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ピックアッププレイヤー〜GK21 安藤 駿介選手

フロンターレ、推し

フロンターレ、推し

テキスト/隠岐麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Oki Marina photo by Ohori Suguru (Official)

大好きなクラブ、川崎フロンターレで、13歳から人生の半分以上を過ごしてきた。
いつでも試合に出られるように、日々、準備をしていること。
「フロンターレが誰より好き」だと、自負していること。
川崎フロンターレGK、選手会長の安藤駿介が今、伝えたいこと。

憧れ

 東京都世田谷区のクラブでサッカーを始めた安藤駿介が、自宅から通える距離にあるいくつかのクラブのセレクションを受け、一番最初に受かったフロンターレに入ったのは、2003年のこと。つまり、中村憲剛がフロンターレに加入したのと同じタイミングだ。昨シーズン限りで、J2時代を経験した最後の選手だった中村が引退したことにより、その当時のことを選手の“生の言葉”で書くことは、もうないと思っていた。

「2003年にジュニアユースに入って、練習がない時は、ひとりでも等々力に行ってましたね。やっているサッカーが攻撃的で面白いなって幼いながらに感じて、漠然とここでプロになりたいなと思って、僕にとって憧れでした。僕は、ジュニアユースの一員でもあったけど、それと同時にサポーターだったと思います。とにかくフロンターレの試合を観るのが好きでした。2003年は、フロンターレがJ1昇格を目指していて、その年は新潟がぶっちぎっていて、フロンターレはなかなか(新潟に)勝てなかった。当時のJ2は4回総当たりで、確か4戦目が等々力で、2万人が入って3対0で勝ったんですよ。それで、J1に行けるかもって思いました。最終節の広島戦は、僕らジュニアユースのメンバーも準備の手伝いがあって、試合前にフラッグの設置とかやりました。選手もサポーターも絶対にJ1に上がれると信じていた分、勝ち点1差で昇格を逃したのは、中学1年の僕ですら涙を流すぐらいの気持ちだったことを、今でも鮮明に覚えています」

 そんな風にフロンターレの“サポーター”になっていた安藤だが、川崎フロンターレアカデミー(下部組織)ではどんな選手生活を送っていたのだろうか。

「ジュニアユース時代は、トップチーム昇格の夢に向かって邁進、とは言えないぐらい漠然とやっていました。能力も高くなく、背も小さかったんです。失点ばかりしていたし、試合をするのもいやな状態でした。中3になってから、毎月1センチのペースで身長が伸びるようになり、そこで膝や踵など成長に伴って痛みが出てしまい、高校時代は、骨折もあったし、怪我をけっこうしてしまいました。でも、フロンターレの指導者の方がポジティブな方向に導いてくれたので、怪我をしてしまっても、レベルアップして復帰しようと前向きにとらえることができました」

 安藤が、トップチームに昇格したのは2009年のことで、今から12年前。そして、同期には香川西高校から加入した登里享平がいた。安藤が加入した2009年は、リーグ戦、カップ戦ともに結果的に2位に終わったが、当時最もフロンターレが優勝に近づいたシーズンだった。そういう時期のフロンターレを安藤、ノボリはルーキーイヤーで体験していた。

「本当にノリノリで勢いがあって、“フロンターレの攻撃は、ヤバイ”って言われていた時代でしたね」

 あれだけ憧れたトップチームへの昇格を果たし、その時の気持ちは今でも覚えているだろうか?

