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ピックアッププレイヤー 2023-vol.14 / SPECIAL ISSUE ~2人のグラウンズマン~ すべては勝利のために

SPECIAL ISSUE ~2人のグラウンズマン~ すべては勝利のために

テキスト/高澤真輝(オフィシャルライター) 写真:大堀 優(オフィシャル)  text by Takasawa Shinki (Official Writter) photo by Ohori Suguru (Official)

欧州ではグラウンズマン、またはグラウンズパーソンと言われるが
日本ではグラウンドキーパーという呼称がしっくり来るだろう。

この仕事で最大のミッションとしているのは選手が最大限のパフォーマンスを発揮できる芝生を作り上げること。

もちろんフロンターレにもチームが勝利をするために日々奮闘している
湘南造園株式会社(以下、湘南造園)の大野 毅(麻生グラウンド ヘッドグラウンドキーパー)と
佐藤 光(等々力競技場 ヘッドグラウンドキーパー)がいる。
2人はどのような思いをもって芝生とサッカーと向き合っているのだろうか。

第1章 「大好きなサッカーに関わる仕事ができている」 (大野)

 麻生グラウンドに広がっているのは綺麗なピッチ。凸凹もなく、突然ボールが跳ね上がることもない。そんな選手がプレーに集中できる芝生を作っているのがチームに愛情をもって仕事に励んでいる大野 毅だ。

 湘南造園に入社したのは2013年の22歳。学生時代は名門の東海学園大学に進学するなどプロサッカー選手になることを夢見てきた。しかし結果的にはオファーは届かず、振り返ってみると「いま間近でプロ選手を見てるからこそ思うことですが、あのときの自分にもっと本気で目指せよ…… と言いたくなります(笑)。それぐらいプロの選手は意識も高いですから」と少しだけで悔しそうな表情を浮かべていた。

 当時から人生をサッカーに懸けていたからこそ、プロになれなくても絶対にサッカーに関わる仕事をしたい強い信念があった。

 とはいえサッカー業界はタイミングや縁がなければ入ることが難しい世界。だからと言って簡単に諦めなかった大野は片っ端からインターネットで仕事を探した。

 そして見つけた湘南造園にすぐさま応募すると、湘南ベルマーレの練習場である馬入ふれあい公園に配属されることになった。

 サッカーに関われること、ましてや憧れていたJリーグクラブに関わる仕事ができることに舞い上がり、意気揚々と社会人1年目を迎えようとしていた。だが、待っていたのは苦難の連続だった。

「3年目くらいまでは、厳しすぎて打ちのめされ続けていました。最初はまったく仕事ができなくて求められることも全くできず……。絶望しかなかったです。安易な気持ちでJリーグクラブと関われると思ってウキウキ気分で入社したけど、自分が想像してたようなキラキラした世界ではなかったです。でも、プロサッカー選手は厳しい世界で戦っているし、そこに関わる仕事だから同じくらい厳しいのは当たり前。当時は植物の知識もないし先輩たちに追いつけるように勉強をして、プロ選手が使うのに相応しいグラウンドを作るために必死でした」

 そんなに厳しいなら辞めてしまえばいいじゃないか。そう思う人もいるだろう。実際に大野は泣きそうになるくらいの日々を過ごしていた。でも辞めたいと思うことは一度もなかった。

 「大好きなサッカーに関わる仕事ができていることが大きかった。それでご飯を食べられるなんて幸せなことですから」と大野。だから折れることなく、毎日「そんなんじゃダメだぞ」と自分の尻を叩いて仕事に励むことで経験を積んでいった。

フロンターレの強さの理由

 フロンターレとの関わりが始まったのは3年目の2016年。

 馬入ふれあい公園と麻生グラウンドを掛け持ちで作業し、4年目の2017年からは麻生グラウンドに固定勤務。2021年からヘッドグラウンドキーパーとして管理をするようになった。その濃い時間を選手やスタッフと過ごしていくうちに感じたのは強さの理由だ。

「フロンターレはすごくいいチーム。僕らのような立場にもフレンドリーに話してくれて信頼されているなと感じますし、みんな人として素晴らしい方ばかりなので強い理由も分かります。コミュニケーションをとるのはスタッフの方が多いですが、練習する場所も僕から『このメニューはここでお願いします』と芝生の状態を見ながら相談させていただいています。その要望を基本的に100%で応えてくれるし、協力的でありがたいです。それこそ、クラブハウスからグラウンドにつながる階段を降りて、すぐにウォーミングアップしたほうがストレスもないと思います。でも、1番端っこでウォーミングアップすることをお願いしても、嫌な顔一つせず当たり前のようにやってくれるんです。本当に芝生のことを理解してくれているチームなんだなと感じます」

