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ピックアッププレイヤー 2023-vol.03 / U-18監督 長橋康弘

“フロンターレらしさ”と“やればできる”ということ。

テキスト/隠岐麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Oki Marina photo by Ohori Suguru (Official)

1997年から10年間、川崎フロンターレでプレーし、
引退後、アカデミーの指導者としてセカンドキャリアをスタート。今年で17年目となる。

創立から26年間、クラブの歴史を知るひとり、フロンターレU-18 長橋康弘監督。

指導者となってなお、選手を育てながら、“フロンターレらしさ”を追求し続けている。

国立競技場にて

 2022年12月11日(日)、フロンターレU-18イレブンは、国立競技場のピッチに立っていた。ユース年代の最高峰となる高円宮杯JFA U-18サッカープレミアリーグEASTでクラブ史上初となる優勝を、昇格初年度でいきなり成し遂げ、この日、WESTの覇者・サガン鳥栖U-18と対戦した。

 国立競技場のベンチには、フロンターレOBでもある長橋康弘監督始め、久野智昭コーチ、佐原秀樹コーチ、浦上壮史GKコーチらの姿があった。スタンドにはトップチームの鬼木達監督、寺田周平コーチ、高桑大二朗GKコーチらも駆けつけ、アカデミー出身の安藤駿介、脇坂泰斗、早坂勇希各選手、中村憲剛FROらも訪れていた。

 多数のフロンターレサポーターが駆けつけ、試合はキックオフ。フロンターレU-18は、DF松長根悠仁のPKで先制するも、前半は1対1で折り返す。後半、サガン鳥栖U-18のMF福井太智らのゴールで1対3とされると、フロンターレU-18は、FW岡崎寅太郎のゴールで1点差に迫るも、2対3で惜敗した。

 この試合でキャプテンマークを巻いていた10番の大関友翔は、ホイッスルが鳴ると、ピッチに倒れこみ涙が止まらなかった。

「プレミアリーグEAST昇格初年度で優勝できたことは良かったと思いますが、日本一を獲るにはまだ力が足りないと感じました。自分はU-18から加入して、最初の頃は止めて、蹴るという技術の徹底が必要で、質の違いのところで、すごく苦労しました。それでも1年生の頃から試合に出させてもらい、トップチームに昇格できました。本当に長橋監督のおかげで自分が今ここにいると思っています。もう一度長橋監督を胴上げすることをファイナルまでの1週間ですごくイメージしていました。最後に長橋監督に恩返しをしたいと思っていましたが、達成できなくてすごく悔しいです」(大関)

 こうして、2022シーズンのフロンターレU-18最後の試合が幕を閉じた。

 

 試合後に、長橋康弘監督は、こんなコメントを残している。そこには、選手たちへの思い、フロンターレへの思い、サポーターへの思いが詰まっていた。

「初めて参加するハイレベルなプレミアリーグということで、『チャレンジ』をテーマに掲げた一年、やるからには『優勝』を目指そうとスタートしました。今までとは違う意識でトレーニングを行い、試合を経過するごとに成長する選手たちを目にして、このリーグにいるべきだと実感しました。リーグ優勝は、対戦相手から学んだことを含めて、個人とチームが成長した結果だと思っています。一人ひとりの意識と、それに向かってどれだけトレーニングを積み上げることができるかで結果が付いてくることを、選手たちから学んだ一年でした。

 このリーグ優勝でクラブの新たな歴史を作ってくれた選手たちを褒めてあげたいです。トップチームの成績もそうですが、アカデミーのチームがリーグ戦を優勝したことによって、川崎フロンターレのアカデミーに入って、トップチームを目指したいと思う川崎市の子どもたちが出てくると思うので、川崎フロンターレU-18がどのようなレベルにいなければいけないチームなのか、選手たちがその価値を上げてくれたと思います。

 高校サッカーの強豪校は、"勝たなければいけない"というプレッシャーの中で選手たちがプレーしていることが分かります。『最後は絶対に勝って終わる』という意識が高く、川崎フロンターレU-18の選手たちが"勝たなければいけない"という意識を植え付けてくれたところはかなり大きいと感じていますし、これを継承していくことがこの先に大事になってくると思います。最後にファイナルで負けてしまったことも宿題として残してくれたのかなと思っているので、リーグ戦を優勝し、ファイナルも優勝して日本一になるというところを選手たちは目指していかなければいけないと思っています。たくさんのものを残してくれた3年生たちに感謝したいと思います。

 彼ら(3年生)は、この1年で『やればできる』という成功体験を積めたことがとても大きいと思います。この先は良いことばかりではなく壁にぶつかることもあると思いますが、『自分を信じる』『やれば叶う』というところをサッカー以外の世界でも『ぶれずに』『負けずに』やり続けてもらいたいと思います。