「最初は楽しみでしかなかったです。でも、楽しいというのは、徐々にいろんな感情に変わっていきました。試合に出られているわけではないし、苦しいことの方がその後は多いです。それは、今でも。でも、苦しいことも楽しむ。苦しんでいることすらも楽しくないとやっている意味がないですからね」

 そうした安藤の気持ちの真意は、後にわかることになる。

 安藤は、ロンドン五輪世代のメンバーで、2010年、広州アジア大会では7試合のうち6試合で出場し、日本チームの優勝に貢献している。

 フロンターレでの初出場は、2011年5月29日、J1第13節の大雨のガンバ大阪戦のこと。中村憲剛の試合終了間際ラストプレーのFKが決まり、安藤の初出場は、今でも語り継がれる等々力劇場の末の初勝利となった。

 2012年、ロンドン五輪代表としてメンバー入り、試合出場は叶わなかったが、安藤にとっては、プロ入りしてからの数年間のひとつの区切りになった大会でもあった。

「そこに至るまでの過程で、チャンスをもらったり、試合に出たり、出た試合で自分が持っている力を出せた。その経験は大きかったです。でも、ロンドン五輪が終わってフロンターレに戻った時に、環境に対する自分自身の甘えを感じて、ちょっと自分にイライラしていたのを感じていました。ピリッと緊張感を持ってやらないと選手を長く続けられないなと当時、感じていました」

 そして安藤は、2013年シーズン、期限付き移籍で湘南ベルマーレで1年間を過ごした。

「十数試合出て、できること、できないこともわかったし、自分にできないことの方が圧倒的に多かった。下位だったので攻められる時間帯も多く、やられることが多かったことに悲観的にはならなかったですけど、結果的にその年は降格してしまったので責任は感じました。それまでGKとしての理想像が一番上に自分のなかにあって、周りの意見を自分に取り入れられない人間的な未熟さが自分にあることにも気づいた時期でした。まだ若かったこともあったけど、自分を大きくみせるために着飾ってたというか勘違いもあって、堂々としていることはいいことだけど、それが作られた態度だったら意味がないということも徐々にわかってきて、自然体でいればいいんだっていうことに気づきました」

 2014年にフロンターレに復帰してから、安藤は周囲からも気づかれるぐらいに徐々に変化し、それがチームの中での安藤の個性になっていった。

「例えば、イジられても、それに対して気持ちよく受けて返せるようになって笑いが生まれるようになった。それで周りからのとっつきにくさがなくなって、見られ方も変わっただろうし、自分自身の受け取り方も変わりましたね。自分が柔らかくなっていったんじゃないかと思います」

安藤駿介 GK21-安藤駿介選手

視点

 フロンターレは2017年に念願のリーグ初優勝、それから毎年のように星を重ねて、5つのタイトルを手にするまでになった。その一員として、安藤はどんなことを感じていたのだろうか。

「すごいクラブなんだなって改めて思いました。リーグ戦の初優勝は、なんだかフワフワした気持ちで、実感は後から込みあげてきました。すげえ、優勝したよって。最後すごい追い上げて、最終節のドラマはなんかすごいなって感じでした」

 そして、こう続けた。

「自分が試合に出て活躍していないので、貢献はしていないので何とも言えないところもありますけど、その一員としてやれているという誇りや自信を持ってやるべきだと思うので、例え試合に絡んでいなくても、だからダメだとか恥ずかしいという感情は一切ないし、周りにそう見られても気にすることはないなと思っています」

 安藤の話を聞いていると、好きなクラブにいられるという喜びの視点、GKとして、選手としてプライドを持って戦っている視点、サポーターとの共感の視点。いろんな視点から生まれてくる気持ちが混在しているように感じる。

「選手の気持ちはもちろん、サポーターの気持ちもわかるつもりです。試合に負けたときの、やり場のない気持ちというか。サポーターは自分でやっているわけじゃないから、負けたときは気持ちが落ちて、ぶつける場所がないから。選手は次の試合がすぐ来るから、そのために切り替えられる。でも、サポーターの楽しさって一喜一憂できること。劇的なゴールで負けてしまったらうなだれて帰り、等々力劇場で勝ったらウキウキで帰って、あのプレーがよかったよねってご飯を食べながら話すのが楽しい。そういう両方の気持ちがわかるのは、自分としては、人としてちょっと強みなのかな。それが選手としてプラスなのかはわからないけど」