 湘南造園は選手がストレスを感じることなくベストな状況を保つことを大きなテーマにし、練習前に芝刈り、練習後には芝を補修して肥料を撒くことが基本の業務。梅雨の時期は日照不足となり、芝の調子が落ちてしまうときもあるなかでも、毎日いい状態を保たなければいけないのだから難しさもあるだろう。ただ「毎年、色んな発見があってアップデートして毎年追求をする。とにかく最高の芝生を作るために、階段を登り続けないといけないんです」と話したあとに、大野は口元を引き締めた。

「それに人間は満足したら先はないと思います。だからどんなクオリティーだろうと満足してはいけない。それがプロとして大切なことです。チームがタイトルを獲得したシーズンでもグラウンドが完璧だったかと言われればそうではない。必ずしもチームの成績とグラウンドのクオリティーが同じように比例することはないと思います。だから僕らは常に追求し続けないといけないんです」

一番大事なのはチームを愛すること

 仕事をするうえで大野が1番に意識しているのは練習のクオリティー向上。

「選手たちが練習で本来のプレーをすることができなければ選手の人生が変わってきてしまいます。だから本当にいい状態を保たなければいけません。選手にとって1日1日が大事だし、特に出場機会が多くない選手はその日がアピールをするとき。試合に向けて準備している選手にとって大事な時間の多くを芝生で過ごしています。だからこそ責任感は大きくなります」

 そういった熱意をもって働くうえで、幹になっているのがチームへの“愛”である。

「やっぱり1番大事なのはチームを愛すること。芝生を整備してピッチを作った先にチームをサポートする目標があります。その思いこそが重要。もちろんグラウンドが悪くなってしまうことや納得がいかない時期もありますが、チームのためを思えばなんとかしようとしますよね。芝生も思った方向にいかないときもありますが、チームのためにという思いが原動力になっています。それがあれば必ずいい方向に向かっていくと信じていますから。もちろん芝生のことも考えますが、1番はチームを支えたい思いが強いです。だから、チームが求めていることが達成されたときの喜びは計り知れない。

 僕らは湘南造園の人間であって社会的に見れば部外者の人間です。でも僕たちはチームと同じ温度で仕事をしているからこそ試合結果に一喜一憂します。負ければ相当落ち込みますし、勝てばすごく嬉しい。もちろん負ければ僕たちの1週間の準備で何かが悪かったのかなと思いますし、僕たちはチームが勝点3を取れるかどうかにフォーカスしてやっています。すべては勝利のために戦っているんですよ」

 そんな思いをもって作っているグラウンドについて、チームを側から見続けている小林映登副務も舌を巻く。

「麻生の芝は抜群にいいです。あとグラウンドのライン引きを1週間に2回ぐらい引き直すことがあるのですが、3時間ぐらいかかることなので大変なことだと思います。でも、それをやってくれることで、よりいい芝生の場所でトレーニングをすることができているし、フロンターレらしくボールを走らせる要因にもなっています。フロンターレのグラウンズマンは本当にすごいですよ」

 チームの要望にはすべて応え、とにかく使用者の目線で管理するのが大野の流儀でもある。

「仮にオニさん(鬼木監督)に芝を枯らしてくれと頼まれれば枯らします。それがチームの求めることで、チームのためになるのであれば躊躇なくやります。また、芝生のことを考えれば芝刈りや水撒きなど芝生的に控えたいタイミングはありますが、そこで芝生のために選手に我慢してもらうのではプレーヤーファーストとは言えない。自然を相手にしてるので言い訳をしようと思えばいくらでもできますが、どんな状況であろうが選手がストレスなくトレーニングできるピッチコンディションを常に保つことが我々の使命なんです」

チームや選手の成長を直で感じられる面白さ

 グラウンドキーパーの面白さの一つはチームや選手の成長を肌で感じられること。日々の選手たちの努力。なかなか試合に出られなかった選手がメンバーに入って活躍する瞬間。毎日、集中して自分に矢印を向けて練習に励んでいる選手たちを何人も見てきた。

「特にアオくん(田中 碧)は印象に残っています。試合に出られないなかでも、毎日のように自主練に励んでいましたし、最後にグラウンドから上がるのは必ずアオくんでした。そんな姿を見ていたので、彼が日の丸を背負って活躍しているのはとても感慨深いものがあります」

