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ピックアッププレイヤー 2023-vol.11 / DF29 高井幸大選手

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テキスト/隠岐 麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Oki Marina photo by Ohori Suguru (Official)

経験は、そのひとつひとつが積み重なってキャリアになる。
192cmの体躯と“ポテンシャル”を持ち、自分を信じて、サッカー選手になった。
高井幸大の冒険は、まだ始まったばかりだ。

パリ・サンジェルマン戦「俺が絶対に点取ってやる」

「あの子は、ここ一番とか、注目を浴びるような対戦相手とか、そういう場面に出くわすことが好きだし、そこで力を発揮できるタイプ。守備の選手ですが、俺が点を取ってヒーローになってやる、というようなところが中学生の頃からありましたね」

と、フロンターレU-18監督の長橋康弘は切り出した。

 ちょうど1年前の2022年7月──。パリ・サンジェルマンとの試合、18歳の誕生日を9月に控える高井は、ベンチで、試合を観ながらこう思っていた。

「早く、俺を出してくれー!」

 86分にピッチに送り出された高井は、楽しみでワクワクした気持ちで心を満たし、物怖じすることなく溌溂とプレーした。

 スタンドには、高井が一番仲が良い小学校、中学校時代の友人たちも観に来てくれていた。

 長橋は、「高井、ゴール狙っているんじゃないの?!」と、少々ヒヤヒヤしたという。

 

「もし出たら、点を決めてやるって思っていたし、『あの18歳、誰だ?』って自分の名前を知らしめようと思っていました」(高井)

「やっぱり、そうだったか」と、長橋の表情は苦笑いという感じだったが、こうしみじみと話していたことが印象的だった。

「オニさんは、多分そういうチャレンジをプラスに受け取ってくれる人だと思うんですよね。選手のチャレンジや強みを最大限に生かそうとしているのだろうということは、試合を観ていて感じます。そういうところは、私自身も参考にさせてもらっています」

 実際に、後日、鬼木監督が高井について、「守備の選手ですけど、攻撃が好きで、多分、点を取りたいと思っていますよね。やってやろうという気持ちが強く、強い相手とやることを楽しんでいる。おどおどしていないし、そういうメンタリティーは頼もしい」ということを話しており、長橋が言っていたことへの答え合わせができたような気がした。

ピックアッププレイヤー 2023-vol.11 / DF29 高井幸大選手 ピックアッププレイヤー 2023-vol.11 / DF29 高井幸大選手

フロンターレでFWからDFへ

 高井幸大は、2004年9月4日に生まれた。出身は横浜市鶴見区。

 幼稚園の頃に、母親同士が仲がよかったことから、友人がいたリバーFCでサッカーを始めた。リバーFCには幼稚園から小学4年まで所属。TAKAサッカースクールにも通っており、小学2年の暮れに横浜F・マリノスのスペシャルクラスのセレクションに合格。3年生からは平日に2日はF・マリノスでのトレーニングも始まった。幼少期はピアノ、空手、水泳も習っていたが、その頃には、習い事はやめて、サッカーだけになっていた。

 F・マリノスのスペシャルクラスには、都内や神奈川県内から選りすぐりのうまい子たちが集まってきていたため「そのなかで自分はそんなに上手じゃなかったんじゃないか」と本人は記憶している。

 ちなみに、幼少期に親の影響で等々力でフロンターレの試合を観たことがあり、フォワードだった高井は、鄭大世とジュニーニョが好きで、9番と10番の背番号が入ったユニフォームを持っていた。

 フロンターレアカデミーに入ったのは、5年生から。

「セレクションは、フロンターレもマリノスも両方受けて、フロンターレのセレクションには受かり、マリノスは受からなかったと記憶しています」

 セレクションにはフォワードとして合格したが、いざ入ると「1週間ぐらいで、センターバックになっていた」という。

「リフティングがあまりできなかったから、課題をクリアするために、公園で練習したりしていました」

 FWからDFへ──。

 現在の高井にもつながっていくポジションにコンバートした理由を当時、U-11を率いていた玉置晴一(現U-18コーチ)が教えてくれた。

「セレクションは小学4年の9月にあり、高井は早々に合格して、スピードがある選手だと聞いていました。彼は5年生の4月を待たずに年明けぐらいからちょっとずつ練習に参加していたのですが、僕が見た印象は、前の選手にスピードを求めるアカデミーの選手像があったなかで、身体の成長もあったと思いますが、そこまで特別なスピードは感じなかったんですね。最初の頃は、フォワードとしても少しプレーはしていたのですが、そのまま前でやらせるよりも、後ろでやった方が彼が生きるんじゃないかと思いました。その時に、パッと思い浮かんだのが板倉滉でした。彼も小学4年でセレクションでは一番点を取ってフォワードとして入ってきたのですが、その後は、ボランチやディフェンダーとして成長していきました。高井のことは、板倉をモデルケースにして、早めに後ろでの経験値を積ませていくことが大事なんじゃないかと思いました」

