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マテウス選手

ジオゴの流儀

テキスト/林 遼平 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Hayashi Ryohei photo by Ohori Suguru (Official)

「日本人以上に真面目かもしれない」
ポルトガル語通訳を務めるガンジーさんこと白沢敬典通訳は、彼のことをそう評した。
陽気で、時に奔放すぎるきらいもあるブラジル人選手が多い中、とにかく真面目で、何事もきっちりとやる性格の持ち主。
ジオゴ・マテウス、27歳。今回は彼の言葉に耳を傾け、彼が歩んできた道のりを振り返っていく。

  ジオゴは、サンパウロ州にあるイタケラという街で生まれた。シンプルな街並みで、騒がしさもなく、落ち着いた街。そんな静かな環境の中で、すくすくと育って行った。

 サッカーをやろうと思って始めたというよりは、気がついた時にはボールを蹴っていた。外に遊びに出ては友達とストリートサッカーで汗を流す。それが日常で、6歳の時、両親からサッカーボールをプレゼントされると、一気にサッカーへの情熱は加速した。

「今までいろいろなプレゼントをもらってきましたけど、一番初めにサッカーボールをもらった時が一番嬉しかった。サッカーボールを買ってもらってからは、ずっと道路にでて裸足でサッカーをやっていた記憶があります。学校に行って、終わって帰ってくれば、また道端でサッカーをする。その繰り返しでしたね」

 サッカーにどっぷりハマるジオゴ少年を次のステージに引き上げたのは母親だ。いくつかの場所を探した末に、近所のサッカースクールを息子に紹介。サッカーを本格的にやり始めて1年経ったあたりで、ジオゴ少年はスクールに通い始めることになった。

 スクールに入ってからは、一気に周りの風景が変わった。いろいろな大会に出たり、周りの選手たちとポジションを争ったり。この中で「1番のサッカー選手になりたい」と思うようになり、“プロ”を明確に考え始めた。

 そんなジオゴの小さい頃の憧れは「ロナウジーニョ・ガウショ」。かつてバルセロナなどで活躍したドリブラーの映像を見ては、家でドリブルの練習に励んでいたと言う。

「例えば、家の中でパッと目についたモノで、椅子やテーブルを並べてドリブルの練習をしていました。ボールを保持しながらドリブルしていくのが好きで、特に攻撃することは好きでしたね。ポジションがサイドバックになったことで、そこからまたマークの重要性、マークの仕方をより考えるようになりましたけど、攻撃をすることが好きでした」

 ジオゴに大きな転機が訪れたのは15歳の時だ。スクールに加え、ポルトゲーザの練習に参加するようになると、少し大きめの大会にも出場するようになっていた。

 そして迎えた15歳の終わり。ある大会でインテルナシオナルと対戦する機会があった。その試合で活躍し、大会自体を通しても結果を残すことができたジオゴは、試合後インテルナシオナルのスタッフに声をかけられ、その1ヶ月後にはブラジルの名門チームの扉を叩くことになった。

 ただ、やはり名門チームのレベルは高かった。基礎技術や身体能力の高さは当たり前で、それ以上にプレー面で周りからの要求のレベルの高さに驚きを隠せなかった。

 それでも、簡単にプロへの道を諦めるほど意識が低かったわけではない。落ち込むことも、挫けそうな時もあったが、両親や神様に支えられて一歩ずつ前に進んでいけたからこそ今がある。

「たくさんの人たちがプロになりたいとプレーしている中で、自分は他の選手たちよりたくさん練習してきたし、諦めずにその道のことを考えながらやってきた自負があります。あとは、やはり神が導いてくれると信じながらやっていました。自分が望むところにたどり着けるようにお祈りをしてきましたし、そういった意味では神が自分にいろいろなチャンスを与えてくれて、この夢にたどり着く道標を示してくれたのかなと思っています。

 そして、もう一つは自分の両親がすごく支えてくれました。小さい頃は、試合の度に両親がいろいろなところに連れて行ってくれましたし、できるだけサッカーに集中するように他のことは両親がしてくれていました。少し挫折して夢を諦めかけるような思いになった時には、両親といろいろな話をすることで立ち直ることができたし、夢に向かって走ることができたと思っています。周りにはすごく能力があってもプロサッカー選手になれなかった友達がいます。苦しい時や諦めかけた時に、声をかけてくれる存在がいない友達も見てきたので、その点では本当に家族にサポートしてもらったと思っています」

 加えて、昔からサッカーに対してはひたむきに取り組んでいた。練習量や回数を人より多く増やし、夜は遊びにいかず、食事にも気を遣った。ブラジル人は陽気なイメージも強いが、その中でもジオゴは真摯にサッカーに向き合ってきたのだ。