 今年は私たちの想像以上にサポーターの皆様をはじめとする多くの方々に試合会場まで足を運んでいただき、サポーターの皆様の声援が選手たちを動かし、勝点をもたらしてくれているように感じました。選手たちには常に『感謝の気持ちを絶対忘れずに』と言い続けてきました。とにかく一生懸命にプレーをして、内容と結果で気持ちを伝えようと取り組んできました。選手たちは感謝の気持ちを伝えようと頑張ってくれたと思います。

 サポーターの力を改めて感じた一年だったと思います。来シーズンも皆様の期待に応えられるよう頑張りますので、引き続き、温かいご声援をよろしくお願いします」

川崎フロンターレ U-18監督 長橋康弘 川崎フロンターレ U-18監督 長橋康弘

コロナ禍で生まれた“自主トレ”

 2023年3月15日、17時30分。

 フロンターレU-18は、新しいホームグラウンドかつ練習の拠点となるAnker フロンタウン生田に集まっていた。東京ドームよりも広大な敷地の中に、充填材には環境にやさしい自然素材も使われている人工芝のピッチ2面、練習後には、温かい料理で栄養が摂れる食堂ができ、トップチーム並みのロッカールームや筋トレができる施設が備わっている。オリエンテーションを終えた後に、練習がスタート。トップチームが掲げるフロンターレのサッカーを落としこんだ内容で選手たちはトレーニングを消化した。

「切り替えを忘れないで」

「味方を信じて、強いボール」

 など、要所で監督からの声が飛ぶ。水分補給を挟み、「たくさん触って、たくさん蹴ろう」と、テンポよくトレーニングが進んでいった。

 ゲーム形式の練習が終わった時、長橋監督が最後のメニューにしたのは、「20分間、自主トレやります」というものだった。自主性を重んじながらも、選手たちの様子を見て、時間を決めた上で、課したメニューなのだろうと感じた。

「新しいグラウンドで、もっとボールを触りたそうだなというのも感じました。でも、この自主トレというのはコロナ禍がキッカケで始まったんですよ」

 長橋がU-18監督に就任した2020年シーズンは、コロナ禍に突然見舞われた年だった。集まっての練習ができない時期も続いた。スタッフは様々な工夫を凝らす必要に迫られた。

「最初は、この状態がいつまで続くのかわからなかったので、現場としては最悪のことも想定して準備をしようと思いました。その時に思ったことは、高体連の場合、学校に行けば指導者も選手に会えますが、私らは高校もバラバラでサッカーをするための活動がなくなると、彼らに会うことすらできない。『体が最近変わってきたな』など小さい変化も感じ取ることができない。そういう日常のなかで、何ができるのかいろいろ考えました」

 そこで、長橋監督は選手たちに、こう伝えることにした。

「君たちは自立しなきゃいけない。私らと会う時間じゃなくて、会わない時間で勝負しなさい」

 トレーナーが自宅でもできる筋トレメニューを動画で撮り、オンラインで選手たちとつないで配信したり、人混みなども考慮したうえで、ジョギングをするなど各自ができることに取り組んでもらった。そういうなかで、できるだけ寄り添うことにも心を砕いた。

「公式戦がかなり減ってしまったなかでも、3年生は特に団結力があって、『なんとか頑張ろうぜ』という声も出して頑張っていました」

 大変なことが多かったなかでも、プラスを見つけていくことも忘れなかった。

 それが「自立する」というテーマであり、今でも継続している「自主トレ」時間だったという。

「翌2021年は、『君たちを大学生にした感じで卒団させたいんだよ』ということを伝えました。先ほど言ったように、コロナ禍では高体連との違いが改めて分かったところもありましたし、どう工夫して時間を作りながら取り組んでいくかということを考えさせられるキッカケになりました。練習が再開してからは、少し早く来て筋トレをするなど時間をより意識して使うように選手たちに促しましたし、あの“自主トレ”も続けていこうと思いました」

 Anker フロンタウン生田のピッチで20分間の自主トレが始まると、選手がパッと分かれて、各々が仲間を見つけてすぐに練習に取り掛かった。4か所程で、三角形になり、トップチームさながらに「止めて、蹴る」をひたすら繰り返している。ボールがピタっと止まる選手もいて、心地よいボールの音がリズムよく聞こえてくる。それ以外にもゴール前でシュート練習をするなど各々が集中して、その20分を主体的に取り組んでいた。そこに長橋監督の「自主性」の意図が詰め込まれていると感じた。