 2005年、中学3年の時、味スタでサポーターと一緒に飛び跳ねて応援していた試合で、前半4対0でフロンターレが圧倒的に勝っていたが、後半怒涛の反撃にあい4対4の引き分けで、がっくりと肩を落として帰ったことがあった。そういう過去のフロンターレを応援していた自分は、きっと今の安藤の支えになっているだろう。

「もちろん、試合に出たいというのは常にあるし、出ていいプレーをするためにトレーニングを積んでいます。僕は、フロンターレが好きなので、正直、移籍する理由が自分にはないと思っています。それでもたまに、自分でもプロとして考えたら自分は、ここにい続けていいのかたまにわからなくなるときはあるんです。だけど、ちょっと冷静に考えてみると、僕はフロンターレが好きで、好きなクラブから契約してもらっているのに、自分から出ていく理由はないじゃないかって答えにいきつく。そのループですね」

プライド

「苦しい時間の方が多かった」と安藤は、冒頭に言っていた。実際のところは、どのような日々の積み重ねだったのだろうか。

「あまり長期的な目標は立てられないタイプだし、長期的な目標をそもそも言ってる場合じゃないし、1年1年が勝負で後がない立場だし、試合に出ていないまま、いい年齢にもなってきている。でも、自分の信念を貫きたい。結局は、自分の人生だし、自分の選択に後悔をしたくないから、2014年以降1試合(2016年5月25日ナビスコカップ第6節・ベガルタ仙台戦/2対1で勝利)しか出ていないというのはけっこうくるものはありますけど、だからといってダメなシーズンを自分が送っているわけじゃないし、年々、自分のなかの落ち着きやクオリティーは上がっているという実感はある。なんていうか、いずれチャンスが来た時、物事に絶対はないから本当にくるかはわからないけど、だけど、本当に来た時に、ちゃんとできる準備だけはしておくっていうのは常に頭の中にあるから、そのためにブレずにやってきたというのはあります」

 GKは経験値が大きいとはよく言われるが、逆にいうと、試合本番という経験が少ないなかで、日々の練習やそれ以外の日常からもGKに必要な部分を取り入れようとしているのだという。

「自分なりの積み重ねですね。他の人がやっているから自分もという考えは好きじゃなくて、もちろん練習は負けないようにやろうというのはあるけど、自分の体と相談して、自分がやるべきことをしっかりやることがGKにとっては大事だと思っています。スクランブルな状況にも耐えられる体と心を作ること」

 そういう日々を送るなかで、自分自身の変化はどんな風に感じているだろうか。

「変化というか、一番は、落ち着きですね。プレーの落ち着きもそうだし、人としての落ち着き。私生活でも、年々そうなっていますね。例えば、テレビを観ていて、誰かが何かに対して怒りを感じているのを見たとします。それを自分に変換して、別に怒らなくてもいいなって思ったり、冷静に考えれば、なんとでもなる出来事じゃないかなって考えたり。そういうことがちょっとずつでも落ち着きになってプレーにも出ればいいかなって思うんです。自分のことじゃなくても、自分に置き換えてみる。奥さんとのやりとりで、例えばですけど、ちょっと言い合いになっても怒らないとか」

 GKとしての考え方や姿勢など、影響を受けた選手はいたのだろうか?

「一緒にやってきた先輩方はみんな影響を受けました。ユースの時は吉原(吉原慎也)さん、植草(植草裕樹)さん、リキ(杉山力裕)さん、プロに上がる時にエイジ(川島永嗣)さんがいて、ザワ(相澤貴志)さんとは一緒にいる時間も長く、見習うこともたくさんありました。一緒に練習した時期も長く、試合に出ていないなかで、ポッと出ても結果を出していたことも、努力もみてきました。そういう似たものはタンちゃん(丹野研太)にもあって自分のリズムを大事にしてやっているのもそうだし、スタメンのGK以外って言ったら変な表現だけど、うちでいえばソンリョンがずっと出ているなかで、タンちゃんも自分のルーティンをしっかりやっていて、そういう姿勢がチームを支えているんだなっていうのは思います。洋平(西部洋平)さんにも、よくしてもらいました。いい環境で頑張れるなら、その方がいいと言ってもらったことも心に残っていますね」

