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  • ピックアッププレイヤー 2016-vol.02 / U-12ヘッドコーチ佐原秀樹監督

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SEASON 2016 / 
vol.02

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U-12監督/佐原秀樹監督

テキスト/隠岐麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)、PIN//DNC

text by Oki,Marina photo by Ohori,Suguru (Official)、PIN//DNC

川崎フロンターレU-12は、今年4年ぶりとなる「ダノンネーションズカップ2015 in モロッコ」に出場し、
9位という成績を残した。そのU-12を率いているのが、佐原秀樹監督だ。
川崎フロンターレの選手として歴史の一端を担った佐原監督にインタビューを行った。

 4年ぶりの快挙だった。
 川崎フロンターレU-12は、3月に行われたダノンネーションズカップで優勝を果たした。全試合無失点という記録で、2日間を駆け抜けた。8戦やって、7勝1分。29得点0失点と見事な戦績を残した。そのチームを率いたのは佐原秀樹監督だ。

 佐原秀樹は、ご存知の通り、1997年に川崎フロンターレ新卒選手第一号として加入した。来年で20周年を迎える川崎フロンターレの文字通り、「一期生」とも言うべき存在だ。それからすぐにブラジルのグレミオに渡り1年間の留学生生活を送り、厳しい生活のなか努力を重ねて最後は公式戦にも出場して、周囲からの信頼を得るまでに至った。1998年からはフロンターレの中心選手として活躍し、2年間のFC東京への期限付き移籍を経て、2010年に川崎フロンターレに復帰。その年の末に引退をした。
 引退後の佐原は、川崎フロンターレで第二の人生をスタートし、最初の2年間はスクールコーチを担当し、2013年にU-10のコーチ、そして昨年から、U-12の監督に就任している。
 ダノンネーションズカップの優勝について佐原が振り返る。

U-12監督/佐原秀樹監督

「この学年は、4年の時に初めて自分が担当したチームだった。その頃からやんちゃだったけど、力のある学年でしたね。今年の1月に就任してから約2ヵ月間、目標はダノンネーションズカップの優勝。いい選手は多いけど、サッカーはチームプレーだからチームとして真剣勝負をしなければいけない。しっかりと結果を出して勝とうという話をしていました。ダノンネーションズカップは20分1本勝負。だからどうしても接戦になるし、失点したら厳しくなる。逆にチャンスを決められるかどうかが重要になります。決定的なチャンスがお互いに必ず1、2回あるから、そういうチャンスを決めることが大事でした。結果的に無失点で終えられて優勝することができました。2日間を通して、子どもたちの成長を感じることもできました。自分自身もギリギリの戦いというか緊張感があるなかで試合の組み立てをしていたので、優勝した瞬間、気づいたらコーチと抱き合っていました。子どもたちは、大泣きしてましたね。試合会場だった駒沢から車でコーチと帰っている時、ふと気づきました。まるで、現役時代にアウェイでいい試合をして勝って、心地よい疲れの中、帰っているバスの車中と同じ感覚だな、と。あの時は肉体的な心地よい疲れを感じていたけれど、監督になって、いろんなことを考えなくてはいけないから心地よい頭の疲れで、疲れの質は違っていたけれど、そういう充実感というのは同じだな、って思いました」

 今年で指導者として5年目を迎える佐原監督。指導者1年目はスクールの生徒たちを教えることから始まった。最初の頃は、選手から指導者に立場が代わり、難しさなどはなかったのだろうか。
「スクールでは、習い事のひとつとしてサッカーをやりにきている子もいたし、チームに所属していて、さらに練習がしたくて来ている子もいます。そういう意味ではレベルに差はあるから難しい面もありましたね。それにインサイドキックの仕方をどう説明するのか、という伝え方の難しさにも最初は直面しました。そんなことを教えたことがなかったですからね。ただ、言葉だけじゃなくてプレーを実際示してあげることで教えていきました。指導者としての難しさは、テーマを考えてそれをメニューに落とし込むことがありました。決まったメニューがあるわけではないので、自分で考える。今は試合もある学年を持っているので、週末に試合があれば、そこで出来なかったことをピックアップして翌週の練習に組み込んだり、ということをしています。あとは、子どもたちの反応にも当然、差があります。反応の速度が早い子は1回言えばすぐわかるし、何回も伝えて初めて理解できる子もいます。そこの伝え方は個人個人を見てやっています」