スペイン遠征で世界と遭遇

 フロンターレU-11は、小学4年生の3月に行われたコパトレーロスカップで優勝をしているが、高井は、松長根悠仁らと一緒に出場しており、早速ディフェンダーの選手として参加した。その後、U-11は5年生の時に、コパトレーロスカップ優勝の招待チームとしてイベルカップに参加するためスペイン・マラガ遠征に行き、レアル・ベティスやユベントスと対戦している。パリで8時間のトランジットの間につかの間の観光をしたり、楽しい思い出として高井の記憶にも色濃く残っている。

 決勝トーナメント1回戦のスペイン マルトス戦は、終了間際に高井のミドルシュートが決まり、勝利。続くレアル・ベティスは「めちゃくちゃ強かった」(高井)が、1-1でもつれ込んだPK戦をフロンターレは全員が決めて、かろうじて勝利。同じ宿舎に泊まり、プールでいろんな国の選手たちと一緒に遊んだり、礼儀正しく規律がしっかりしていたフロンターレは、海外チームから写真やビデオを撮らせてほしいと言われることもあった。

 そのなかでも、「こんなにうまい選手がいるんだ」と高井も驚いたレアル・ベティスの10番には、後日談がある。

 このスペイン遠征には、スカウトの向島建も当時育成の仕事も兼ねており、帯同していた。レアル・ベティスの10番は、ひときわ気になる存在で、目が釘付けになったという。大会が終わる頃、バスで宿舎に戻ったとき、たまたまその子が後ろの席にいて声をかけた。「ベティスのトップ(チーム)をめざしているの?」と聞いたら、「No, バルサ!」と返ってきた。名前を聞いて、写真を撮らせて、と言ったら、最初は照れからか拒まれたが、バスを降車する前に、横顔だったが1枚だけ撮らせてくれた。

 それから数年が経ち、高井が高校2年でプロ契約を結ぶことになり、「あのベティスの10番、めちゃくちゃうまかったな」と向島は高井と懐かしい思い出話をしていた。気になって調べてみると、ベティスのアカデミーにもトップチームにも彼はいなかったから、「厳しい世界だな。あんなにうまい選手でも残っていないのか」と思った。

 その話を聞いていた強化部の伊藤宏樹から、「名前は何ていうんですか?」と聞かれた向島は、こう答えた。

「“ガビ”って言うんだよ」

「建さん、それ、バルセロナのガビじゃないですか?! 17歳の」

 慎重な向島が「写真を撮らせてほしい」と思わず大胆にも声をかけてしまうほど惹かれるものがあった少年のその後を知り驚いたとともに、自分の“スカウト魂”を実感した出来事だった。そういう思い出とも重なり、あのスペイン遠征で5年生だった高井が、高校2年生でプロ契約することにも感慨深い気持ちになっていた。

「世界にはすごい選手がいて、ガビとも対戦してきた。高井もその後、年代別の代表にも選ばれるようになって身長もあってスケールの大きさはクラブとしても期待してきました。板倉以来、久しぶりにディフェンダーでの(アカデミーからの)トップ昇格で、私としてもよく出てきてくれたなと思いましたね」(向島)

ピックアッププレイヤー 2023-vol.11 / DF29 高井 幸大選手 ピックアッププレイヤー 22023-vol.11 / DF29 高井 幸大選手

アカデミーで学んだこと

 アカデミーのコーチ陣も、高井はいずれトップチームでやる選手になるという感触をもっていた。

 

「性格は、おっとりしていて天然。でも、試合に入ったらスイッチが入る。そういう印象は、小学生の頃から変わらない」というのは、U-12時代は監督として、U-18では高井と同じタイミングでコーチに就任し、指導した佐原秀樹だ。1997年、フロンターレ創設時に高卒第一期生として桐光学園高校から加入し、自身もディフェンダーとして現役時代プレーしていたため、コーチと選手としてポジション別の練習などで時間を共に過ごした。