 では、安藤がGKとして長くやってきて、大事にしていることは何だろうか。

「僕はGKの仕事は、ゴールを守ることだという認識です。裏に出るとかビルドアップとかもありますけど、譲れないものはゴールを守ること。ソンリョンを見ていてもそれを強く感じますが、それがないとJ1で守るのは厳しいと実感しています。どんなに足元があるGKでも、低いところが取れないとかは難しい。逆に年々、こだわりというのはなくなってきていて、とにかくリアクションのポジションなので、来るボールに対してしっかり準備をする。シュート練習はフリーだから、自分でちょっと先に動いちゃったりとかもするんですけど、実際にDFがいるって仮定して考えて、ほんのちょっとポジションをずらしたり、体重移動をコンマ何秒早くしたりとか工夫してやっています」

 練習のなかでいいパフォーマンスをして、試合に出るための準備に全力を尽くす。高い質で練習ができていることが伝わってくる。

「日本一の質でやっていると思います。それは、間違いなく言えることだと思います」

 そうした日々の中で、ひとりしか試合に出られないというGKの特殊なポジションを踏まえ、どのようなモチベーションや心構えを大切にしているのだろうか。

 今、自分がやるべきことにどう向き合うか──。

「先のことは考えないですね。半年後にレベルアップしている自分が試合に出ているイメージをして調整してトレーニングしても、もし1週間後の試合に出ることになったら、その体と心が作れているかは微妙じゃないですか。GKの場合は、1試合1試合心と体を作っておかないと、本当に何が起きるかわからないっていうのは自分のなかであります。先日も、ソンリョンが怪我をして数試合出られないことがありましたよね。そういうこともあり得る。試合のなかで、よくないことだけど、脳震盪や怪我で急遽GKが交代するということも過去にはありました。そういうこともあるから、絶対に準備は怠っちゃいけないと思います」

 いつか来るその時のために準備をする―。それは、これまでも想像してきたことだが、今回、じっくり話を聞いて、心の持ちようは、想像よりも上をいっていた。

「毎週、次の試合のスタメンやベンチメンバーが決まるまで、自分が出るんだという気持ちでやりますよね。逆にいうと、ある程度、次の試合に自分が出られないということもわかります。それで、いざメンバーが発表されたとしても、でも、僕はそれでも、もしかしたら不測の事態があるかもしれないし、熱が出たとか体調不良に急遽なってしまった、ということもあり得るわけですから、そうなった時に、その日に呼ばれてすぐ試合の準備をしなきゃいけないということも考えています。常にあるかもしれないって自分で言い聞かせておかないと、慌てちゃうだろうし。そういうことは、実際にあり得ることだと思っています。とくに今は、コロナ禍であり熱が出たら試合に出られないから、より可能性を頭に入れておかないといけないですよね」

 それを毎回、毎試合繰り返してきた。

「逆にいうと、それぐらいの感覚じゃないとやってこられなかったかもしれないです。あるかもしれないって言い聞かせているから自分が保てているのかもしれません。これが「ない」って思ってしまったら、気持ちがプツンと切れちゃうかもしれないけど、あるかもしれない、あるかもしれないって常に言い聞かせているから保てているのかもしれないです」