 そんな選手たちを見守り、常にチームに愛をもって仕事をしてきたからこそ大野は立派なグラウンドキーパーへと成長した。

 麻生グラウンドも数年前まで毎年夏芝がいない状態もあり、朝から晩まで作業をしていた時期もあった。いま思えば過酷な夏だった。そういったことを乗り越え、ここ数年で芝生に対して様々なアプローチができるようになり、グラウンドコンディションが安定してきている。

 ただ、この仕事は1+1が必ずしも2になる仕事ではないため、試行錯誤の繰り返し。もっと追求し、チームの力になっていかなければいけないと自分自身に矢印を向ける。

「われわれは言ってしまえば外部の人間なので、個人や会社の利益などを優先することもできますが、それではサッカーを仕事にしている意味がない。チームの皆さんと同じ土俵で同じ目標に向かっていくからこそ、この仕事をやる意味があると思います。これからもフロンターレを愛して仕事をしていきたいです」

 熱い情熱と愛情が詰まっている麻生グラウンド。そんな大野が作るグラウンドだからこそ、いつも綺麗な芝生に目を奪われてしまうのだろう。

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第2章 『やっとやりたい仕事を見つけた。これだ!』 (佐藤 光)

 選手たちがサポーターの大声援に後押しされて戦うフィールド・等々力陸上競技場の芝生を管理しているのが佐藤 光。スラッとしたモデルのような体型で、こんがり焼けた肌と柔らかく笑ったときに白い歯が光る。物腰の柔らかい話し方で絶妙な距離感をとってくれるため、初めて会った人は“ナイスガイ”だ、と感じるだろう。

 佐藤がグラウンドキーパーになったのは2009年の28歳。美容専門学校に通って美容師を目指して免許を取得したが、どうしても自分が美容室で働いている姿を想像することができなかった。それから卒業後も自分がやりたいと思える仕事を見つけられず、工場勤務をするなどで生計を立てながら趣味のサーフィンに没頭。そんな日々を送るなか、人生を大きく変える場所を訪れた。それがサーフィンを目的に足を運んだバリ島で宿泊したコテージの庭。自然豊かで緑が広がっている場所に魅了され、幼少期から植物が大好きだったことを思い出した。その瞬間に思い立った。

「日本に帰ったら庭に関わる仕事をしよう」

 帰国後、すぐにインターネットで調べて見つけた湘南造園にすぐさま電話をした。ただ、募集していたのは庭ではなくてグラウンドキーパー。でも、迷うことなく湘南造園が芝生を管理している平塚競技場(現・レモンガススタジアム平塚)に面接へ行った。

「実はよく地元クラブの湘南ベルマーレの試合観戦で平塚競技場に行っていたことがありました。そのときも芝生がすごい綺麗だなと感じていたんです。そして面接当日に『もし本当にやりたければ連絡をください』と言ってくれたのですが、僕はその場で『やります』と即答しました。もうガツンときちゃったんですよ。『やっとやりたい仕事を見つけた。これだ!』って」

 13歳のころはプロサッカーを目指していたことがあった。そのときからは想像もしていなかっただろう。自分が違う形でサッカーに関わり、ピッチに立つということに。

 そして2009年に湘南造園へ入社した佐藤は平塚競技場に3年間勤務したあと、湘南ベルマーレの練習場である馬入ふれあい公園サッカー場を2年間、フロンターレの練習場である麻生グラウンドを2年間。その後は平塚競技場のヘッドグラウンドキーパーとして働いた。

「働き始めた頃から同じだけど、どれだけ長時間働いても、あの作業はもう二度としたくないという作業が一つもないんです。芝生をよくするために芝生と向き合って楽しかった。だから仕事に行きたくないと思ったことはなかったです」

 そう笑顔で話す佐藤にとってグラウンドキーパーの職に就くことは運命だったのだろう。こうした年月を経て2023年4月から湘南造園は等々力競技場の芝生管理をするようになり、佐藤がヘッドグラウンドキーパーを務めることになった。

今でも忘れない中村憲剛からの言葉

 芝生の管理は簡単なものではない。試合で使ったあとは傷を補修して肥料を撒くといった作業も、ただやればいいわけではない。どのタイミングで、どれだけの量を撒くかによって肥料の価値も変わる。

 加えて試合が終わったら短く芝生を刈り、芝生を一度壊してリノベーション。さらに機械で「エアレーション」という空気を入れる作業などを繰り返してホームゲームをピークに最高の芝生を完成させていく。