「高井のことは、小学6年の時に見ていました。早い子は飛び級で3、4年生ぐらいから入ってくる子もいるので、技術的にはジュニアに入ってきた頃は、まだ足りていなかったけど、当時から身長が高くて、その割に動けていましたね。高井は大きくても筋肉質ではなく、手足も長かったので、早熟なわけではなくて、この子は学年が上がったらさらに身長が伸びていくだろうなと感じていました」(佐原)

 育成年代で選手を育てるポイントは、カテゴリーごとに変わるが、佐原は小学6年生から高校生になった高井の変化をどう見ていただろうか。

「ジュニアでは、ストレスなくボールを扱うところから始まり、基本的に個人の技術を上げるところが重要です。もちろんトップチームのようなサッカーはまだできないし、その後、学年が上がっていくと、3人、4人の関係を覚えていく必要もありますけど、基本的には個のところです。高井は身長があってポテンシャルもありましたが、ボールを扱うところについては言われて取り組むことで意識をして、少しずつ追いついていきました。U-18になると、すでにポジションも決まってきていて、選手個人の勝負するところも分かってくるので、自分の経験や本人の足りないところを伝え、時には映像を見せながら、よりサッカーの話ができるようになってきます。

高校生になった高井は、190cmオーバーで、ここまで大きくなったんだということと、顔つきも大人になったなと思いましたけど、根本的な性格は、いい意味で変わってなかったかな。想像通りというか、大きいけど動けるのが一番いいところだと感じていました。守備の練習では、ヘディングもたくさんしたし、シンプルに長いボールを蹴ることなどいろいろやりました。元は前の選手だったので、対人プレーは、まだ得意という感じではなかったですね。

印象深いのは、高校1年の年明けの富士通スタジアム川崎でふたりで話したことですね。怪我もあったり、出られない時期もあって、気持ちが落ちていると感じたことがありました。高井は自分が望めばトップに行ける可能性を僕らも感じていましたし、U-18は学年も関係ないので、1年生だろうが関係なくやった方がいいし、もっと時間の使い方だったり、トレーニングの中から意識して意欲的に取り組まないともったいないよ、という話を彼のポテンシャルを認めていたからこそ、あえてしたことがありました」(佐原)

 高井がアカデミーで小学5年から過ごしてきたなかで、U-15とU-18で指導していたのが現U-18監督の長橋康弘だ。

 中学時代の高井は、どんな印象だったか長橋に聞いた。

「小学生の時から、この子は確実に大きくなるなと感じていましたし、中学生の時も身長はさらに伸びるだろうと思いました。大きい子はポゼッションの練習が苦手なところもありますけど、彼はそうは見えませんでした。将来的な可能性はすごく感じていましたし、だからこそ、この子はトップに上げなければと私自身思っていました。プロに近い素質を持っていたので、とにかくゲームに使っていくことは必要だと思ったし、集中力が切れていると感じたときには、それを指摘したこともありました。そういう面では、辛抱強くみていきましたね。元々のポテンシャルは高かったので、試合に出ることで、しっかりしてきたところはあったと思います」

 U-15時代には、初めて年代別の代表にも選ばれ、「意外と俺ってできるんだと感じた」と自信につなげた。

「ヤスさんには、僕が中学2年のとき、夏頃から1学年上の試合に出してくれて、それがすごくいい経験になりました。高校1年の時も、いまいち体が動かせなくて思うようにプレーできず、1対1も得意ではなかったし、みんなよりも1テンポ遅いと感じていましたが、それでも試合に出してくれて、自分に期待してくれてありがたかったです」(高井)

 U-18は、高校1年から3年生まで一緒のチームで活動するため、身体能力の差から高井のように1年生の時に「思うように体が動かない」と、実際以上に感じる選手は多いという。

 GKコーチの浦上壮史は、GK選手らサイズの大きい選手たちのアジリティを強化するトレーニングを長年担当してきた。高井自身は「きつくて、苦手だった」というが、実際そうしたトレーニングで成長期にサポートしてもらったことは、その後に生きたはずだ。

2022年──。

 2022シーズンは、高井にとって、一番変化があり、「大変な1年」だったと言える。すでにトップチームで練習をしていた高井は、トップの試合に帯同しない場合は、週末のU-18の試合に参加するというサイクルを送っていた。その合間には年代別の代表に参加することもあり、忙しいなかで様々な環境に適応する難しさもあっただろう。