 そういう毎日の積み重ねが、長く続けられていることの要因のひとつなのだろう。それは、誰にもできることではないように思える。

「そう思ってもらえたらありがたいですけど、人から尊敬されることじゃないし、自分にはこれしかないって思っているから。好きなことを仕事にしているわけだから、自分が楽しいと思わなかったら、損だよねって思っています。なんでもそうじゃないですか。仕事も遊びも楽しくなかったら意味がないなって思いませんか? それと一緒です。それに振り返ると長いんですよ。年数に置き換えると長いけど、1試合1試合、1日1日で考えればあっという間に過ぎていくから。だから、先を見たり、過去を振り返ると、こんなにやってきたんだって確かに思うけど、実際は、今日も練習が終わって、これから帰って夜ご飯を食べて、明日また練習だってなるとあっという間に過ぎていきます。それしかないと思います」

 “苦しいことも楽しむ”と言っていた安藤の真意は、そういうことなのだろう。

 クラブには約30人前後の選手が所属し、そこから次の試合のスタメンとベンチ入りメンバーが発表される。GKのスタメンは、たったひとりである。

「J1であれば今年はスタメンのGKが20人だとして、その3倍ぐらいのGKは試合に出られない。だけど、プロという肩書で誇りをもってやっているということは知ってもらいたい。全力でやるというのは絶対条件だけど、光が当たってない選手もこういう頑張りやクオリティーでやれているということは分かってもらいたいという気持ちは正直あります。そして、このクラブにいるんだっていう意味を周りにも理解してもらい、自分たちも理解して誇りを持ってやらないといけないと思います」

 落ち着いた、しかしながらキッパリとした口調で、安藤はそう語ってくれた。

フロンターレ安藤、時々(同期の)ノボリ

 中村憲剛が、フロンターレらしさやチームカラーの継承を下の世代にしていく過程で、「ノボリと安藤は双璧の存在だから。悠、ショウゴ、リョウタたちもいて彼らに任せられる」と信頼を置いていた。その中村の引退後、クラブ在籍年数でいうと、2009年加入のふたりが一番の古株となった。

 安藤は、フロンターレで選手会長を務めている。かつては伊藤宏樹、井川祐輔、田坂祐介、杉山力裕らが務め、その後、ノボリが務めていたが、ノボリが日本プロサッカー選手会の理事になったことから、ノボリからの指名で安藤が受け継ぎ、現在に至るまで選手会長の役目を担っている。

「選手会長といっても、特別な仕事があるわけじゃないですよ。年に2回の支部会に出て、基本的には事務局からの伝達事項をチームメイトに連絡をする。あとは、クラブ内では選手会の発案で始まったイベントのスケジュールや内容の確認をクラブの事業部スタッフと話し合ったり、ですかね」

 例えば、陸前高田でのサッカー教室や、今はコロナ禍でできないが多摩川エコラシコの清掃活動などがそれに当たる。フロンターレというクラブをよく知り、なおかつ、チームメイトからの信頼があるからできる仕事だろう。

「僕が、Jリーグの選手会の理事をやることになった時に、安藤にクラブの選手会長をお願いしました。信頼関係があるし、やっぱり長くフロンターレにいて、その後も一緒にやってくれる選手にお願いしたいということもあったし、若手にということも考えたけど、安藤に託した方が安心やなって正直思いました。安藤は、信頼感がある。存在感がすごくあるんです。フロンターレは、ケンゴさんが昨年までいて、コバくんがいて、ショウゴもリョウタもいて、それに続いてシンタロウとか、ヤスト、アオたちがいる。そういうバランスはすごくいいなと思います。みんなで補いながら、個性もあるっていう素晴らしい環境になっている。そのなかで、安藤は大事なピースで、彼の役割は難しいとは思うんです。スポットライトが当たるものではないけど、やっぱり信頼がある。ファン感なんかも僕が前に出ていますけど、安藤が裏側でスケジュールとか事務所の人たちと話してくれていたりもするんです。そういうのは誰かがやらないといけないですからね。本当に僕も信頼している同期ですね」(ノボリ)