ジオゴ マテウス選手

 そして2012年、19歳の時にジオゴは欧州への切符を手にする。期限付き移籍という形ではあるが、ポルトガルの強豪・ポルトに移籍することが決まった。

「本当に夢を叶え始めているなと感じていました。普段テレビで見ている選手たちとプレーする。それまで自分が夢見ていたもの、夢として持っていたことが現実に自分に起きているんだなと思いましたね」

 夢見ていた欧州挑戦。19歳の若さで単身ポルトガルに飛んだジオゴは、当時を「パーフェクトな日々」だったと振り返る。

「本当に素晴らしい状況でした。『パーフェクト』。その言葉のみです。生活する環境もそうでしたし、最初はトップチームのキャンプにも参加することができました。常に上を目指しながら練習を繰り返していましたね。あの時はポルトがUEFAチャンピオンズリーグ(CL)に参戦していましたけど、自分はトップチームの練習に参加していたので、練習の用具を見ればCLのボールがあるわけです。それをトップチームの選手たちと蹴りあったりしました。当時は(元・川崎フロンターレ)フッキもいましたし、ポルトガル代表のジョアン・モウチーニョや、いまコロンビア代表のエースとなったハメス・ロドリゲスもいました。他にもたくさんいい選手がいましたけど、彼らと共にプレーし、スタジアムに行って試合観戦したりと、当時は19歳でしたけど本当に素晴らしい時期でした」

 1年という短い期間ではあったが、Bチームとトップチームを行ったり来たりしながらプレー。トップでの出場はなかったが、各国の代表選手たちと一緒にプレーした経験は、その後のサッカー人生に大きく影響している。

「ポルトにいた時、サッカー選手として一番学んだなというのは守備ですね。守備のマークに関してはすごく学んだと思います。ブラジルのサイドバックというのは、基本的には攻撃を重視するところが多いですし、そこをすごく要求されていました。ただ、ポルトにいって、もちろん攻撃も要求されましたけど、それ以上に守備の要求が多かった。あとはコンタクト、フィジカルの部分。ボディコンタクトが多かったなと感じていて、そういったところを含めて守備のマークに関しては自分にとって成長につながったと思います」

 帰国後、再び海外への挑戦を夢見てプレーを続けた。そして、複数のクラブを渡り歩きながら新たなステップを目指していたジオゴが、2度目の海外挑戦の地として選んだのが日本の川崎フロンターレだった。

 もともと、ブラジルにいる時は日本代表やJリーグの試合を見ることは少なかったが、ボールを保持しながら積極的に攻撃していくフロンターレの志向するサッカーを「日本の中でも他のチームとは少し違うスタイルを持っている印象があって、ヨーロッパのサッカーを思い出すくらいのスタイルだと思う」と称すように、正式なオファーを受けてからはしっかり情報を収集。現在クラブに所属しているレアンドロ・ダミアンに相談しながら、チームがどんな状況にいて、どんなサッカーをしているかをチェックした後に移籍を決断した。

「オファーがあったときに、そんなに悩むことなく、すぐに決断できたかなと思います。フロンターレは日本の中でもビッグクラブの一つだと思っていますし、チームとして本当に毎年成長しているクラブだと聞きました。また、フロンターレのチームスタイルというのを見て、自分が持っているサッカー感の中でも一番好きなスタイルを表現しているチームだなと。自分はボールを保持して試合を進めていくスタイルが好きで、そのチームと一緒に目標を達成したいという思いで移籍することを決めました」

 日本に来てすぐは環境の変化に戸惑った部分も多かったと言う。しかし、インテルナシオナル時代のチームメイトであるレアンドロ・ダミアンやジェジエウといった他のブラジル人選手たちの存在が早期の順応を可能にさせた。

「日本はブラジル人選手をすごく好んでくれているなと思います。自分が来日して以降、サッカーだけではなく生活の中でもいろいろなサポートをしてくれています。また、自分の奥さんも今年の頭くらいに来日したんですけど、ダミアンやジェジエウの奥さんたちとすごく仲良くさせてもらって、彼女自身もすごく助かっているんじゃないかなと思います。周りにサポートしてくれる人がいるからこそ、プレーに集中できていると思いますね」

 主にブラジル人の家族のサポートや身の回りの世話を務める白沢通訳は、ジオゴが日本人のような性格の持ち主であることを明かしている。

「日本人にしたら当たり前なところですけど、何事もきっちりやるし、周りを気遣う性格の持ち主ですね。ある日、コーヒーを外に買いに行って、帰ってきたときにセキュリティーのかかったドアが外から開けられない時がありました。でも、近くで僕らが話をしているのが見えているはずなのに、ずっと外で待っているんですよね。誰かが気がつけばドアを開けてもらえるのに。この間、ジェジエウにも同様なことがあって、彼はすぐにコンコンとドアを叩いて呼んできました。でも、彼は会話の邪魔をするのが申し訳ないと思ったのか、あえて何もしないで外で待っている。そういう風に気を遣うあたりが日本人っぽいなと思います」