 シーズンの初めは、マレーシアでのセントラル開催となったACL遠征に帯同し、第2節広州戦で交代出場して、プロデビューを果たした。マレーシアからプレミアリーグに初参入したU-18の戦いのことも気にしていた。

「年が明けてから一度もU-18の練習には行けてなかったなかで開幕をして、優勝を目指しているのは知っていたので、実際にどんな感じなんだろうと結果を見ていました」

 フロンターレU-18は第5節まで4勝1分と開幕から好調を維持していたなか、高井が初めて出たのは5月8日第6節柏レイソルU-18戦のこと。5対1で勝利したが、高井は、珍しく緊張したという。

「自分が出て負けてはいけないと思ったし、プロで出た実績もあり、そういう目で周りから見られていたこともあったので、緊張していました」

 トップチームではレベルの高さに必死にくらいつき、それから週末の試合でU-18に合流し、「スピード感はトップとは違うので、もっとやらないと、うまくなろうと思って考えすぎて、よくなかったこともあった」と高井は振り返る。長橋は、「いろんな環境や状況でやるなかで、彼なりにプレッシャーはあっただろうし、どういうテンションでやったらいいか、自分の感情をどこに置いていいか、難しかったのかもしれないですね」と思いやった。 

「ヤスさんには、メンタル的にきつかったときに声をかけてもらいました。昨年は、トップチームや代表、U-18といろいろなカテゴリーに行き、たぶん温度差もあって、U-18の時にあんまり自分のプレーに納得がいかなかった時に、『仲間のために、大切にやれ』という話をしてもらいました。その時に、高3でみんなとやるのは最後なんだと改めて考える機会になりました。ヤスさんからは戦うところは一番提示されましたし、そこは疎かにしちゃいけないよねって。あとは、ヤスさんはすごくサッカーが好きだと思うので、戦術面とか客観的にサッカーが分かったというか、そういうものを落とし込まれたなと思います」(高井)

「戦術面を落とし込まれた」と高井が言うのは、例えばこういう長橋の取り組みによるものだろう。

「彼には、プレーエリアを広くカバーできるよう成長してほしかったので、例えばサイドバックの後ろのスペースのカバーリングをすることも覚えてもらいました。“守る”ということを最優先にすれば、センターバックとしてゴール前にいる方がチームとして強固にはなりますが、それが“行かなくていい”という決まり事になってしまうと、プロでやっていく上での選手としての判断にも関わってくることになる。だから、そういうことは意識して役割分担をしていました。また、長いボールを供給できることは武器になるので、右のセンターバックの位置からすっとボールを運びだして、逆サイドの前方に位置させた選手に対して、ひと振りで蹴れるように、ということもトレーニングのなかで仕組みを作って繰り返しやっていたこともありました」(長橋)

 トップチームで練習を重ねていくなかでの高井の変化も感じていた。

「何度も対角にボールを蹴りこんできたのは明らかにわかるぐらいに、蹴れるようになっていきました。ビルドアップのときに、どのタイミングでどこにつなげれば、その先につながるのか、という先のプレーを想像して適切なところにボールを配球できるというのはトップでトレーニングした成果だと感じました」(長橋)

高校2年でプロ契約、トップチームへ

 2023年8月、フロンターレU-18由井航太のトップチーム内定が発表され、1998年にフロンターレアカデミーが創設されてから、23人目のアカデミー出身選手のトップチーム加入となった。宮代大聖が高校3年生の4月にフロンターレアカデミー史上はじめて、現役高校生でのプロ契約を果たしているが、高井は、宮代より早く高校2年生の2月にプロ契約を締結した。

 高井のことは、早い時期からトップチームで将来的にやれる選手であるという共通認識を、アカデミーでもトップチームのスタッフも持っていたため、高校3年生からはトップチームで日常的にトレーニングをするということも視野に入れていた。

 高校2年の夏休みには3週間、1学年上で既にトップチーム昇格が内定していた五十嵐太陽と一緒にトレーニングに参加。

 ある日のこと、アカデミーの責任者である育成部長の山岸繁は、旧知の鬼木監督と雑談をしていた。「高井は、3年生からトップで練習させてもらいたい」と話したところ、鬼木の反応はこうだった。

