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  • ピックアッププレイヤー 2020-vol.09 / 車屋 紳太郎選手

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何色でもない

DF7/車屋 紳太郎選手

もっと、できる。もっと、やれる。

テキスト/原田大輔 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Harada Daisuke photo by Ohori Suguru (Official)

思わず「美しい」と形容詞をつけたくなるヘディングシュートだった。
8月15日に行われたJ1第10節の札幌戦。川崎フロンターレは35分に右サイドでFKを得ると、キッカーの脇坂泰斗がゴール前にクロス入れる。
それをファーサイドで捉えたのが車屋紳太郎だった。
車屋は後ろから走り込み、相手のマークを外すと、高く跳躍し、ニアへと折り返すようにシュートを決めた。まさにお手本となるような完璧なヘディングシュートだった。リーグ戦では実に4年ぶりとなるゴールに、車屋は「このままずっと(点が)取れないんじゃないと思ってました」と、顔をほころばせる。
それ以上に印象的だったのは、あまり感情を露わにすることのない彼が、両拳を突き出し、思いっ切りガッツポーズした姿だった。

 車屋紳太郎にとって、札幌戦は左SBとして久しぶりに先発した試合だった。第4節の柏戦では、ジェジエウが開始早々に負傷したこともあり、すぐにCBへとポジションを変えていたからだ。それだけに札幌戦は、久しぶりに左SBとして長い時間プレーした試合になった。結果的に大量6得点を挙げて勝利する試合の口火を切っただけでなく、期するものがあったのだろう。車屋がうなずく。

「今季はノボリくん(登里享平)がずっと左SBのスタメンとして試合に出ていましたし、自分としては久しぶりに左SBとして先発できたので、やっぱり気合いも入っていましたね。同時に楽しみだったところもあって、左SBでプレーできた喜びもありました。チームが連勝している中で、久しぶりに先発する選手というのは、やっぱり緊張するところもありますけど、アキさん(家長昭博)やリョウタ(大島僚太)がいない中でも、しっかり仕事をして勝てたことは、チームにとってもすごくよかったなと思います」

 振り返れば、フロンターレに加入してから、ずっと試合に出続けてきた。左サイドは常に車屋の主戦場であり、居場所でもあった。そんな彼は今、プロ6年目にして初めての経験をしていれば、壁にぶち当たっているのかもしれない──。

 2017年には左SBの主力としてリーグ戦全試合に出場すると、J1初制覇に貢献した。翌2018年も、左SBを担いリーグ戦31試合に出場してJ1連覇に尽力した。それは彼の中に確かな手応えとして残っている。

「長年、タイトルが獲れなくて、2016年もチャンピオンシップ準決勝で負けてしまったり、天皇杯決勝でも悔しい思いをしたりして、自分たちの中にも、やっぱり勝てないのではないかという考えみたいなものがあっただけに、2017年の優勝は自分の中でも大きな自信になりました。優勝を経験したことで、毎試合勝たなければならないという責任感も生まれましたし、劣勢に立たされていても最後は絶対に自分たちが勝つという自信にもつながった。それがあったから2018年の連覇にもつながったし、昨年のカップ戦優勝にもつながったと思っています」

 PK戦の末に決着した昨年のルヴァンカップ決勝では、4人目のキッカーとして登場すると、シュートを外す苦い経験も味わった。だが、それも確かな糧となっている。

「ルヴァンカップに関して言えば、準々決勝の名古屋戦、準決勝の鹿島戦と個人的にも調子がいい状態でプレーしていたんです。それもあって決勝でも120分間プレーして、結果的にはPKを外してしまい、チームに迷惑を掛けてしまったという思いはあります。だけど、自分としては、あそこで蹴らずに終わるのと、蹴るのとでは全然違うと思っていて。結果的に外してしまいましたけど、すごく大きな財産になったというか」

 そういって車屋は記憶を呼び起こす。

「最初はオニさん(鬼木達監督)が他の選手を指名していたんですけど、延長戦を戦って、かなり足に疲労が出ていた人が多かったこともあって、自分に回ってきたんです。俺自身も120分プレーして、かなり足にはきていたので、辞退しようかなと思ったんですけど、蹴るという決断をすることが、今後の自分にとっても大事なことだと思ったので、蹴ることにしたんです。だから結果的に外しはしましたけど、後悔はしていないですね。自分にとってはプラスだと思っていますし、今もそこは誇りに思っています」

