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ピックアッププレイヤー 2022-vol.06 〜DF7 車屋 紳太郎選手手

人は、いくつになってもチャレンジし、成長できる。

テキスト/林 遼平 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Hayashi Ryohei photo by Ohori Suguru (Official)

2020年11月25日、等々力陸上競技場のピッチ上には歓喜の輪が広がっていた。

その日はガンバ大阪に5得点を奪って大勝。勝利した瞬間、2020年のリーグ優勝が決まり、
誰もが2年ぶりの戴冠に対して喜びに酔いしれていた。

ただ、優勝の喜びを実感すると同時に、車屋紳太郎は一つの決心をしていた。

受け入れてもらえるかはわからない。それでも、伝えなければならない。

試合後、足を向けたのは鬼木達監督と強化部のもと。そこで車屋は思いの丈を口にした。

「フロンターレでセンターバックをやりたいです」


 遡ること3年前。2019年を機に車屋の状況は大きく変わった。

「2019年からはどちらかというとノボリくん(登里享平)が左サイドバック(SB)としてスタメンで出るようになって、すごく自分自身、悔しい思いをしていました。試合の中で右SBをやることがありましたけど、主戦場だった左SBで出たい気持ちが強かったので、プレーしていても悔しい思いの方が大きくて。本当に苦しんだことを覚えています」

 プロ1年目から左SBのレギュラーポジションをつかみ、スタメンに定着。ターンオーバーや怪我の影響で出られない試合もあったが、基本的に常時先発の座を得ていた。だが、そんな男が、ふと気づけばベンチスタートになる機会が増えていた。ピッチを見れば先輩の登里が左SBとして躍動。これまでとは違う日常を受け入れるには時間がかかった。

「その時に、より試合に出ることの難しさやプロで生き抜くための難しさを感じましたね。今まではスタメンで出ることがほとんどで、それが急にベンチスタートになると、自分自身、多少なりともチームに必要とされていないんじゃないかとマイナスなことを考える時もありました」

 だからこそ、2020年は左SBでもう一度、勝負したいと強く心に決めていた。いろいろなものを吸収して、向上して、これまで以上にいい選手になる。ベンチスタートになる日が増えたなら、スタメンの座を取り返せばいい。プロに入り左SBでポジションを掴んできたプライドが、車屋を突き動かしていた。

 しかし、その思いとは裏腹に、2020年はプロになってから最も少ない22試合の出場に止まってしまう。当然、気持ちは揺れていた。

「先ほどの話ではないけど、特に2020年の終盤はチームに必要とされていないのではという思いがすごく強かった。それにスタメンでもっと出たいという思いもあったし、自分でも何かを変えなければならないとも思っていたんです」

 そんな悩める車屋に光が射したのはシーズン中のことだった。SBではなくCBで起用されたとき、これまでとは違う感覚を得られている自分がいた。プロ入り後、チームのスタイルが変化していく中で見えなくなっていたが、今の形なら自分のプレースタイルはCBの方がハマるのではないかと。


「ここ数年でチームはよりハイラインでプレーするようになりましたし、その中で裏のケアをしなければいけない場面では自分のスピードが通用するなと思えるシーンが増えていた。あとは左利きならではのクサビの入れ方だったり、そういうのはチームにないところだなと。自分が入ればアクセントになるなと思うようになりました」

 そして、思い出すことになる。大学時代にセンターバック(CB)として評価され、「プロに入る前は正直、CBでやりたいという気持ちが強かった」ことを。そうなれば、もう見据える先は一つ。「CBにチャレンジしたい」、それだけだった。

 指揮官と強化部に話すことを決めた際、覚悟はしていた。簡単な話、ダメと言われればチームを離れることになっても仕方がないと。本人も「2020年が終わった時は正直、環境を変えることも考えました」と口にする。