「だったら、3年生と言わず、2年のうちから(トップで)参加させればいいじゃないですか」

 そこから急ピッチで話が前倒しで進展していったと山岸は振り返る。

「強化部との話もその方向で整い、本人の気持ちも確認しましたが、『やりたい』ということだったので、後日、親御さんも交えて話をしました。高校の方も単位のことなど考慮して、本人の意志も確認して通信制高校に編入する形を取りました」

 こうして、高井は2021年8月に2種登録選手としてトップチームに登録され、2022年2月には、フロンターレ史上最年少でプロ契約を締結した。

「ジュニアの頃から、僕もフロンターレの選手になりたいなと思っていました。なんとなくですが、サッカー選手になれるんじゃないかと、子どもの頃から不思議と思っていて自分を信じていました」(高井)

 あれから2年──、トップチームでトレーニングを積んできた。

 思えば、最初の1年と今とでは、環境、スピード、技術、あらゆる面でチームに自分自身が慣れて、自信をもって戦えるようになった。

「高2の夏に練習参加したときは、(周囲が)上手すぎるだろうと思って、これはヤバイと思いました。レベルが違い過ぎて申し訳ないなと思いましたし、大変でした。そんな風に感じていた自分はバカらしいと今なら思えますけど、当時は緊張してましたね。とにかく、毎日必死に食らいつく感じでした」

 先輩たちに気さくに話しかけてもらうことは多かったが、自分からは話しかけられなかった。その分、「先輩たちがどんなプレーをして、どんな風に過ごしているのかなと、よく観察していました」。

 1年ぐらいが経った頃、気づくと「自分らしさ」が出せるようになってきた。

「スピード感に少しずつ慣れていきました。小さい頃から、自分は守備の対人プレーは苦手だったし、最初はダミアンとか強い選手やスピードがある選手とやって、ただただすごいなと思っていましたけど、紅白戦でスタメンと対峙して、ちょっとずつボールを奪えたり、つなげたりできたので、時間はかかりましたけど、自分のプレーが出せるようになっていったのかなと思います」

センターバックとして生きること

「試合に出る」ことを想定して迎えた高井の2023シーズンは、実質的には3月に開催されたAFC U20アジアカップウズベキスタン2023から始まった。

 帰国後の4月5日、ルヴァンカップ浦和戦で先発に抜擢されると、夏までに十数試合に一気に出場数を伸ばすことになる。

 連続出場となると、試合に向けたコンディションの整え方、疲労回復の仕方、前節の自分のプレーを振りかえって考え、切り替えて次に向かっていくこと。最初は、何が自分に合っているのかわからない状態からのスタートだったが、徐々に自分なりの流れを掴んでいった。とはいえ、「決めすぎるとやらなきゃいけない感じが出ちゃうので、決めすぎず、身体に刺激を入れるところなどは自分なりのやり方が決まっていきました」

 この夏までの経験を改めて振り返って感じたことはどんなことだろうか。

「試合に出てみて、1試合だけ活躍することは、もちろん簡単ではないですけど、調子がよければできる。でもやっぱり、試合に出続けるとなると、コンディションやプレーの波みたいなものはあって、そこはまだ自分でも掴めていないところもあります。だから、ずっと安定して出ている選手は本当にすごいなと思います。ただ、波に対して、悪いと思ってしまうことはよくないので、気にしすぎないようにしています。実際、そんなに気にしていません」

 試合に出始めた頃、「楽しく、毎日が充実しているなかでも、試合に出る責任感が強くなった」と話していたが、一瞬一瞬が経験で、感じる部分や気づきもこの数ヵ月で数えきれないほどにたくさんのものを吸収しているのだろう。試合に慣れていくと、「要所要所のパワーの使いどころ、ここは絶対にやらせちゃいけないというポイント、かわされるんじゃなくてその前に止めるとか、声をかけて他の選手を動かすということにちょっとずつ気づけるように」なっていった。

 プロとして試合に出るチャンスを掴むという意味で年齢や若さは関係ないかもしれない。それでも相手は初めて対戦する選手がほとんどのなか、経験による引き出しを補いながらも、相手の癖や勝負所を短時間で掴みながら堂々とプレーする姿は、頼もしかった。

「選手の特徴は事前にビデオを見ますけど、フォワードの選手はたいがい足が速いので、そういうのは意識していますし、堂々とプレーすることは、サッカー選手としてすごく大事だと思っています。僕だって、相手に動揺が見られたら、攻めますからね。ボールをつけたり、攻撃面では自然と自分の感覚でプレーできていますが、守備に関しては、必死ですし、がむしゃらにやってきました。試合を重ねて、最近思うことは、攻撃のところはある程度相手を見ながらできると思いますが、守備のところはもう少し、冷静に相手の状況とか場所とかいろんなことを把握しながらやらなければいけないなと感じています」