「始まりは、チームでの時間が持てないから、ひとりひとりがうまくなる、強くなることで勝負しなきゃいけなかったというところからできたメニューでしたが、ひとりひとりがうまくなるためには、絶対にそれぞれメニューは違うはず。それがフロンターレU-18らしさにつながっていくんじゃないかと思いました。だから選手たちにも『君たちがやりたいようにやりなさい。ただ、ひとりひとり違うからね。身長が大きい子、小さい子でも違うし、それぞれの武器もあるし、そういうことも考えながら自主トレの時間を作っていくよ』と伝えました」

 フロンターレU-18が目指しているのは、トップチームが体現している、魅せる攻撃的なサッカーであり、同時に球際などへの厳しさなど勝利へのこだわりである。

「私自身がトップチームが掲げるサッカーが好きでしたし、選手たちもそのサッカーに興味がある子たちでしたので、まずは、とにかくあのサッカーをやるためには、ひとりひとりがうまくならなきゃいけないよね、と何度も伝えてきました」

トップチームに近づくために

 転機となったのは、2021シーズン開幕前にトップチームと練習試合をしたことだったと長橋は振り返る。

「そこで選手たちの意識が一気に変わりました。トップのレベルを直接知り、それぞれが感じるものがものすごく大きかったんですよ。同じ“ボールを蹴る、止める”でも、トップチームの技術の“基準”が分かれば、今までやっていたことは実は止まってなかったということになる。極端に言えば、ボール拾いをさせてもらっただけでも、翌週からまったく変わるんですからすごい変化ですよ。近くでトップチームの選手がボールを蹴る音を聞き、プレーを見させてもらうだけで、それぐらいの効果がありました。いままで私らが言ってきたことは何だったのかなと思うくらいに」

 

その言葉とは裏腹に満面の笑みだった。

 こうしたトップチームとの時間や経験を長橋監督自身が「高校生とやってもらえるなんて、本当にありがたいこと」と価値を感じていたからこそ、選手たちにも「日本一のクラブと練習試合をさせてもらえるなんて、本当にすごいことだぞ」と、繰り返し伝えたという。同じ経験でも、それに価値を感じれば、さらに貴重なものになるだろうし、自ずと意識も高まるだろう。トップチームとのつながりは、大きな経験値になり、また、それは長橋監督にとって、かつて現役時代に一緒にプレーした旧知の鬼木達監督や寺田周平コーチ、中村憲剛FROの存在や助けもまた大きかったという。

「とても恵まれていると思います。オニさんは、選手を尊重して、強みに変えてくれる視点や能力が、本当にすごいと思っていて尊敬しています。それはトップの試合を観ていても感じることで、選手が強みをピッチでストレスなく表現できる環境づくりや、きっとオニさんが背中を押しているのだろうなというチャレンジする姿勢もプレーからすごく感じますし、自分もそうありたいと思います。また、アカデミーは毎年、選手が入れ替わるなかで、継続して自分たちのサッカーができるようにジュニアからのつながりを大切にしていますが、メンバーが変わるなかで、選手の長所を損なわずにフロンターレのサッカーをやっていくこともまた、私自身オニさんから感じて学んでいることです」

 鬼木監督と長橋監督は、同時期に引退したため、指導者としてスタートを切ったのも同じ2007年からだった。

「オニさんは子どもたちに対しても、伝え方がすごくうまかったし、すごいなと最初から感じていました。現役時代からキャプテンをやっていて、チームのことを考えて発言やプレーをしていた姿もみていましたしね」

 また、鬼木監督とのコミュニケーションや練習を見るなかで、「基準」に対する指導者の目を揃えることの大切さを学んだという。

「オニさんの話を聞きたいと思う人はたくさんいると思うので、本当にありがたいことですが、これまでもいろんな練習をしてきましたけど、『指導者の目を揃えることが大事』だということは、本当にそうだなと痛感しました。例えば、“止めて、蹴る”をやった場合、選手だけだとその基準はわからないところもあります。それを監督の自分やスタッフが、基準の目を合わすことが必要で、例えば、私が止まっていると思う場面でも、オニさんから見たら止まってないという場合もあるでしょう。チーム内で、基準や価値観を揃えるということが、どのトレーニングをするかより大事なんだなと思いました」

 そこからは、トレーニングの考え方や試合の見方も変わっていったという。

「もちろん選手それぞれにできる、できないということはあっても、チームとしてこだわっている、“止めて、蹴る”、“運ぶ、外す”があって、その基準はぶらしちゃいけない。そうすると、『今のは、高いレベルで止まってたって言える? ちょっと回転が残っていたよね。そうすると回転残しながら蹴らないといけなくなるよね。そしたら、出せるところも出せないよね。じゃあ、それは“止まってない”ということにしようよ』。そう声がけの仕方も変わってきました。そうすると、選手たちも今のはできていたかどうか判断し、そうやって基準を揃えていけるように徐々に変わっていきました」

