ち、そうした思いを受け継いでいる自覚は強い。

「今までいた人が積み上げてきたものなので、自然と継承できているものなのかなと思います。自分はヒロキさん(伊藤宏樹)、ケンゴさん、イガちゃん(井川祐輔)とかしか上の人を知らないですけど、そういうのがクラブで循環できているのは良いことですね。若い選手もそういう自分の背中を見ているのかな?・・・いや、あんまり見て欲しくないですけど(笑)」

 そんな登里のプロデューサーぶりには、中村憲剛も一目置いている。

「自分は誰よりも登里享平を評価しているよ」

 バンディエラはこんな褒め言葉を切り出し、彼と同期である安藤駿介の名前も挙げながら、こんな風に語り出している。

「自分とは違う独自路線でフロンターレの中で生きているからね。ノボリと安藤の価値は、このチームでは高いと思うよ。安藤はこのチームのクサビ。彼が抜けると、栓から水が抜けてしまうぐらい存在は大きい。いじられつつ、選手会長しつつ、GKとしてやり続けて、それで信頼を得る選手だから。ノボリと安藤の二人がいることで、チームに安堵感がある。ユウ、リョウタ、ショウゴとは系統は違うけど、チームを支えているから頼りにしている」

 激動だった2019年はリーグ戦27試合に出場した。そのうちスタメン出場は24試合だ。

 リーグ連覇を遂げた一昨年もリーグ戦25試合に出場しているが、先発したのは15試合である。初優勝を遂げた2017年も、23試合出場のうち先発は16試合だった。出場数自体は微増だが、スタメンで出場した試合数は明確に増加した。

 試合に出続ける。そして結果を出す。やはりそこに、ノボリの流儀がある。

「試合に出ること。そこが重要なので。もし試合に出ていなかったら、プロデューサーとかそういうことはあんまりやらないし、自分も乗らないと思います。試合に出ていて、結果も付いてきているからできるんです」

去年の秋には、ルヴァンカップ初制覇も経験している。

 その試合には右サイドバックのスタメンとして決勝のピッチに立った。膝のコンディションが万全ではなく、出場も危ぶまれた状態だったそうだが、終わってみれば、延長戦までの120分間、サイドを走り切っている。6人目までもつれたPK戦の末、最後は新井章太がキャッチして訪れた爆発的な歓喜をピッチ上で味わっている。

「自分は2017年も18年も、リーグ優勝の瞬間にピッチに立っていなかったんです。17年の大宮戦はベンチだったし、18年のセレッソ戦は前半途中で交代していた。優勝の瞬間にピッチにいたかったんです。すごく楽しめた120分ですね」

 ルヴァンカップを掲げるために登った表彰台。ちゃっかり受け取った優勝賞金1億5000万円のボードを高々と掲げながら見た眺めは、やはり格別だった。

「リーグ戦の優勝は芝生で喜ぶけど、カップ戦のタイトルって、(表彰式で)上に上がるじゃないですか。そこで紙吹雪が舞う。あれが特権というか・・・この景色が観たかったし、こんな良い景色なんかって。これは何回でも味わいたいなと思いましたね」

 迎えた2020年。

チームの目標は、リーグタイトルの奪還とカップ戦を含めた複数タイトル獲得だ。特にリーグタイトルを逃した去年の悔しさは、登里の体の芯にまだ残っている。

「3連覇を狙って、リーグのタイトルを獲得できなかった。自分の力不足も感じましたし、プレイヤーとしての立ち位置にはまだ満足していないです。やっぱり、もっと試合に出て活躍して認められたい。もっとプレイヤーとして突っ走っていきたい。去年はそこの覚悟を持ってやっていましたが、それを忘れずに今年もやっていきたいです」

 プロ12年目のシーズンは、すでに走り出している。

profile
[のぼりざと・きょうへい]

クラブ在籍12年目。攻撃のアクセントとなるドリブル突破と対人戦の強さが武器のレフティー。サイドのあらゆるポジションをこなすユーティリティプレーヤーであり、勝負の流れを読んだクレバーなプレーで攻守に渡りチームに貢献する。昨シーズンは大きなケガもなく、多くの試合に出場した。ピッチ内外で頼りになるムードメーカーとして、チームに欠かせない存在だ。

1990年11月13日
大阪府東大阪市生まれ
ニックネーム:ノボリ

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