 優勝した瞬間は「頭が真っ白になった」と語り、「本当にチームメイトに助けられました」と繰り返し感謝の言葉を口にする。 ただ、そこで思うのは、高校時代も含めてPKを蹴った覚えがないという車屋が、逃げることなく、責任を伴う役割を選択したという事実だろう。「PKを外すことができるのはPKを蹴る勇気を持った者だけだ」── ある選手の名言ではあるが、車屋も勇気を持って蹴ったからこそ、大きな誇りと経験という財産を手にできたのである。

 一方で、責任感が増してきたからこそ、危機感も高まっていた。車屋が本音をこぼす。

「昨シーズンはノボリくんがスタメンで出る機会も増えてきて、僕もまだ左SBで出場する機会は多かったですけど、僕が右SBに回ったり、ノボリくんが右SBに回ったりする中で、左SBの一番手はノボリくんだろうなというのを感じていたんです」

 左サイドを主戦場としてきた車屋だったが、昨季は右SBで起用される試合もあれば、大学時代に慣らしたCBで起用される試合もあった。かつてのように、左SBとして絶対的な存在ではなくなりつつあることは、自分自身でも感じていた。

「僕自身がCBでプレーすることも何度かあって、そのときにはノボリくんが左SBに入ってプレーすることが多かったんですけど、そこでノボリくんのすごさを感じたんです。ポジショニングがとにかくいいですし、周りを活かす力に関しても、自分はまだまだ足りないところだなって感じました」

 CBとしてピッチに立ち、隣で登里が左SBでプレーする姿を見たからこそ、感じたことや吸収したことも多かったのだろう。自分に何が足りないのか。自分に何が必要なのか。それを探しながら、追求しながら迎えた今シーズンでもあった。

車屋 紳太郎選手

 2020年の開幕を告げるJ1第1節の鳥栖戦はベンチスタートだった。フロンターレで正式にプロになってから初めてベンチで迎える開幕戦だった。

 その後、新型コロナウイルス感染症の影響で中断していたJ1が7月4日に再開されても、車屋が置かれている状況は変わらなかった。第4節の柏戦では左SBとして今季初先発を飾ったが、ジェジエウの負傷もあり、すぐにCBにポジションを移していた。

「今シーズンもノボリくんが最初は左SBのスタメンだろうなとは感じていました。ただ、こういう状況だからこそ、しっかり、もっと、もっと頑張らなければいけないなとは思っていた。コロナの影響で、リーグが中断になった期間は長かったですけど、その間も、自主練のところでは、これまで以上にもっと、もっとサッカーに向き合っていかなければいけないと思って取り組んできました。食事のこともそうですけど、身体のケアだったり、筋トレも以前より、もっと取り入れるようになりましたね。というのも、正直、プロ2年目や3年目のときのほうが、もっと身体のキレがよかったように感じていたので、それを取り戻そうというか、それ以上のキレが出せるような身体にしたいなって」

 プロになってから、さらに遡れば大学時代も、試合に出られない期間は限られていたことだろう。実際、本人にぶつければ、「高校1年のとき以来ですかね」と、振り返る。

 この状況に腐ってしまうのも、心が折れてしまうのも簡単だ。ただ、車屋は「もう28歳ですからね」と笑い、少しだけ昔話をしてくれた。

「大学3年のときにちょっと気持ちが入らない時期が何ヶ月か続いたことがあったんですよね。おそらく上級生が卒業して、自分たちが一番上の学年になって、周りのレベルが少し落ちてしまったこともあって、自分自身もそこに対して腹立たしく思ってしまったところがあったんでしょうね。ちょっと、何かこう、やる気がなくなってしまったんです。
同級生や後輩たちにも申し訳なかったなという気持ちもありますし、あのときに何でもっとやらなかったんだろう、やれなかったんだろうという後悔みたいなものが残っているんです。あのときは自分でもそれに気づくことができなかったんですけど、フロンターレに入って、もったいないことをしたなって思ったんです」