「周平(寺田コーチ)もトップチームの練習試合で人数が足りない時など、連絡をくれて選手を呼んでもらったり、そういう連携もありがたいですよね。(中村)憲剛も協力してくれて、あの俯瞰で一瞬で戦況を把握する能力は、本当にすごいと思いますし、選手たちや私たちにもそれを端的に伝えてくれるんですよね。私自身も勉強になっています」

 U-18の選手たちはトップの基準を知ることができ、長橋監督始めスタッフ陣もまた、その基準を目指すためのトレーニング方法や取り組み方、試合から得られる要素を自分たちなりに取り入れて、そのことをユース年代の選手たちに、どう落とし込み、どう成長させていくかという決して簡単ではない課題に向き合い、実践していくこととなった。また、その過程においてスタッフと選手たちの目指す方向が明確になり、そこに近づいていきながらも勝つことを両立させていく日々が始まった。それは、もちろんやりがいや楽しさもあり、なおかつ、乗り越えるべき壁がいくつもあったことだろうと思う。

 トップの練習に参加することもあった松長根もこう振り返った。

「そうですね。練習試合をさせてもらって、トップの基準や質の部分が全然違うんだなって思い知らされて、みんながもっとやらなきゃって感じたと思います。僕はトップの練習にも参加させてもらうこともあったので、ヤスさんとも話しましたが、一番の違いはスピードで、寄せるスピードや判断の速さが違うので、U-18の練習ではそういうスピード感を意識してプレーすることで、周囲の選手たちに伝えていこうと思いました」(松長根)

 2021シーズン、川崎フロンターレU-18チームは、クラブ史上初となるプリンスリーグ優勝を果たした。全18節中4試合が中止になったが、12勝1敗1分で2位以下を大きく引き離しての優勝。そして、12月12日に行われた一発勝負の参入戦(プレーオフ)は、相当なプレッシャーがかかる状況のなかで行われたが、松長根とリーグ得点王・五十嵐太陽(レノファ山口に期限付き移籍中)の2ゴールを含む3対0で完勝して、クラブとして史上初のプレミアリーグ参入を決めた。

 

「プリンスリーグも対戦相手が強く簡単ではないリーグで、そこで勝ち続けることは、難しいことでしたし、決して楽な試合はありませんでしたが、この年で絶対に上がろうという目標を立てて、選手たちは頑張ってきました。リーグ戦で優勝したことで、プレーオフは一発勝負となりましたが、1年間頑張ってきた上で、絶対に勝たなければいけないかなりプレッシャーを感じる状況のなかで勝てたことで、選手たちの成長をすごく感じました」(長橋)

“やればできる”掴みとったプレミア優勝

 2022シーズン、川崎フロンターレU-18初のプレミアリーグ参入。

 長橋監督は、「優勝」を目標に掲げた。

「上のカテゴリーになるとはいえ、同じ高校生と戦うなかで、自分たちから目標を下げるんじゃなく、優勝を目指すでしょう。当たり前でしょう、と。この選手たちなら、優勝を目指せると思えるところも実際にありましたから」(長橋)

 松長根も同様のことを言っていた。

「最初から優勝をする気でみんないたので、同じ方向を向いていました。やるからには、最初から残留を目指すとかいやじゃないですか」(松長根)

 監督、選手が、同じ方向を向いて戦ってきたんだなと思わされた。

 とはいえ、掲げた目標通りの結果を出すことは決して簡単な道のりではなかった。

 目の前の試合をトップチームと同じく“一戦必勝”で戦ってきた。だが、そこには前年から始まっていた準備を積み重ねた成果もあった。

「前年の2021年は、プリンスリーグで優勝してプレミアに参入することを目標にしていましたが、その年の選手たちはその上のカテゴリーを知らずに卒団することになるわけです。だからこそ、君たちは、そこで戦うだけじゃだめですよ。目指しているのはプロなんだから、と話していましたし、2021年、プレミア、選手権、インターハイ3冠の松木玖生選手(FC東京)がいる青森山田のインテンシティに勝てるか、ということはずっと言っていましたね。そういう話を1、2年生も聞いていたので、翌2022年には、先輩たちがプレミアに上げてくれた舞台で、さぁやろうという感じでした」

 当時、2年生で試合に出ていた松長根も、その年は青森山田と直接対戦した経験はなくとも、監督からの想定で基準を上げて練習に取り組めていたことや、同時にトップチームとの関わりのなかで、徐々にトレーニングの質が上がっていく実感があったという。