 U-12チームの生徒たちは、小学6年生。サッカーというチームスポーツを通して、人生においても大切になることを川崎フロンターレにいるなかで学んでいることもきっと多いだろう。佐原監督は、インタビュー中に何度も「サッカー選手である前に社会人として当たり前のことが将来できることが大事」と言っていたのが印象的だった。
「他のチームでもそうだけど、基本的に子どもたちは現地集合、現地解散で、送り迎えはしない。近くの子どもたちで集まって電車の時間を調べたりして、会場に来ています。そういうことをすることで、自立していくのだと思います。当たり前のことだけど、遅刻が続いたりしたらもちろん怒るし、準備が遅れたり、だらだらと練習していたら、練習をやめて帰したこともあります。子どもたちは、すぐ忘れたりもするから、何回か続いた時は怒りますね。いつも子どもたちに言っているけど、1日24時間の中で、たった2時間サッカーに集中するだけ。しかも、やらされているわけじゃなくて、自分がやりたくてやっていること。もちろん子どもたちにもストレスはあるだろうけど、グラウンドに出たら切り替えて集中してやってほしい。ただ、なんとなくだらだらとやっていても意味がない、ということは伝えています。流されてしまう子もいるし、こちらが言う前に『これは、まずいな』と空気を読んですぐ行動に移せる子もいます。あとは、挨拶ですね。自分らに挨拶をするだけじゃなくて、大会や試合に行った時に他のチームの方にもきちんと挨拶をしないといけない、とかそれも当たり前のことですよね。今、6年生は12人だけど、その中でプロ選手になれる人数はよくて2人、もしかしたら0人かもしれない。プロになるためにはストロングポイントを持つことは大事だし、普段からだらしなければ、プレーでも人のせいにしてしまったり、逆に気を遣える子は、プレーでも気を使えたり、全体を見渡すことができる。そういう生活態度とサッカー選手としての部分はリンクしていると思います。また、彼らがもしサッカー選手になれなくても、社会に出て何かの仕事につくことになります。そういうときにもきちんと、挨拶ができるかどうかは人として当たり前のこと。だから、僕たちは彼らの親ではないので、あくまでサッカーを通じてそういうことを教えていけたらとは思っています」

 佐原監督も、マリノスのプライマリーからジュニアユースへと所属した経験がある。そうした自身の経験と今の状況とを比べて、何か変化を感じることはあるだろうか。
「小学校の時に“サッカーが楽しかった”ということは、覚えているんだけど、何をしていたのかっていうのはあんまり覚えてないんですよ。先日、大会で当時、指導してもらった樋口さんに会ったので、あの頃どんな練習をしていたか聞いてみたんですよ。ボールまわしとかが中心だったと樋口さんは言っていたけれど、それより楽しかったならそれが一番じゃないか、と言われました。今は、例えばシステムとか指導についても情報が多いから、ある意味恵まれているだろうし、そういう中でハングリー精神が失われているような気がします。それから、サッカーは上手いけど、他のスポーツは苦手だというタイプの子も増えていますね。昔は、サッカーも野球も何でもできるタイプが多かったけど、今は遊ぶ環境が変わってしまったのかもしれないですね」



モロッコへ──


 2015年10月──。
 モロッコで世界32カ国の代表チームが集結した。いわば、ジュニア世代のワールドカップに、日本代表として川崎フロンターレが参戦した。佐原監督、楠田 耕太コーチ、U-12の選手12人、大会スポンサーであるダノンの職員ら日本チームはモロッコへ出発。約1週間の滞在期間中、全32カ国の代表選手たちは、同じホテルに宿泊し、パーティーに参加したり、分刻みのスケジュールで忙しく過ごした。例えば、日本代表チームの朝食はこの時間から、バスの出発は何時、ホテルのプールで遊ぶ時間は何時からといった具合だ。また、バスで移動する際には、警備のパトカーが先導につき、佐原監督いわく、「まるでACLのようだった」という。

 川崎フロンターレのグループリーグ初戦は、ドイツ。夏に対戦したこともあるドルトムント戦だった。日本大会と同じく、20分1本勝負、8人制の試合がキックオフ。ダノンネーションズカップ世界大会での戦いについて佐原監督が述懐する。
「ドイツ戦は、終始うちのペースだったけれど、チャンスを決めきれず、最後のミスから失点をしてしまった。次のポーランド戦は負けたら決勝トーナメントに行けない状況になるため、非常に重要な試合でした。その間にミーティングをして、やることもわかっているし、残り2試合勝つしかないと選手に話しました。それで2戦目のポーランド戦は、チャンスを全部決めたようなゲームで10対0で勝ちました。続くチュニジアにも2対1で勝って決勝トーナメントへ進みました。決勝トーナメント初戦のオランダ戦、FWに175cmぐらいの長身選手がいて、身体の大きいオランダと技術の日本という感じで、どっちが勝ってもおかしくない展開でした。オランダ戦でもミスからの失点で負けました。防げるミスだったから、本人たちもわかっていました。子どもたちはオランダに負けて泣いていたけど、次のアルゼンチン戦まで1時間しかない。ダノンネーションズカップは、32カ国が参加して1位から32位まで順位がつきます。みんなが大泣きしているなか切り替えは難しかったけれどミーティングを再びして、アルゼンチン、ポルトガル、ブルガリアと3連勝して、9~16位を決める試合で、9位になることができました。モロッコには勝ちにいくんだ、ということを選手たちにも伝えてきたし、日本チームは昨年優勝していましたから注目もされていたし、優勝が目標だったので、正直悔しい気持ちしかありませんでした」