 ちょうど1年前のパリ・サンジェルマン戦、恐いものなしで向かって行った高井は、1年後、バイエルン・ミュンヘンと対峙し、センターバックの選手として改めて感じるものがあったという。

「そうですね。改めて自分に足りないところじゃないですけど、上手いんですけど、結局、身体的なところでの差もすごく感じました。もちろん上手でしたし、チームの規律もしっかりあるなかで、個人の能力が高いから、あれだけのことがやれているんだろうなというのを感じました」

 それまでも取り組んできた筋トレも、それをきっかけに「より大切だ」と思えるようになった。84kgだった体重は、夏には88kgに増えていた。

 センターバックとしての、高井らしい発想もある。

 例えば、天皇杯3回戦水戸ホーリーホック戦で、勝利目前のアディショナルタイムにゴール前で高井のスーパークリアがあった。

「攻撃をする方が楽しいと思うし、ドリブルをしたりとか面白いだろうなと思います。そういう意味で攻撃の選手がうらやましいですけど、センターバックとして水戸戦のクリアとか、ああいうプレーは、ディフェンダーとしては気持ちいいです。よっしゃー!って。もちろん、そうならないようにその前の場面で何とかする方がいいですけど、ああいうプレーが出ると盛り上がるし、僕は好きですね」

「自分から話しかけられなかった」かつての姿はなく、先輩たちにはわからないことがあれば何でも聞きにいくようになったし、もちろん試合中やハーフタイムにも、攻守の選手とコミュニケーションを取ることを率先してやるようになった。会話の量も比べられないほどに増え、同じポジションの選手たちからいい影響や刺激をもらったことも成長につながる大きな要素になったと実感している。

「シンくん(車屋紳太郎)は相手の逆をとれる選手だし、攻撃も好きだと思います。上手だなっていつも思ってみています。ヤマくん(山村和也)とは練習試合とかでも組むことがあって、よくお互いに感じたことを話します。ヤマくんが感じたことも話してくれて、すごく勉強になります。ジェジ(ジェジエウ)は身体的に凄すぎて学べないですけど(笑)、すごいなって思います。タクマくん(大南拓磨)は足が速くてカバー能力が高いし、サイドバックでのボールの持ち方とか上手だなと思います。タナベくん(田邉秀斗)はセンターバックもサイドバックもできる。オプションがあるってことは大事だと思います。いろんな選手たちから吸収しています」

 アカデミー時代、成長を見守ってきたふたりも、教え子がトップチームで成長していく姿にエールを送ってくれた。

 自身もディフェンダー出身の佐原は、選手の育成も踏まえて、こんな話をしてくれた。

「センターバックの選手として人に強くて、ボールを弾けてという部分は絶対に持ってないといけないし、アカデミーとしてはボールを扱えて、相手を見ながらボールを運んでビルドアップができることも大事だと思っています。また、守備の選手は協調性が必要で、ひとつのゴールを防ぐためには自分ひとりじゃ守れないわけで、状況を見ながら味方との兼ね合いでポジションを変えたり、気を配れるかどうかが大事。あとは、守備範囲を広くするためには、予測する力がないとそれができないし、こまめに予測しながら修正することができる選手は、相手より一歩二歩、早く動ける。タイミングや運もプロになったら大事で、高井は10代で、まだ波はあるけど、それは試合に出ることで経験として備わってくるはずだし、すごく吸収する年齢なので、プラスなことしかないと思います」(佐原)

「(教え子たちが)高校生からプロに入って、嬉しい気持ちと心配する気持ちが半々なんです」と話していた長橋監督は、高井の未来に、こう期待を寄せた。

「彼の身長で、足元もあって、それでいてスピードも出てきている。まだまだ体は出来上がっていないと思うので、そういう意味でも、いわゆる海外にいるセンターバックが日本にもいたんだ。日本でもそういう選手が出てくるんだ、という選手に高井がなってほしいですね」(長橋)