「ヤスさんからも『青森山田のプレスは激しくて強いよ』と聞いていたので、そのレベルを意識してトレーニングはしていました」(松長根)

 夏の中断まで8連勝を含む10勝2分と快進撃を続けたが、相手からも研究された2巡目は、2連敗をするなど、苦しい時期もあった。

「準備や意識付けは前の年からしていたことで、初めてのプレミアでも違和感や臆することなくサッカーができて、前半戦は飛ばせた印象がありました。ただ、後半戦は分析されての2巡目だったので、そのなかで対応しきれなかったところがあったのは私の力不足です。より大人に近いリーグ戦なんだと知り、選手たちも私たちも勉強になりました。ターゲットにされているなかでも勝点を積み重ねていかなければいけないし、フロンターレの良さを消しながら対策しようと相手チームも考えるわけで、そこに対してフロンターレらしさを出すためには、相手を上回る技術と、良さを消されても勝つ方法をチームとして見出さなきゃいけないということ。ある意味では、ようやくトップチームと同じ戦い方ができるということなのかなと捉えていました」(長橋)

 2022年11月20日、雨のなか行われた高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ第20節 対FC東京U-18戦は、サポーターも駆けつけたなか、両チーム無得点で試合は経過したが、後半39分、DF土屋櫂大のパスを受けたFW五木田季晋のシュートは、声出し応援が適用されていたなかで、サポーターとその声援に吸い込まれるようにゴールに入っていった。この勝利で、見事にプレミアリーグ参入初年度でEASTでの優勝とプレミアファイナル進出が決まった。それは、偉業というより、自分たちで目標とする基準を高めて、そこに向かって努力し、なおかつフロンターレらしいサッカーで相手を上回り、勝利にこだわり続けた結果だった。

 U-15からU-18にかけて長橋監督のもとでプレーしてきた松長根は、「苦労してきた時代もあった自分たちの世代が、ここまできたんだと思うと、うれしかった」と実感を込めた。

 コロナ禍を過ごしてきた高校生たちにとって、フロンターレU-18で過ごした時間は、“青春”としてずっと残り、きっと彼らの今後の支えとなるだろう。

指導者になるために

 長橋は、1994年に清水エスパルスでキャリアをスタートし、1997年から10年間フロンターレに在籍し、2006年末に現役を引退。フロンターレ草創期を知り、J1昇格やJ2降格、再びのJ1昇格などチームが苦しかった時代も経験し、“右サイドといえばヤス”と言われチームに貢献した。

 2007年に指導者になると、スクール・普及コーチを経てU-10コーチ、U-12コーチを務め、その後、2013年から2017年までU-18コーチ、2018年にU-15監督となり、2020年にU-18監督に就任し、現在に至る。

 

 いまから約15年前になるが、その当時、どのように指導者としてスタートを切ったのか振り返ってもらった。

「子どもたちにサッカーを伝えることは、すごく楽しかったし、身体も動いたのでボールを自由に扱うことはこんなに楽しいんだよということを一緒にプレーしながら教えていましたね」

 現役引退直後は、「自分が指導者にならなきゃいけない」という必死な思いが強く、指導者の本だけでなく松下幸之助など経営者が書いたものなどたくさんの本を読んだり、自分自身のキャリアや選手として指導してもらった監督について書き出して徹底的に棚卸し作業をし、それを細部に至るまで行ったという。

「15人の監督について、戦術や求められたこと、その時の自分の感情などを書きだして、そこから何か選手に伝えられるヒントがあるんじゃないかと思い、たくさん考えました。高校時代にお世話になった監督は、『スラムダンク』に出てくる安西先生のようにどっしりと寡黙な方で、でも、選手のことをよく見ている方だったんですね。ある時、監督が『長橋、筋トレやってみるか』と言って、牛乳とプロテインをさりげなく用意してくれていたのですが、まだ自分は小柄だったので、私の成長のタイミングを見て、周囲より遅く言ってくれたんだなとわかりました。悩んでいる時は、いつもなぜか気づかれていましたし、人を変えようとしてくれていました。今でもそうした姿勢を指導者として参考にさせてもらっています」

 中村憲剛が引退セレモニーの時に言っていた「身体の小ささや身体能力とかはハンディじゃない。逆にそのハンディをチャンスだと思ってください。自分にベクトルを向けて、その気持ちを持って一日一日頑張れば、必ず道はひらけます。(中略)指導者の方もそういう目線でみないでほしいと心から願っています」という言葉に、長橋は心底頷いていた。