 ただ、フロンターレにはしっかりと自身の思いを伝えたかった。どうなっても不思議ではないと考えていたが、向こうの反応は好意的なものだった。

「自分自身、フロンターレでCBをやりたいという気持ちはありましたけど、どこかでCBが主戦場ではなかったので、言ったところで受け入れてもらえるとは思っていませんでした。でも、監督や強化部の人に『自分はこれからCBで勝負したいです』と伝えたら、『うちでCBにチャレンジしてくれても構わない』と言ってくれましたし、『自分の力が必要だ』と言ってもらえた。それを聞いた時、もう一度、このチームのために頑張りたいなと思えた。その言葉がなかったら、いま、フロンターレでプレーしていないと思います」

DF7 車屋 紳太郎選手 DF7 車屋 紳太郎選手


 迎えた2021年。車屋の心はさっぱりしていた。チームの力になれるように日頃のトレーニングに真剣に向き合い、谷口彰悟とジェジエウという高い壁と肩を並べられるようになる。最初から全てが上手くいくことはないのだから、いつ何があってもいいプレーができるように準備をする。それがチームのためになると前を向いていた。

「チームに対しての感謝の気持ちもありましたし、必要としてくれた以上、必ずその恩返しは果たしたいなと思っていました。彰悟さんやジェジといった高い壁はいますけど、自分が出た時にどれだけのものを見せられるかにすごくこだわってやっていましたね」

 レギュラーとして出場したかと言えば、そうではない。やはり谷口、ジェジエウに次ぐ存在であり、改めて「二人の存在感がすごい」と感じる1年になったのも事実だ。

 調子がいい時にピッチに立てず、悔しい思いをした日も1日や2日ではない。ただ、キャリアを積み重ねてきた中で、そういう時にどうしなければいけないかはいろいろな人から学んできた。

「常に何があっても自分の責任だという風に思っています。出るためにはもっと監督を認めさせないといけない。まずは自分のところに集中していくことが大事。プロに入った当初は周りの目も気になっていましたけど、最後やるのは自分なので、そういうのに左右されずにやり続けることが大事だなと思っています。昨年なら悠さんがベンチスタートになる試合が多かったですけど、それでも悠さんは文句も言わず誰よりもトレーニングでゴールにこだわってプレーしている。そういうお手本がいることを考えれば、本当にいいチームを選んだなと思いますし、すごく勉強になることばかりです」

 また、大学時代の「懐かしさ」を感じながらプレーした1年。前年を大きく上回る出場数を数えたことに手応えを感じていないわけではない。

 「もちろんまだまだ伸ばさないといけないところはありますけど、1年間を通してプレーしたことでたくさんわかったことがあります。そういう意味では、1年間通して30試合以上に出られたことは大きな経験になったなと。
 特に僕は、最初は風間さんから受け継いできたサッカーの印象というか、近いところにどんどん回したりするイメージでCBに挑戦しました。でも、それだけでなく遠いところを見たり、一個飛ばすパスだったり、4-3-3のシステムならではの強みをもっと出さないといけないなとシーズンを通して学んでいった。本当にやればやるほど楽しいところもありますし、難しさもどんどんわかってきた。大変なポジションなんだなというのはより感じるようになりましたね(苦笑)」

 CBに転向したことで見えた景色がある。そして、それは新たな車屋紳太郎というCB像を作っていく意味でも、重要なものだったと説明した。

「左利きのCBというのは“自分らしさ”だと思います。もちろんCBとしてウィークポイントもまだいっぱいあるんですけど、そこをどんどん無くしていき、強みをどんどん伸ばせるようになれば、自分に出来ることが増えるなと。普通のCBではなくて、“異質なCBになりたい”と思っているんです」

“異質なCB”と聞いて山根視来のことを思い出した。彼もまた従来のSB像を壊し、果敢にドリブルで仕掛けたり、ゴール前に入っていったりと、“異質なSB”として川崎フロンターレの象徴の一人となり、今では日本を代表する選手となった。