「日によって芝生は微妙に違いますし、季節によって変わってくるのでやらなければいけないことがたくさんあります。それをやっていかないと次のステージの階段を登っていくことができないので、絶対に踏み外せないんです」

 単に芝生を綺麗にするためだけではない。すべては選手たちに最大限のプレーを発揮してもらうためにやらなければいけない作業なのだ。

「選手たちが足を踏み込んだときに芝生が凹まないと膝や体に負担がかかってしまうので適度な柔らかさが必要です。もちろん深く踏み込んだところは凹んでしまうので、試合前やウォーミングアップ時に平らにしてあげる作業もします。その一つひとつを直さないと選手はヘッドダウンせずにプレーすることができませんから。それに、僕たちが勝手に思っていることですが勝点はわれわれが握っています。そうやって自分にプレッシャーをかけているところもあるのですが、年間の勝点をグラウンドキーパーの力でどれだけ引き寄せられるか。とにかく選手が最高のパフォーマンスを発揮できるピッチを作らなければいけないんです」

 このように佐藤がプレーヤーファーストで仕事をしてきたからこそ平塚競技場を管理していた2019年に、ある選手にかけられた言葉が胸に響いた。

「いまでも忘れません。なぜなら今まで言ってくれて1番嬉しかった言葉でしたから。それは2019年10月6日の湘南戦。フロンターレが気持ちいいサッカーをしたときの試合後、ケンゴ(現・中村憲剛FRO)が『ヘッドダウンせずにプレーできた』って言ってくれたんです。その言葉が自分の仕事のすべてだし凝縮されています。要は顔を上げながらプレーできたということですから。そういったピッチを僕たちは作っているんです。あのときは嬉しかったですね。最近、ケンゴと会ったときに引退してからしっかり話せていなかったので、改めて『本当にありがとう。お疲れ様』と言いました。でもケンゴは『ヒカルたちのおかげ。長くプレーできたのも練習場の芝生がよかったからだよ』って。逆に返されちゃいました。本当にすごい方ですよね」

今までの仕事で1番辛かった夏の記憶

 選手たちに最大限のプレーをしてもらうことを信条に働く湘南造園。しかし、4月から管理することになった等々力陸上競技場の芝生は長年の蓄積で傷み、夏芝が育たない状況になっていた。

 芝生は暖かくなっていくと春先にかけて芝が芽吹いていくのだが、その茎がない。実際にここ数年に関しては夏芝がうまく育たない状況が続いていたこともあり、冬芝を夏季まで引き伸ばすことでどうにか対応していたが、その代償として夏芝の数が年々と減少。関係者の間では、いつ限界がきてもおかしくないという声が上がっていた。

 その結果、7月半ばには夏芝がほとんど生えていない状況でサポーターからも心配する声が挙がっていた。ピッチを改善しなければいけない──。ここから気の遠くなるような作業が始まった。

「本当に危機感しかなかったです。6月の頭から圃場の芝生をポット苗にして育て始め、夏には植え込む準備をしていました」

 枯れている箇所を筒状に抜いて、そこにグラウンド外周の夏芝を植え込む。何度も入れ替えて均一にする作業が何日も何日も続いた。身体的にも精神的に疲弊したのは言うまでもないだろう。

「本当に辛かったです。精神的にも体力的にも今までの仕事で一番辛かったです。朝から晩まで一回も座らないくらい作業して、今年の夏は信じられないぐらい暑かったから外に出て10分ぐらいで汗だく。僕は毎朝ラジオを聞いて出勤しているけど、そのときはラジオも聞けなかった。その通勤時間の1時間で、気付いたら涙が流れていたときもありました。それに平塚で勤務している湘南造園の同僚たちも手伝いに来てくれていたので、ラジオで協力や感謝といったワードを聞くだけで涙が溢れていました」

 一人で戦っているわけではない。湘南造園総出で手伝いに来てくれていたことは、佐藤にとって心強かった。

「一緒に作業をしていた後輩に毎日しつこいくらい帰り際に『ごめんね。今日もありがとう。また明日も頑張ろう』って言って、次の日の朝には泣いてました。平塚から来てもらっていた後輩に直接言えないときもあって、帰って5分後に電話して一言言わせてくれと言ったときもありました」

 さらに遠方で働いている同業者の方に何時間もかけて川崎に来てもらって、噴水上に出る散水道具を借りたこともあった。そのときに言ってくれた言葉は「ヒカルくんが協力したいと思わせてるんだよ」。涙を堪えきれなかった。色んな人が協力をしてくれることで自分は支えられている。それがどんなに辛くても作業をやり続ける原動力となっていた。