「私自身がそういう経験を中学生の時にして、そこで必死に考えて、挫折を乗り越えた経験がありました。成長スピードは人によって違うので、体が小さいかどうかは関係なくて、そこであきらめないで頑張れるかどうか。どうやったら大きい相手に勝てるようになるか頭を使って考えて努力できるかどうかは、とても大事だと思っています」

 

 2009年当時、長橋がU-10でコーチとして子どもたちに教えていた頃に、話していたことが残っている。

「子どもたちは、将来フロンターレのトップチームで等々力に立つことを夢であり目標にしています。そういう姿を僕も見られたらうれしいですよね。フロンターレは、こういう選手が出てくるよね、という風に言われるようになればなと思います。僕は、日本人はすばしっこい子が多いし、技術をこつこつと練習して努力できる長所があると思っています。そういう面でメッシのような選手が日本人から出てほしいし、それは可能性があるとまじめに考えています。将来、フロンターレからそういう選手が生まれて、さらには世界でも戦える選手がどんどん出てきてほしいですよね」

 それから月日が経ち、約13年後の2022年カタールワールドカップで、フロンターレアカデミー育ちの板倉滉(ボルシア・メンヒェングラートバッハ)、三笘薫(ブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンFC)、田中碧(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)が躍動し、その姿を長橋も感慨深い気持ちで観ていた。

「彼らに共通していたのは、強い意志だったと感じています。薫は、私がU-18のコーチだった時、1対1のドリブルをずっとやっていて、試合前日などは怪我も心配なのですが、やめさせることができないぐらいに、ずっとやり続けていました。碧も高1の時に、トップの練習に参加して感じるものがあったのだと思いますが、それから止めて、蹴るを毎日ずっとやっていました。碧と滉は、子どもの頃、本当にいつも満面の笑顔で、失敗しても全く気にしないで何度でもチャレンジする子たちでした。そういうことを私自身、彼らから学ぶところがありました」

本音でつきあい、選手たちに自分も成長させてもらった

 U-18監督に就任してから3年が経った。トップチームを目指しながら、ユース年代で勝利という結果を出し、なおかつ、ひとりひとりの成長を促す。その両立については、どのように考えて取り組んでいるのだろうか。

「勝って、育てることが理想ですよね。そこから逃げちゃいけないと思います。選手を育てるために負けてもいいよとは口が裂けても言ってはいけないし、成長は大事ですけど、勝つために試合をするわけで、判断も変わってきます。例えば1対0で勝っている時の時間の使い方や、可能性の低いパスを出すのか安全策でコーナーに近いところに持っていくか、勝負にこだわらないとそういう細部がなくなってしまう。これから、さらに勝負にこだわる世界に選手たちは進むことになるので、そうなると当然、勝つことは大事で、そのなかでどう成長させるか、その両方になりますね。実際、本気の試合をすると、本当に選手たちは成長しますよ」

 では、U-18の選手たちに、3年間でどのように成長してほしいと考えているだろうか。

「『自分は頑張ってやればできるんだ』という実感を本人がもって、卒団していってほしい。必死に頑張ることで、勝っても負けても成長できると思いますし、いろんな思いが残るはずだし、その思いはその先の人生でも生きるものだと思います。たとえ試合に出られなくても、出るために思いっきり頑張ったこと。それは今しかできないことなんじゃないかと思っています」

 サッカーの面においても「ミスを恐がるのではなく、チャレンジしないことが失敗だよ、ということ。チャレンジすることはOKだから、チームでの切り替えの守備はしっかりやろう。だからこそ、ボールを持ったら横より前だし、後ろより前だし、パスよりゴールだよね、という話はしています。そのためにはチャレンジが思い切りできる環境にしたいと心掛けています」

 それでは、どんな時に長橋監督は、一番うれしいと感じるのだろうか。

「それは、頑張ってきた選手が頑張ったことで変わったという実感を本人が感じられた時ですね。だから、もし先にその変化に気づいたとしても、声掛けのタイミングは、言う前に一回考えます。本当は、監督とかコーチとかがいらない状態で卒団していってもらうのが一番いいですよね。自分自身で気づいて、変えて、努力して、自分の成長に自分で気づけるように」

教え子たちと“ヤスさん” 

 高校2年生の時にプロ契約を結んだ高井幸大は、「ヤスさんは、選手にすごく寄り添ってくれるというか、メンタル的にきつかったときに声をかけてもらいました」と振り返る。

「昨年は、トップチームや代表、U-18といろいろなカテゴリーに行き、たぶん温度差もあって、U-18の時にあんまり自分のプレーに納得がいかなかった時に、『仲間のために、大切にやれ』という話をしてもらって、改めて考える機会になりました。ヤスさんからは戦うところは一番提示されましたし、そこは疎かにしちゃいけないよねって。あとは、ヤスさんはすごくサッカーが好きだと思うので、戦術面とか客観的にサッカーが分かったというか、そういうものを落とし込まれたなと思います」(高井)