 フロンターレでもポジションを争う登里から多くを吸収しているように、これまで接してきた先輩たちの背中からも学んできた。

「フロンターレでも、イガさん(井川祐輔)やタサさん(田坂祐介)とかが、試合に出られない中でも常に練習で全力を出している姿を見てきました。自分自身もそういうところはプロとして大事だなって思いましたし、自分を見ている(年齢が)下の選手たちもいるので、常に100%でトレーニングをやらなければいけないなって思っています。それにこういう時期って、きっと誰にでもあると思うんですよね。ただ、絶対にこの時間は無駄ではないとも感じているんです。ここでふて腐れて、トレーニングを100%の力でやらないような選手にはなりたくない。だから、自分が試合に使われるようにトレーニングでアピールするし、いざ試合で使われるときのために、常にいい準備はしておきたいなって。何より、この時間も自分が成長できるタイミングだと思っているので」

 力強い言葉だったし、そう語る車屋の表情は活力に満ちあふれていた。

 「やっぱり一番は左SBやCBでプレーしたいという思いはあるので、そこで勝負したいという気持ちは強いですね。CBもプレーしたらプレーしたで楽しいですし、左SBは何より自分の強みが出せるポジションでもある。
SBは走力だったり、一対一の部分だったり、そういうところはすごく自信があるので、自分の強みを一番引き出しやすいところなのかなと。攻撃にしても、今年はハイラインでやっているので、裏のケアも大事になってくる。それだけにスピードは活きてくるんじゃないかなと思います。
CBは大学で4年間やっていたのでやりやすさもありますし、周りの選手を使える、動かせるというところでは、SBにはない楽しさがあると感じています」

 一方で、試合に出るために足りないところはどこだと思うのか。尋ねれば、表情を締め直して、こう答えてくれた。

「周りの選手を活かすこと。特に今シーズンはウイングの選手が得点に絡む機会が多いので、彼らを活かすことは大事になってくる。一方で、自分自身も中に入ってプレーしたり、外でプレーしたりと、その両方をもっと、もっとできるようになりたいし、やりたいとも思う。あとは……」

 この続きに、車屋が追い求めているところがあるのだろう。

「組織、組織と考えることも大事ですけど、多少は自分の自由にやらせてもらうところも、やっぱり今シーズンは出していければと思うんですよね。たまにわがままというか、そういうところも出していけたらいいなって」

 車屋の現在地について他者に意見を求めるとすれば、この人物以外に適任者はいないだろう。フロンターレのサポーターならば、すぐに顔が思い浮かぶであろう。

 谷口彰悟である。

 車屋とは幼いときから一緒にプレーし、プロになってからも苦楽を共にしている1学年上の先輩は「腐れ縁みたいなものですからね」と言って、車屋について語る。

「今、あいつは何をするべきなのかという葛藤がいろいろとあるとは思いますけど、そういう時期やそういうことを考えることってすごく大事だと思うんですよね。あいつはこれまでずっと試合に出てきた存在なので、みんながみんな、力があることは知っているし、試合に出れば、普通にというか、何の問題もなく高いレベルでプレーできると思うんです。
でも周りが求めているのは、それをベースとして、プラスαでゴールに直結するプレーだったり、チームのために無駄走りをしたりといった、そういうところのレベルになっていると思うんですよね。何より、これは僕が一番思っているし、監督も含めて周りも思っていると思うんですけど、あいつはもっとできる。才能や能力はあるんだから、その期待にあいつは応えないといけないし、その作業を今はしている段階にあるのかなと。だから、あいつが殻を破ってぐーっと伸びてくれれば、『おおっ!』ってなるんですけどね」

 今シーズンからキャプテンを務めているように、常に理路整然かつ紳士的な受け答えをする谷口だが、車屋のことになると、遠慮もなければ、途端に辛口になる。

「僕があいつに対しては一番厳しいと思いますよ」と言って笑った。普段はそれほど話す機会は多くないというが、そこにふたりの「兄弟のような」関係性が見え隠れしていて、こちらも思わずうれしくなる。だからこそ、谷口は続けた。

「これまであいつはずっと試合に出てきて、体力的には自分がやっているCBと違って、SBはそうとうキツイと思うんですよね。だから、このくらいでと思ってセーブしてしまう気持ちは分からなくもない。僕は『あっ、いま、サボった!』とか、『あっ、はい、いま、頑張ったふりした!』とか、全部分かりますからね(笑)。僕自身もそうですけど、このくらいでいいというのをやめて、毎試合どれだけできるかで勝負していったほうが絶対に成長すると思う。あいつには、そこにチャレンジしてほしい」