 最終ラインが「異質ばかりになりますね」と聞けば、「確かに多過ぎますね」と笑うが、車屋はその根底に鬼木監督の言葉があることを教えてくれた。

「鬼さんに『普通のCBになってはいけない』と言われているんです。運ぶことやドリブルをしていくこともそう。昨年、CBをやり始めたときは『CBとしてドリブルで運びすぎなのかな』と思う時もありました。ただ、そういう話を鬼さんにすると、『それが良さだからどんどん出して欲しい』と言ってくれて。そういう言葉をもらって、やはり少し人と違うところを出さないといけないと思うようになりましたね」

 チームで考えれば谷口のようになる必要はないし、ジェジエウになる必要もない。「誰もが目指す場所」と話した日本代表にしても、吉田麻也にならなければいけないわけでもないし、冨安健洋と同じことをやる意味もない。

 誰が見ても「CBの車屋紳太郎は〇〇だよね」と評価されるような、特別な個性を持った選手になることが、自身が駆け上がっていくための近道になる。

「他の選手にない自分の良さをもっと出さないといけない。ちょっと頭抜けているくらいでは使われないし、代表に限ってみれば呼ばれないと思っています。自分には高さがない分、他のところで負けたくない思いは持っている。もちろん強さも大事ですよ。そこは少しでもレベルアップさせて、外国籍選手にも対抗するフィジカルをつけるのも大事。ただ、そのプレーをするために自分はCBをやりたいと思っているわけではない。“自分にしかできないプレーを出すためにCBをやりたい”と思っている。そこは忘れてはいけないポイントです。みんなと同じようにやるつもりはないですし、自分らしさというか、それが一番の選手の面白いところだと思う。自分らしさを忘れずに、これからもやっていきたいと思います」

 話を聞いているだけでワクワクしてきた。異質度を上げていくことで、新たな選手像を構築していく。30歳の節目の年、ここから車屋の第2章が始まるのだと心の底から感じた。

「今年に関して言えば、止めて、蹴る、を最初からやり直しているんです。風間さんの時にすごくやっていた練習ですけど、そこをシンプルに見直そうと。どうしてもボールフィーリングのところで、シーズンを通して感覚的によくない時期があったんです。練習後にやるのは疲労が溜まりがちですけど、それでも今年はやれることを全部やりたいという気持ちでやっています。多少、自主練の時間が増えようが、全てやりたいと思っていて、長いボールに安定感を出すために下半身のトレーニングもかなり取り組んでいます」

「やれることを全部やる」。このメンタリティーは新たな変化なのかと聞けば、歳を重ねてきた中で「もっと上手くなりたいと素直に思えた」と笑顔を見せる。

「(中村)憲剛さんにしても36歳で、アキくん(家長昭博)にしても32歳でMVP(Jリーグ年間最優秀選手賞)を獲得したのを見ていても、自分だってまだまだ伸びるなと感じています。自分自身、どれだけ今年、サッカーと1年間、向き合っていけるかだと思います。よりトレーニングの量を増やす意味でも、ピッチ外のところでも体のケアには時間をかけてやっていきたい」

 今季のシーズン序盤はジェジエウが怪我のためピッチに立つことが叶わなかった。これはチームにとって残念な話ではあるが、車屋にとってはチャンス到来を告げる事象でもあった。ジェジエウが戻ってくるまでに圧倒的なパフォーマンスを残すことができれば、自分自身がスタメンに定着できるかもしれない。その思いをしっかりと胸に秘めていた。

「ジェジエウの怪我は残念ですけど、逆に今、自分が置かれている状況を考えた時には、絶対にこのポジションをモノにしないといけないなと思います。帰ってきた時には自分がもっとレベルアップして、そこでポジション争いをしたいと思っている。しっかりとピッチでパフォーマンスを継続して、その中で自分にいま何が足りないのかを考えながらトレーニングしたい。やはり、どれだけ自分がプレーできるかはみんなに見られると思っています。3連覇がかかっているので、そういうプレッシャーもある。でも、成長するのにすごくいい機会を与えてもらったと思いますね」