 松長根は「僕は、プロになれたのもヤスさんのおかげだと思っています」と、キッパリと言った。

「サッカーにすごい熱い人で、ひとりひとり選手に親身になって話を聞いてくれて、アドバイスしてくれる人です。僕は、ヤスさんに守備が武器だって言ってもらって、一対一とか対人プレーとか、もっと伸びていけるよと言ってもらって、自信になったことも覚えていますし、自分はメンタルが弱かったので、試合でファーストプレーでミスしたら、この日はダメだというテンションになっちゃうことがあったんですけど、ミスのスポーツなんだから一個のミスは気にするなと言ってもらって、そうかなと思えるようになりました。自分を変えてくれたし、成長させてくれました」(松長根)

 そして、高井も松長根も自分にかけてくれた期待に感謝していたのが印象深かった。

「僕は高1のとき、いまいち体が動かせなくて思うようにプレーができていない時に、Aチームの練習や試合に出してくれて、自分に期待してくれてありがたかったです」(高井)

「高1の時、試合に出られる実力がなかったと思うけど、それでも使ってくれて、試合を重ねるごとに成長できたところがありました。2年の時は、自分がダメだった時期もあって、毎日、練習前に挨拶に行くと、映像をみせてくれました。当時は、いっぱいいっぱいだったので、今日もか…と思うこともありましたけど、後になってありがたかったなと感謝しました」(松長根)

 大学を経て今年トップチームに新加入した山田新もアカデミー時代にコーチとして長橋に指導してもらったひとりだ。

「ヤスさんは、すごくサッカーが好きな人だなと思います。ひとりひとりを見ていてくれたし、僕も動き出しとかアドバイスをもらって、よく話しました」

 長橋がU-18監督となり、初めてトップ昇格をしたのが五十嵐太陽だった。

「ヤスさんは、楽しそうにサッカーをやる人で、本当にサッカーが好きなんだろうなと感じます。ヤスさんが5年生を見ていた時に、試合で4年生の僕を呼んでもらって出してもらいました。その後、久しぶりにグラウンドで会った中学生の時に、“ターン”を選手時代にもっと磨いておけばよかったというヤスさん自身の話を僕にしてくれたことがあって、自分のことを気にしてくれてるんだなと思って今でも覚えています」(五十嵐)

 五十嵐は、思うようにできなかった試合があった時、自分のことについて聞いたことがあったという。

「ヤスさんに、自分の武器は何ですか?って質問したら、『武器は周りからターンの速さと言われているけど、ターンを含めてドリブルの初速の速さは、これまでに出会ったことがありません。これは、ボールを受ける際の動き出しにも応用してほしい』と教えてくれました」(五十嵐)

 

 昨年の12月11日、国立で後輩たちがプレミアファイナルの試合をしていたその日、五十嵐は一通のLINEを長橋監督に送った。

 

『今日の試合、お疲れさまでした。来年からレノファに期限付き移籍をすることになりました。ジュニアの時から気にして声をかけてくださり、高3まで一緒にサッカーすることができ、ここまで育てていただき、本当にありがとうございました。成長して、いい報告ができるよう頑張ります』

 2023シーズンは、3選手がトップチームに加わった。トップチームに送り出す気持ちは、監督として半分、親心半分というように感じた。

「これまでずっと、アカデミーからトップに入る選手たちのことは、高校生からプロの社会人の世界に入っていくので、心配する気持ちはありました。今年は昨年からの高井含め3人入りましたが、高井のことは、あの身長で足元もあって、この選手はプロに上げなければ自分のせいだと思わせてくれた子ですね。大関もそうですね。人懐っこくて素直で、線が細いことに本人もちゃんと向き合って食事の回数を増やして量を食べたり、そういう努力ができる選手です。松長根は、とにかく一生懸命で、右利きでしたが、左足でもボールを蹴れるようになれば、もっとサッカーが楽しくなるし、可能性が広がって、いずれお前を助けてくれるようになるから、とアドバイスしたら、ずっと練習していました」

「とにかく選手たちと会話をする」と長橋監督も言っていたが、実際、家族以外の大人で、ある時期会話の量が一番多かったという選手もいただろう。

 アカデミーでは毎年、卒団式があり、選手たちは巣立っていくが、どんな気持ちで見送ってきたのだろうか。 「もうこの子たちとできないという寂しい気持ちが一番です。平気な顔をしていますが、涙を堪えていますね」  だが、キッパリとこう言っていたのが印象的だった。