「本当にあのときは朝から真っ暗になるまで水やりに行って『ヤバい。試合まであと数日しかない』とか。1日フルに働いて頑張っているだけで終わっちゃうのか…って。今まで同じ量の働きはしていたと思うし、昔はもっと働いていたときもあった。でも同じ苦労でも、感謝は出てこなかった。だから自分が成長できたのも今回のことがあったからだと思います」

 あのとき自分の道標になった言葉もある。

「100点は無理かもしれん。でもMAXなら出せるやろ」

 SNSで目に留まった名言である。「僕たちも100点を取れないことは分かっていた」。それこそ夏芝が拡がっていない状況で開催となった8月6日(日)のG大阪戦も「あんなに頑張ったのはなかなかないし、この夏は一生忘れないと思った。それぐらい大変でしたよ……」と話すように、99%ではなくて100%の力を振り絞って作業をした。その結果、8月12日(土)の神戸戦では綺麗な緑が拡がり、鮮やかな色が戻ってきた。

「8月6日の試合のあとが8月12日でよかった。もし2、3週間あればそれはよくなるよねと思うし、悪いままのイメージしか残らないと思います。でも神戸戦はJリーグのなかでも1番と言ってもいいくらい綺麗でした。もちろん色んな人から『こんなに変わっちゃうの?』とか『すごいね』と言われましたが、僕らからしてみればまだ20点。見た目は綺麗かもしれないけど下地に茎がありませんから。まだ最下位レベルです。次の日から気持ちを切り替えて作業していました」

 これだけの苦労をしているエピソードを聞くと「大変でしたね」とつい言ってしまう。でも佐藤は「大変って2文字に分けると大きく変われるチャンスなんですよ」とニコリと笑って言葉を紡いだ。

「このタイミングがきっと大きく変われるときなんですよ。だから、この経験はありがたいなと思ったし、すべてが俺のために仕組まれていたストーリーだと思うようにしていました。それは4月から等々力競技場を管理するようになって芝生の茎がなかったこととかも含めて。全部、俺のために用意されていたと思ったほうが燃えませんか? だから感謝しています」

 自分も映画やドラマの主人公のように逆境を跳ね除けることで、強く逞しく成長する。芝生も徐々に青々とした綺麗な姿に戻っていった。

勝点を握るグラウンドキーパーの仕事

 芝生のコンディションは勝点にも直結する。ケガをする選手が出てしまえばチーム状況が変わることや、凸凹だとボールコントロールが難しくなってしまうため、重要な局面でミスが起こりうることもある。だからこそ佐藤が言うようにグラウンドキーパーは勝点を握っていると言っても過言ではない。特に試合日に水を撒く量やタイミングは勝敗に直結する一つのポイントでもある。

 それが顕著に表れたのが天皇杯準決勝の福岡戦。いつも試合前とハーフタイムに寺田周平コーチと佐藤が芝生を触りながら水を撒くか決めているのだが、あの日は前半に雨がぱらついているなか話し合いの末に水を撒く選択をした。このチョイスはピタリと当たった。勝ち越し点となった53分の橘田健人のシュートはスリップしてゴールへと吸い込まれ、70分のマルシーニョのゴールはチョン ソンリョンのパントキックがバウンドして伸びたことがキッカケとなった。

「あの試合は水を撒いていてよかったと思ったし、何回もガッツポーズしました(笑)」

 言ってしまえば水を撒くか撒かないかは戦術の一つ。例えば季節によっても変わるし、ナイターであればアップ前に撒けば夜露を誘発することができるため、撒かなくてもいいときがある。このように天候なども加味して考えることで最善を尽くすのもグラウンドキーパーの仕事だ。

「もちろん水撒き一つで変わってしまうので怖さもあります。選手やポジションにもよって違いもあるし、濡れて柔らかくなりすぎてしまうと足をつってしまうこともあります。もし最後の最後で足をつってしまう選手が出てきたら交代枠も変わってきてしまいますよね。そういったことも左右してくるので責任感を感じながら選択をしています」

 いつ、どのタイミングで水を撒いたのか。それとも撒かなかったのか。それはサッカー観戦を違ったから角度から楽しめる視点にもなり、フロンターレファミリー全員で勝利をつかみにいっていることを感じられるはずだ。

 チームに大きな貢献をしている湘南造園および佐藤が等々力陸上競技場を管理するようになったのは4月から。これから年月を重ねることで、自分たちが理想に掲げる芝生が完成されることだろう。