 とはいえ、真面目ばかりではない。もちろん陽気なブラジル人の顔が出る時もあると、白沢通訳は証言する。

「こっちがいじってやるとさっと入ってくるんですよ。自分からガンガンくる明るいブラジル人の感じではないですけど、いじり出したらすぐに寄ってくる。結構喋るのが好きですし、意外と話好きなんです」

 そんなジオゴだが、序盤戦はなかなか出場機会を得ることができなかった。

もちろん、新型コロナウイルスの影響で周りとの連携を深める時間が少なかったことも理由の一つだろう。ただ、ジオゴは言い訳一つせず、チームのため、そして自分のために日々のトレーニングから全力を注いでいる。明治安田生命J1リーグ第9節・大分トリニータ戦で初出場を果たす前、ジオゴが話していた言葉は印象的だった。

「試合に出ていないからといって、今から何かを変えなければいけないと言うのはないと思っています。とにかく要求されたことを自分がグラウンドの中で練習して表現していく。また、日々の練習の中で監督が何を話しているのか、要求しているのかを聞きながら、本当にその1日1日、自分のやれることを積み上げていくことが大切なのかなと思います。そういった取り組み方は、今まで自分がやり続けてきた形でもある。少しずつ積み上げていくことで、試合に出る時にしっかり結果として出るのかなと思います。本当におかげさまでこんなに素晴らしい環境を持っている素晴らしいクラブに在籍していますし、クラブが自分たちが必要なもの、必要な環境を与えてくれている。通訳の二人やチームメイトも本当にみんなが毎日、いろいろなことでサポートしてくれているので、いま置かれている状況、環境を自分がうまく活用できればいいなと思います」

迎えたJ1第9節大分戦。初のピッチでも物怖じせず堂々とプレーするジオゴの姿があった。小さい頃から真摯にサッカーへ取り組んできたように、フロンターレでもひたむきにトレーニングを続けてきたことがピッチに結果となって現れたのである。

日々、練習場でジオゴの真摯に取り組む姿勢を見てきた鬼木達監督は、起用した経緯についてこう話している。

「ジオゴはチーム全体が認めるくらい一生懸命トレーニングを続けてきました。ただ、このチームは一生懸命やっていれば試合に出られるかというとそうではない。試合のピッチに立つためにふさわしいプレーをしてくれていたことが、一つスタートに入ってきた要因だと思います。相手を見ながらサッカーができる印象もありますし、ゲームの中でも尻上がりによくなってきたと思ったので、今後も楽しみにしたいです」

まずは1試合、されど1試合。日本でのデビューを振り返り、ジオゴは率直な思いを伝えている。

「来日してからここまで出場はなかったけど、常にリスペクトの気持ちを持っていました。それに個人的なところよりもチームの結果を大事にしています。出られない時期はチームを応援していたし、いつかチャンスは来ると思っていました。だからこそ、今回チャンスをもらえたので自分なりにできることを表現したつもりです。初出場できたことに関してはすごく幸せですし、試合が終わってからもいいプレーができた感覚があります。これからもピッチの中で力になりたい気持ちは強いですが、チームスポーツなので、一人ひとりがいろんな形でチームの支えになれればと思います」

「オレだ、オレだ」と前に出るのではなく、自分はチームの一員であって、何よりチームの勝利を願う。それがジオゴの流儀であり、多くの人が彼を日本人らしいと感じるところなのだろう。

過密日程が続くハードなシーズン。ジオゴはさらなる活躍をサポーターに誓っている。

「ピッチに立てば自分の強い気持ちや勝利への強い思いを見せたいですし、勇気を持って自分が戦っているところを見てもらいたい。あとは、その中で自分のスタイルを出しながら、チームの力になれればなと思います。もちろん、サポーターの皆さんもサッカー選手一人ひとりが違う特徴を持っていると知ってくれていると思うし、自分がプレーした時に他の選手と違うプレースタイルを持っているなと思ってもらえれば、それがチームの力になっている証拠だと思います。これから先、より勝利に直結するような結果を残していけば、フロンターレのサポーターのみんなも自分の名前をしっかり覚えてくれるはず。また結果さえ出せれば、自分もチームの力になれたと心の中に刻めるのかなと思います」

まだまだフロンターレでの挑戦は始まったばかり。

2度目の海外挑戦。自身の性格にピッタリな日本の地で、ジオゴはチームの優勝のために研鑽を続けていく。

profile
[じおご・まてうす]

コリチーバFC(ブラジル)より期限付き移籍で加入。足下の技術にすぐれた攻撃的サイドバック。プレースキックの精度も高い。左右両足を駆使しながらサイドでゲームメイクにも加わり、パス&ゴーの動きで相手の嫌なところに入り込みフィニッシュワークに絡む。強い決意を胸に、遠い異国の地でブレイクすることができるか。

1993年2月13日、ブラジル、サンパウロ州生まれ
ニックネーム:ジー

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