「選手が一番ということはずっと変わらないです。卒団する時までには、ひとりひとりに対して自分が思える限りのことは伝えています」

フロンターレらしさの継承

 2023年3月15日、20時30分。

 Anker フロンタウン生田での初練習を終えて、長橋監督は「こんなに素晴らしい環境でできること。これは、当たり前じゃないからね。感謝を忘れちゃダメだよ」と選手たちに繰り返し語りかけていた。みんなで協力して片付けを行い、一段落つくと、浦上GKコーチらがバナナを補給食として選手に配り、「前の場所と違って、ここは住宅街だから、そういうことにも気を遣って、帰り道も気を付けてください」と、声をかけていた。

 今年のU-18は、昨年に引き続き長橋監督、浦上GKコーチ、佐原コーチ、池田トレーナーに、玉置コーチが加わった。OB選手たちが指導者となって、アカデミーの選手たちを指導していることもまた、フロンターレの幹となる継承だと言えるだろう。

 長橋は、2006年末に選手を引退する時に、こう綴っていた。

 “セレモニーのとき、スタジアムをぐるっとまわってサポーターと握手をして、いろんな人に支えられてやってきたんだなぁって感じられた。すごくうれしかった。過去には、ギリギリのところでダメだったフロンターレを応援してくれてたサポーターが一番辛かったと思う。それに耐えていつも応援してくれていた。だから、サポーターのためにも、これからずっとJ1に定着してほしいと真剣に思う。そして、近いうちに絶対にタイトルを獲ってほしい。

 サッカーはひとつのゴールでみんなが喜べる。素晴らしいスポーツだと思う。創立してからの10年間、たくさんの思い出を一緒に作ってきたフロンターレでユニホームを脱ぐことを誇りに思います。内に秘めた想いは誰よりも強い選手たち。チームワークは最高!そんな大好きな“フロンターレらしさ”が、この先ずっと続いたらいいなぁと思います”

 1997年から26年間。

 人生の半分以上をフロンターレで過ごしてきた長橋にとって、“フロンターレらしさ”とはどんなものだろうか。

「私がフロンターレに入った時に感じたことは、純粋にサッカーが好きでうまくなりたい選手たちがいるチームで、すごく好きでした。私にとって、ずっと変わらないのは、フロンターレは“サッカーがうまくなるところ”ということです」

 

 2017年の初優勝は、「信じられないぐらいにうれしかったです。うれしかったじゃ済まされないぐらいに」と当時を思い出したようで、しばらく感慨深そうにしていた。

 中村憲剛が「走馬灯のように苦しかった時代も思い出され」涙が溢れた姿を観て、「泣けましたよね。思い出しますよね。みんな、そうだったと思います」と続けた。

思い切り、再チャレンジ。

 そして──。

 2023シーズンの高円宮杯 JFA U-18サッカープレミアリーグ 2023は、4月2日(日)に、新たなホームグラウンドになるAnker フロンタウン生田で幕を開ける。

 キャプテンに指名されたGK濱﨑知康は、こう意気込みを語る。

「今年の目標は、チームで再チャレンジを掲げています。昨年はファイナルで負けてしまった悔しさがあるので、そこを目指すのは当たり前ですが、その前のリーグ戦、1戦1戦を戦って、ファイナルをめざします。今年はキャプテンになり、チームを引っ張っていくだけじゃなく、昨年はセンターバックのふたり(高井、松長根)に任せっきりだったところがあるので、自分がビルドアップの部分も含めて積極的にプレーをみせていければとヤスさんにも期待されていると思うし、頑張ります」

 今年高校3年生になるアカデミー最上級生たちは、コロナ禍だった2020シーズンに中学3年生で、彼らもまた、最後の大会を思うようにできなかった世代でもある。

「中学生の時に仲間でやる最後の大会が思うようにできなかった選手たちも多いので、今年はぜひ、そういうことも味わって、思いっきりチャレンジしてほしいと思います」(長橋)

 チャレンジするフロンターレU-18の選手たちに、エールを送って後押ししてほしい。

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[ながはし・やすひろ]

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東海大学第一中学校、静岡県立静岡北高校を経て1994年に清水エスパルスにてキャリアをスタートし、1997年に川崎フロンターレに加入。絶妙なタイミングのフェイント、ドリブル突破が魅力のサイドアタッカーとして、右サイドの攻撃の起点となる。フロンターレ創立から10年、チームを支える原動力となり、2度のJ1昇格を経験した。2006年末に、引退。以後、スクール、アカデミーのコーチ、監督を歴任。2020年より川崎フロンターレU-18監督。

1975年8月2日、静岡県富士市生まれニックネーム:ヤス

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