ソンリョンと車屋の想い

 高井とセンターバックを組むことが多い車屋紳太郎は、高井の成長やプレーをどんなふうに感じているだろうか。

「今は、お互いによくしゃべりますけど、来た頃は、全然しゃべらないし、そういうタイプなのかと思っていました。誰でも最初はレベルの高さにビックリするし、僕も実際、入るところを間違えたかもと感じたことはあったし、テレビで観ていた選手がたくさんいる環境にも緊張していました。試合でのコウタは、最初から物怖じせずにやっていましたし、練習でやっていることをそのまま出せていると思いました。身長のわりに、たぶん見えている以上にスピードがあって、うちはハイラインでプレーしているので、裏に抜けてくる外国籍選手の速さにも最後には追いつける。長い距離が速い印象があります」

 車屋自身にとっても、昨年までキャプテンを務めていた谷口彰悟が移籍したため、自分がディフェンスリーダーをやるんだ、という意思を持って迎えたシーズンだった。

「彰悟さんが抜けて年齢的にも自分がディフェンスラインを引っ張っていくという気持ちが必要になると思っていましたし、とくに真ん中でプレーするので、コウタやタクマと組んだときに、自分がみせなきゃいけないというのは感じてきました。ディフェンスラインは4人のラインコントロールを合わせる声がとくに必要なので、練習からもよく話しますね。年齢差はありますけど、それは関係なく(センターバックのパートナーとして)僕は見ていますし、お互いに思ったことは言い合えていると思うので、そういう関係は大事にして僕自身も壁を作らないようにしています。コウタも声とか姿勢でフロンターレを引っ張っていってくれるような選手になってほしいと思っています」

 7月15日(土)明治安田生命J1リーグ第21節横浜F・マリノス戦、後半アディショナルタイムが4分経過し、ディフェンダーとしての万が一のリスクを理解しながらも車屋がゴール前に詰めて決勝ゴールを体ごと押し込んだのは、「このチームを自分が勝たせるんだ」という強い意志があったからこそ行動にうつせたことだろう。

「後ろにいて、この選手がいれば安心できるという安定感をチームにもたらしたり、それは守備だけじゃなく、攻撃の部分でもこの選手がいたら安定感があるという選手が必要なんじゃないかと思う」(車屋)

 車屋はそういうことを大事にしており、自分の声や姿勢、「やらなきゃいけない」と感じてプレーしている姿を、まだ若い高井にも見て、感じてもらえたらという想いも持っている。車屋がゴールを決めたとき、高井は一目散に駆け寄って満面の笑顔で車屋に抱きついた。

「なんか、かわいかったですね」と笑う車屋は、うれしそうだった。高井は劇的な勝利に、その夜「初めて試合後に、目をつぶったときに興奮していて寝つきが悪かった」という経験をした。

 8月6日(日)明治安田生命J1リーグ第22節ガンバ大阪戦は、激闘の末、後半アディショナルタイムに勝ち越し弾を決められて3対4で敗れた。高井は、ユニフォームで顔を覆って、ピッチを思い切り叩いた。そんな風に人前で悔しい感情を露わにする姿は、あまり見たことがなかった。 

「あの試合は、すごく記憶に残っています。やっぱり、なんだろう…。勝つって大変なんだなって思いました。僕自身は、失点に絡んで悔しかった試合でした。あの試合は、直接失点に絡んでメンタルも沈むところがありました。でも、まだ前半が終わってなかったし、時間もあった。まずは前半を乗り切ることを考えて、後半はフレッシュな気持ちでいきました」(高井)

 フロンターレ8年目になるGKチョン ソンリョンは、「GKは、失点するとスコアそのものが自分のプロフィールになる。そういう責任があるポジション」という話をしていたことがある。チーム最年長のソンリョンは、高井の成長をどんなふうに感じるだろうか。

「コウタを見たときは、日本に来て初めて高校生でこんなに大きくフィジカルの条件が揃っている子がいるんだなと思いました。この2年で体力がついてパワーが出たし、今年は試合数を少しずつ重ねて、チームとして防がなきゃいけない最後の最後、危険なシーンで弾き出したり、カバーをしてくれたり、ハードワークができ、そういう意識が高い選手だと思います。また、隣で組むセンターバックの選手とは、誰が出てもコミュニケーションを取りながらプレーできています。うちのチームでそんなに強く言う選手は多くはいないので、試合中でも練習でも、ちょっと気持ちが緩んでいるなと感じたときなどは、私はあえてコウタには強く声がけすることもあります。もちろん、まだ完璧ではないところもあるし、ミスもあるかもしれませんが、今は経験を積み上げているところなので、繰り返さないことが大事で、すぐに切り替えられるところがコウタの強みだと思います。これまでのように最善を尽くしていけばいいし、悪いときは自分自身を振り返って前を見て考えて、いいものは全部自分のものにして、強みを増やしていけばいい。もっともっと大きくなるために、プロ選手としていい経験を重ねていけば、この先、日本代表にもなっていく選手だと思っています」(ソンリョン)