 ノボリは信頼という言葉を何度も使った。

 一方の安藤も、ノボリのことをこんな風に語っていた。

「ノボリは、誰にも替えがきかない、あいつにしかできないことを今やってますよね。唯一の同期であり、最近はメシに行ったりもしないけど、ある意味いい距離感の関係なんじゃないかな。ノボリに関しては、誰からも信頼されているでしょう。チーム全員そうだし、クラブの事務所スタッフ、コーチングスタッフもそうだし、ノボリの人柄、プレー全てにおいて今のフロンターレにおいてなくてはならない存在だと思います」

 18歳の若手時代から過ごして、今在籍年数が一番長くなり、自分たちだけじゃなく、他のチームメイトたちとも一緒になって作りあげている。そのなかで、自然とフロンターレらしさを考えて行動しているのだろう。

「そうですね。僕が支えるんだ、なんていうのはないんだけど、自然と動いているということはあるのかな。それはたぶんノボリもそうだと思う。僕の場合は、ピッチ内ではみんな集中してやっているから自分がどうとかはないけど、ピッチ外では要領を掴んでいない若手がいたり、いろんな考えがあるから、ちょっと気づかないところを見るようにはしているかな。だからといってそんなたいしたことはないです」

 例えば練習の締めの挨拶を、安藤からノボリなど誰かに指名するというのが慣例で、それで時に笑いが起きたり、引き締まったりという場面。

 ロッカールームで、若い選手からの突っ込みにも、スピード対応で返して笑いが起きるという場面。

 チームメイトと過ごすあらゆる時間の要所に安藤がいて、それがノボリのいう「大事なピース」になっているのだろう。

「もうロッカールームにカメラつけてほしいぐらいですね。アオの僕へのイジリとかすごいんですけど、むしろそれに全部返している僕の部分もみていただきたいですね(笑)」

 プロサッカー選手は、契約があってそのチームでプレーすることが叶う。それは至極当然の事実である。  その上で、選手としての目に見える結果だけでなく、その数字を超越した存在意義や価値、それが安藤ならではの人間力ということになるのだろう。

フロンターレが好きだから

 大好きなフロンターレで、好きなサッカーができる幸せを安藤は、誰よりも感じている自負がある。

 初優勝のパレードで、川崎市内がサポーターで埋まった時、「僕は運よくチームの一員としてバスの上からパレードに参加してましたけど、バスの下からサポーターとして見ている側だったかもしれないし、下から手を振ってる自分も想像できましたよ」と感慨深そうにしていた。

 自分が下部組織に所属していた当時、歩いて通った市役所前の道が、サポーターで埋まっていて、そこをパレードしている。信じられない気持ちだった。

「僕は普通じゃないんだと思います。そこは何なのかって考えたら、結局話が戻っちゃうんだけど、フロンターレが好きで、自分が好きな環境でやれているのなら、ここで頑張れる。だって、フロンターレは、客観的に見ても面白いじゃないですか。試合も楽しいし、ファン感とかそういう部分も面白い。サポーターもきっと面白いと思うんですよ。選手として中にいたらロッカーも楽しい。すべてひっくるめて楽しいから好きにつながっているんじゃないかな。今、コロナ禍で練習にも来られないし、サインももらえない。試合も制限がある。だからこそ、何か発信をしたりしていきたいですよね。そこはノボリに任せて、僕は僕らしくフロンターレの良さを出していけばいいのかなって思います」

 本当に、フロンターレが好きなんですね。

「はい。フロンターレの好きのレベルだったら、ケンゴさんにも引けをとらない自負がありますね」

profile
[あんどう・しゅんすけ]

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プロ入り13年目を迎えるGK。川崎フロンターレ・アカデミー出身。つねに冷静なプレースタイルを貫き、最後尾からコーチング。守備陣をコントロールしながらゴールを守る。昨シーズン、序盤ベンチに入ったものの公式戦出場は叶わなかった。しかし、チームのために何ができるかを考え、日々トレーニングに励む。チームメイトの意見を取りまとめる選手会長でもある。

1990年8月10日、東京都世田谷区生まれニックネーム:アンドゥ

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