 そう言った後で、「僕がオニさんに言われているようなことを、僕は紳太郎に言っているんだと思うんですけどね(笑)」と言って、谷口は再び笑った。

 何より車屋自身も殻を破らなければならないことは十二分に実感している。

「個人的にはボールを持ちたいという気持ちは強いんですけど、あまり無理をしないプレーというのが多いかもしれないですね。でも、他の選手を見ていると、正直、チャレンジしてミスをしている選手もいっぱいいる。そうしたプレーを自分自身も出そうという意識はすごく大事だと思うので、もっと、もっと出していきたいなとは思っています。
今、こうして試合に出られていない現状を考えると、スタメンで試合に出るために、どこで自分のよさを出していくかという意味でも、多少、わがままなプレーというか、ミスを恐れずにどんどんトライしていくプレーは増やしていきたい」

 先輩・谷口について車屋に聞けば、「常に先を歩いている道標みたいな存在」と話す。

「隣でプレーしていてもやりやすいですし、やっぱりいるのといないのとではチームとしての安心感が違う。自分もそういう存在になりたいですし、彰悟さんを越えられるのはプロでやっているこの期間しかないので、もっと成長して彰悟さんを越えられるような選手になりたいと思います」

 それを谷口に伝えると、「威厳を保つためにも絶対に越えさせませんけどね」と胸を張った。

 谷口も言うように、監督も、チームメイトも、左サイドを躍動する姿を見守ってきたファン・サポーターも、車屋ができることはとっくに分かっている。求めているのは、期待をさらに上回る躍動であり、周りを動かすところ、得点に直結する動きも含め、存在感を示すプレーになるのだろう。

 2018年には移籍の報道もあったが、フロンターレに残る決断をした。そのことについて触れれば、こう思いを話してくれた。

「J1を連覇して、自分自身、フロンターレでプレーすることに喜びを感じていたんです。サッカーをしていても楽しいですし、クラブハウスも設備が充実しているし、スタジアムもサポーターが温かいですからね。今では6年もフロンターレにいますし、在籍年数としては長いほうなので、ずっとここでやりたいと思わせてくれるこの環境が、やっぱり好きだからなんだなって思います。
フロンターレのサポーターは、たとえ連敗が続いたとしても温かい声援を掛けてくれる。そういう人たちのためにもやっぱり頑張りたいなって思いますし、試合に出たいなって思います。だから、あのときも、このチームでもっとタイトルを獲って応援してくれる人たちにプレゼントをしたいなって思ったんです」

 異例のシーズンとなった2020年は、まだまだ続くし、むしろ、これからだ。

「今シーズンはコロナの影響で連戦も続きますし、ノボリくんとのポジション争いはありますけど、2人でしっかりお互いが出たときに最高のパフォーマンスが出せるように、切磋琢磨して常にいい準備はしていきたいなと思います」

 チームメイトやSNSでは変わりものとしていじられることも多いが、本人は「いたって真面目な人間だと思いますよ」とうそぶく。「うれしいときも怒っているときもあまり表情には出ないですけど、いつも心の中で思っているんですよ」と答える。それを受けて、闘志はあるかと尋ねると「結構、ありますよ」と言ってニヤリと笑った。

 再び、車屋が左SBとして今シーズン初先発した札幌戦に戻れば、際立っていたのは先制点だけではなかった。これまで通りに縦へと鋭く突破してクロスを上げれば、ウイングとのコンビネーションから中へ中へと切り込む背番号7の姿があった。

 フロンターレには最高のサポーターがいて、最高の先輩がいて、最高の競争相手がいる。自分が殻を破る土壌はそろっている。

 話を聞き終えた今、メッセージを込めてこの記事を締めたい。

 もっと、できる。もっと、やれる。

 何より、「もっと」という言葉こそが、彼の発言の中で、最も多く聞かれた言葉だったからだ。そして── 殻は破られつつある。

profile
[くるまや・しんたろう]

左足の正確なボールコントロールと身体能力を武器に、攻守両面でチームに貢献するDF。守備では対人戦の強さを生かし相手のサイドアタッカーを封じ、攻撃では左サイドで起点となりチャンスと見ればライン際を駆け上がりサイドを打ち破る。最終ラインならどこでもプレーできるユーティリティ性、使い減りしないフィジカルの強さや安定感はチームにとっても大きな武器だ。

1992年4月5日、熊本県熊本市生まれ
ニックネーム:シンタロウ

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