 ただ、心身ともに万全の中で迎えた開幕戦。車屋をアクシデントが襲った。88分、接触プレーを機に肩を脱臼。事故的な形で怪我を負ってしまったのだ。今年にかける思いが強かったからこそ、この負傷に大きなショックを受けた。

「ジェジもいない中で自分がやらなければと思っていた矢先に怪我をしてしまった。もちろん自分がプレーできないこともそうですし、ああいう連戦の中、残りのCBのヤマくん(山村和也)や(谷口)彰悟さんに、すごく迷惑をかけたなと。しかも脱臼という癖が残る可能性のある怪我で、最初はプレーする怖さもあってなかなかピッチに立てず本当に苦しい時間でした」

 それでも「1日でも早く」と復帰に向かっていけたのは、CBでの新たな挑戦に対する意欲の高さが大きい。

「CBというポジションはリスクこそありますけど、自分にしかできないプレーをもっと出さなければと思って怪我の期間はチームの戦いを見ていた。復帰したときにどれだけ自分のプレーが出せるかが楽しみでした」

 昨季は一つ先を見たパスやサイドチェンジ、持ち運んでのミドルシュートで、他のCBとの違いを見せていた。迎える2022年、怪我を機に改めて自分には何が必要で、どんな進化が求められているのかを考えた。

「自分が入った時にチームに何を与えられるかだと思います。昨年得点数が減ってしまったことを考えれば、攻撃を活性化させるために自分のプレーが求められていると思う。昨年の得点の少なさは後ろの選手にも責任はあると思いますし、そこで自分が入ることでより攻撃を活性させたい。どれだけ自分たちが前線の選手にいいパスを配給できるか、よりビルドアップのところで安定感を出すか。そこはかなり得点につながってくると思うので上げていきたいですね」

 やればやるほど楽しくなるし、やればやるほど難しさが生まれてくる。相手を抑えるやりがいもあれば、失点に繋がるミスをしてしまわないかといった恐怖もある。

 それでもCBに転向をすると決めてから2年、確かな道を進んでいることを車屋自身がハッキリと理解している。

「今のままどんどん継続していければ、より自分はレベルアップできると思っています。もちろん1年やり続けないとわからないことも多いと思う。30歳という節目の年でもありますし、今年は全ての面でもっとサッカーに情熱を捧げていきたいと思っています」

 30歳の節目の年は、肩の脱臼という形でスタートダッシュに躓いてしまった。ただ、そこで後悔して立ち止まっていては意味がない。自身のために、そしてチームのために、「これ以上怪我はできない」と自分に言い聞かせている。

「代表に彰悟さんが行くこともありますし、日本に帰ってきましたけどジェジもまだ100%ではないと思う。やはり怪我をしない選手はチームにとってすごく貴重な存在だと思うし、そうなっていかないといけないと思っています」

 普段の温厚な表情からは感じることができない強い思いが伝わってきた。今までのサッカーキャリアの中でも特別な1年になる。車屋自身がそう感じている。

「この1年が終わった時に自分がどれだけ成長したかを言えるようにしたい」

 30歳で迎える勝負の年。車屋は静かに闘志を燃やしながら目の前の試合に挑んでいく。

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[くるまや・しんたろう]

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スピードとテクニック、左足のボールコントロールに優れたDF。守備では競り合いや走り合いで強さを発揮し、攻撃では長短のパスでビルドアップの起点となる。プロ入り後は左サイドバックでプレーする機会が多かったが、昨シーズンはセンターバックを志願し安定感あふれるパフォーマンスを見せた。プロ入り8年目となる今シーズン。円熟期を迎えた守備のオールラウンダーがチームを支える。

1992年4月5日、熊本県熊本市生まれニックネーム:シンタロウ

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