「選手が最大限のプレーを引き出せる芝生を作って選手たちに喜んでもらえる場所にしたいです。あと2015年の朝。当時の監督だった風間さん(風間八宏)と散歩したときにサッカーの話になったのですが『ただ勝つだけではつまらない。得点で言うと4点、5点と取って観に来たお客さんをあっと言わせないと。それは芝生も同じでしょ』って言われたんです。そのとき芝生でも観に来た人をあっとさせないといけないって思うようになりました。観に来たお客さんが芝生綺麗だなと思う人もいるかもしれないけど、全員がそう思うにはハードルが高い。だからこの試合はグラウンドがよかったなと思っていても満足はしません。自分のなかでは段違いに2段階ぐらい飛び抜けていないと満足しないんです。そうじゃないとお客さんは気付かない。スタジアムに入ってすぐ綺麗な芝生が飛び込んでくる。そういった場所を目指しています。だから自分のなかでは神は細部に宿るという言葉があるように、試合前まで綺麗な芝生を保つために最大限のことを細部までこだわってやっています」(佐藤)

 芝生がプレーを邪魔してはいけない──。選手のポテンシャルを最大限発揮できるピッチを目指すために、佐藤は芝生と全力で向き合う。

第3章 フロンターレのために戦う仲間

 大野と佐藤。2人のグラウンドキーパーはフロンターレの勝利のために日々、一緒に戦っている仲間。選手とスタッフも2人が作る芝生に感謝の思いを語った。

「麻生グラウンドの芝生は練習で使えば剥がれてしまいますが、次の日にはもういい状態になっています。僕も含めて、ケガなくできているのは芝生のおかげです」(ソンリョン)

「すごく芝生がいい。あの芝生だからケガも少ないと思うし、プレーをしやすいです。本当にありがたいですよ。それに等々力と麻生が管理している会社が同じになったことで普段と同じ感覚でできているのはメリットになっています」(家長昭博)

「等々力も麻生と同じ湘南造園さんが管理するようになってストレスなくプレーできています。以前に僕が佐藤さんにコーナーキックを蹴りやすくしてほしいと要望したら、タータンから助走に入るところを滑らかにしてくれました。その結果、蹴りやすくなりました。やっぱりホームチームがアドバンテージを受けるのは応援してくれるサポーターの応援もそうだし、個人で言えば芝生によってトラップや蹴るときのボールの回転が変わってくるので、やり慣れているホームであればアジャストするまでに時間がかからない。そういった細かいところからメンタルの余裕が生まれてきます。湘南造園さんも僕たちと一緒に戦っていますし、ストレスなくできていることに感謝し続けながらやりたいです」(脇坂泰斗)

「芝生は一緒に作り上げていくものだと思っています。このピッチがなければ、いい練習ができないし、いいゲームをすることはできない。だからお互いがリスペクトし合うことが大事なんです。そのぶん、どのタイミングで水を撒くのかという細かいところもすぐにやってくれていますし、試合で勝つためにお互いが要求をし合っています。例えば、試合中にボールが止まってしまう現象が起きてしまったときに僕らは気にしていなくても、管理しているヒカル(佐藤光)がすごく気にしているから逆にすごいなと(笑)。でもそれだけ勝敗にこだわってやってくれているからこそですよね。だから僕らと話が合うんだと思いますし、感謝したいです。それに麻生と等々力も芝生が同じになったことで、練習に近い環境で試合ができるのでプラスになっています」(鬼木 達監督)

 フロンターレの助けとなるために、同じ温度感で戦うことで信頼を得ている湘南造園。今後もチームの戦う姿勢は変わらない。“すべては勝利のために”。

profile
湘南造園株式会社 [しょうなんぞうえん かぶしきかいしゃ]

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前身となる眞壁農園が神奈川県で開業したのは1世紀前にもなる1923年(大正12年)。1963年(昭和30年)には現社名の法人を設立。以来、昭和から令和にわたって「街に『憩い・潤い・やすらぎ』」を提供する企業として、芝生整備事業のほか、造園事業、石材、生花、屋内緑化、農業事業まで幅広く展開する。

サッカーなどスポーツ施設とも関わりが深く、川崎フロンターレの麻生グラウンドやホーム・等々力陸上競技場をはじめ、湘南ベルマーレ、キヤノンイーグルス(ラグビー)、平塚球場など、選手や利用者が安全快適に楽しめる環境づくりに関わり続けている。

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