 トップチームのサッカースタイルを継承して、後ろからのビルドアップをして“つなぐサッカー”に取り組んできた日本代表の川崎フロンターレU-12に対して、各国からの評価はとても高いものだった。ともすれば、個人の能力で戦いがちになるジュニア年代だが、日本は、つなぐサッカーで世界の場でも勝利を掴んでいた。片言の英語と、ブラジル留学を活かしたポルトガル語を駆使して、各国代表のコーチングスタッフと話をしたという佐原は、「ジャパンは、すばらしいね」と声を掛けてもらうことも多かったという。その結果の表れでもあるが、ベストGK賞に青山海が、そして得点王には、五十嵐太陽が選ばれた。個人賞は、このふたつに加えて大会MVPの3つだけなので、3分の2が、ベスト16の川崎フロンターレ(日本)から選ばれるという快挙だった。

「優勝を目指していたので正直悔しさしかありませんでしたが、すごくいい経験をさせてもらいました。こういう緊張感のある戦いはなかなか味わえないものだし、全員が海外に行くのも初めてという経験のなか、行かないとわからない体験をすることができました。オランダに負けて泣いていたところから、切り替えて3つ勝てたことはよかったと思います。他の国は選手を固定しているところもありましたけど、うちは全員出場させました。世界の舞台に出ると、日本人にはない身体が大きくて能力のある選手がだいたいいて、個人で突破して決める力を持っています。オランダもアルゼンチンもそうでした。ただ、どことやってもボールを握れる時間帯は日本のほうが長かった。監督としても、リードした時、先に失点した時、あらゆるシチュエーションを考えてシステムや選手のポジションをシュミレーションしながらずっと試合を続けていたので頭はすごく疲れましたね(笑)。まぁでも、悔しかったです」

 世界の舞台で戦うという貴重な経験を積んで帰ってきたフロンターレU-12。そうした体験をしたことで、その後の変化はあったのだろうか。そう佐原監督に尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「それが、良くない方向に出ましたね。子どもたちはダノンですごく悔しさを感じていたはずなんですね。でも、帰国して、6年最後の全国大会が年末にあり、その神奈川県の大会で準々決勝でマリノスに0対1で負けました。最後この大会に向けて気持ちを引き締めたかったのですが、どこかで緩んでいた部分が行動や意識から実はあったんですね。油断、ですね。ギリギリの戦いでは、そうした気の緩みは必ず出てしまいます。だから、この試合に負けた後、僕は選手に言いました。『お前たちの行動を見ていたら、こうなることを予想できた。だから、悔しくないよ。ダノンのときは本当に悔しかったよ』と。本当は悔しかったですけどね(笑)。この試合に関しては、やっぱりマリノスの選手のほうが、気持ちが出ていたのは確かだったと思います。もちろん、いろんな大会に出て優勝して、満足する気持ちもあるでしょう。でも、目標がプロになることだったら、ムダにする時間なんてないはずなんです。目標が高いところにあるのなら、やれるはずなんですよね。世界に行って感じましたけど、オランダもそうだし、アルゼンチンとか環境が悪かったり貧しい地域の子どもたちはハングリーなんですよね。汚いファイルをしてでも失点したくない、絶対に負けたくないという気持ちでやっていました。今の日本は環境に恵まれていますし、情報もたくさんある。僕らの時代と比べても豊かになったり情報が増えている分、変わってきているなと感じています。僕自身もブラジルに18歳で行った時に、認められるまで半年もかかった。腐りかけても頑張った。せっかくそういう経験をしてきているし、経験した人にしか伝えられないものはあるので、僕の経験を彼らに伝えていきたいと思います」

 来年で20周年を迎える川崎フロンターレ。
 その一期生である佐原が引退後、指導者として川崎フロンターレU-12を率い、今年、世界大会を経験した。

 佐原自身も来る20周年イヤーに思いを馳せていた。
「楽しみだね。それに、あのユニホーム、かっこいいよね」

 フロンターレ戦士から未来のフロンターレ戦士へ。
 その思いは受け継がれていく。

マッチデー

   

profile
[さはら・ひでき]

1997年のフロンターレ創設と共に加入した、新卒第1号選手。闘志溢れるディフェンスで、他のDF陣と並び「川崎山脈」と呼ばれ、J2時代からJ1昇格、ACLでの海外遠征など、記憶に残る場面にはいつも彼の姿があった。2010シーズン終了と同時に、足かけ14年間に渡る選手生活にピリオドを打った。引退後はアカデミー等で後進の育成をサポート、2012年にはコーチライセンスを取得、2014年にはU-12監督に就任しヤングフロンターレを導く頼もしい存在に。

1978年5月15日、神奈川県
横浜市生まれ
ニックネーム:ヒデ

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