 サッカーは、ミスからもゴールや失点につながることもあり、なおかつ、ミスを恐れずチャレンジするマインドが、とても大切だ。そして、そのためにも、チームスポーツならではの声がけやコミュニケーションを大事にすることで、チームを前向きにしていく。守備の選手も、助け合い、協力し合いながら、たとえ、ミスから失点しても、時間がある限り、切り替えて回復していくメンタルやあきらめない気持ちも必要で、そういうこともまた、経験を重ねるなかで培っていくものなのかもしれない。

 車屋が、こんな話をしてくれたのが印象的だった。

「僕は、後ろに限らずどのポジションでも、そのポジションなりの大変さがあると思っています。もちろんセンターバックは失点に絡めば、映像に出て、言われることもあるし、難しいところはあります。その回数を減らしていくことは大事ですけど、試合を重ねながら、徐々に気を付けなければいけないことは学んでいくものだし、でも、学んでも0にすることはできない。そうなったときに、もちろん反省はしなくてはいけないですけど、人間なので、また同じミスをするかもしれない。それは、サッカー選手に限らず、どの仕事でもそうだと思うし、どんなに集中していても起こってしまうことはあるので、反省は大事ですけど、引きずりすぎるのはよくないし、それで積極的なプレーができないとそれはそれでよくないし、そこはバランスが難しいところではあります。僕自身は、引きずることも引きずらないこともありますけど、選手は1試合で評価がガラっと変わるものだと思うので、たとえよくなくても引きずる必要はないと思うし、次の試合でまた頑張ればいいだけ。逆にいいときほど、調子に乗りすぎない。そういうバランスが大事かなと思います。ただ、切り替えられることは、選手として一番大事なメンタルなんじゃないかなと思います」(車屋)

もっともっと──。

 グループステージで敗退した5月に行われたU-20ワールドカップ。本職ではなかった右サイドバックで出場し、大会が終了すると、高井はこう綴っていた。

「もっともっと強くなり成長します」

 いろんなことを肌で感じて、こう振り返った。

「同学年やひとつ上の世代もそうですけど、代表に入ることは大事だと思っています。アジア予選(アジアカップ)やワールドカップという大会に行って、感じられたこともあるし、海外の選手はゴールに直結するプレーが多くて、対人でもひとりで守れる強さがあった。知らない選手もいたし、世界にはいろんなすごい選手がいっぱいいるんだなと感じるものがありました」

 9月1日、パリ五輪を目指すAFC U23アジアカップ カタール2024予選のメンバーに高井幸大は、選出された。

 少し前に、こんな風に将来のことを話していた。

「上をめざしていきたいです。サッカー選手として、ちょっとでも上にいけるならいきたい。具体的に何年後までにこうなりたいというものはないですが、一回しかないサッカー選手としての人生なので、やれるうちにやっていきたいです」

 2022年11月、カタールワールドカップの舞台にチームメイトであり先輩の谷口彰悟と山根視来が立ったことを、「すごくないですか? かっこよかったです!」と目を輝かせて、こう続けた。

「今はまだそこまでの実力は僕にはないです。でも、めざしたいです。ワールドカップに出るなんて、そんな光栄なことないですよね。やれるならやりたいし出たいです」

 これから先に思いを馳せた時、ワクワクする未来を想像させるパワーを与えてくれる。

 チャレンジとポテンシャルを掛け合わせた先に、どんな物語が待っているだろうか。

 高井幸大の冒険は、まだ始まったばかりだ。

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[たかい・こうた]

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川崎フロンターレU-18出身。190センチを超える高さと体の幅が最大の武器のセンターバック。足元の技術やステップワークも年々向上し、隙のないDFとして進化を続ける。高校2年生でプロ契約を結び、2023シーズンよりトップチームに専念。アカデミーでは最終ラインの砦として活躍。年代別日本代表にも選出されており、フロンターレの主力だけではなく日本の主力へと成長してもらいたい。

2004年9月4日、神奈川県横浜市生まれニックネーム:こうた

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