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ピックアッププレイヤー 2024-vol.01 / MF 橘田 健人選手

この景色を見たかったんだ

テキスト/高澤真輝(オフィシャルライター) 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Takazawa Shinki (Official Writter) photo by Ohori Suguru (Official)

“独りじゃ辿り着けない場所に、僕らは今きっと赴いている途中”

「現実という名の怪物と戦う者たち」という歌(※)の歌詞の一部である。

2023年。それは苦しいシーズンだった。なかなか勝点を積み重ねられずJ1リーグの優勝争いからは後退。

1年の大半はもどかしい時間を過ごした。

キャプテンに就任した橘田健人にも様々な苦悩や葛藤があった。でも、独りじゃない。

チームメイト、鬼木達監督、家族に支えられ立ち止まることはなかった。

もがいて、もがいて全員で歩みを進めたことで待っていた。あの最高の景色が──。

「優勝するために欠かせない存在に」

 2021年、フロンターレでプロキャリアをスタートさせた橘田健人は1年目から15試合に出場しリーグ優勝に貢献。優勝を決めたJ1リーグ第34節の浦和戦のあと、初々しい笑顔で語った。

「プロ1年目からリーグ戦やACLなど色んな試合に出ることができて、いい経験になりました。しかもスタメンで出た試合で優勝を決めることができるなんて、本当にできすぎじゃないかなって(笑)。本当にスゴイ1年でした。今まで自分は県大会優勝しか味わったことがなかったのに、日本で一番レベルの高いリーグで優勝できて…。自分がそのチームの一員として日本一の場に立てているのが信じられないです」

 シーズンが始まる前はキャンプからスタメンのレベルに達していないと感じ、高い意識で練習に取り組み「やっと試合に出てもおかしくないレベルに近付くことができた」。だからこそ翌年の2022年は「もっと試合に出て、チームに貢献したい」思いが強くなり、さらに上手くなるために一つひとつの技術を磨いた。

「僕はフロンターレがリーグ優勝するために欠かせない存在になりたい。『アイツがいないと、このチームは成り立たない』『そんなに目立っていないけど、アイツが効いているんだよな』と言われるような選手になりたいんです。もちろん得点を決めたり、派手なプレーもしたいけど、泥臭いプレーで支えられる選手になりたい。そして、僕は楽しくサッカーをしたいから『もっと上手くなろう、もっと上手くなろう』とやっています。全てはサッカーを楽しむために、常に上を目指していますし、もっと上に行きたいです」

 言葉どおり2022年シーズンは凄みが増し、ピッチ上で影分身の術を使っていると錯覚するほど広範囲のエリアを駆け回り、チームに欠かせない存在へと成長していった。しかし、最終節までもつれ込んだリーグ戦の優勝争いは勝点2届かず2位。あと一歩のところで優勝に手が届かなかった。「悔しいし、責任も感じた。だから僕たちもタイトルを獲るためには、もっと頑張らないといけない」と涙を呑んだ。

キャプテン就任

 今年こそは──。覚悟をもって臨んだプロ3年目。大きな転換期が訪れたのが1次キャンプのある日の夜。鬼木監督の部屋に呼ばれた。ちょうどキャプテンを決める時期だったため、橘田は副キャプテンを任せられるかもしれないと思い、部屋をノックした。しかし、鬼木監督から告げられたのはキャプテンの任命。予想もしていなかっただけに一度は断ったが、話を聞いているうちに鬼木監督の決断は強い意志と期待が込められているものだと分かった。

「ケントは頑張り続けられるし、どんな状況でもやり続けられる選手。サッカー選手として、人として成長していくことがフロンターレとしての力になると思いました。言葉だけではなくプレーで示せるケントのキャプテン像を作ってもらえれば、自然と引っ張っていける存在になると思います。経験をしないと得られないものもたくさんあります。例えば初めて子どもが生まれて、いきなり父親の仕事はできませんよね。だからこそ、毎日必死にやってケントが成長して、目指すべき場所にいくためにプラスになると思うんです」(鬼木監督)

 話し合いは30分以上続き、その熱意に橘田の心は徐々に動かされていった。

「やった人にしか経験できないことだからサッカー人生のなかでいい経験になるとも言われたし、いろんな話を聞いていくうちに、やるしかないと思って受け入れました」(橘田)

 “キャプテン”。この役職には神村学園高校時代の苦い記憶がある。

MF/橘田健人選手 MF/橘田健人選手

「高校でキャプテンをやって、選手権もインターハイも勝てなかった。キャプテンは思ったことを言わないといけないし、厳しいことを言わなければいけないときもある。そういったことをやらないといけないのは分かっていたけど全くできなかった。選手権にも出られなかったし、今でも後悔が残っています」

 もちろん鬼木監督は「お前らしいキャプテン像でいい」「試合のプレーや練習の取り組みを見て選んだ」と言ってくれていたが、「本当にキャプテンとしてそれだけでいいのか」と色んな葛藤があった。

 そのなかでシーズン開幕を迎え、第1節はゴールを記録するなど幸先のいいスタートを切ったように見えたが、なかなかチームが勝てない時期も重なり、責任感の強い橘田の体は思うように動かなくなっていった。

「技術的なところよりも気持ち的なところで、先制して追い付かれたときにヤバいかもという気持ちになって、チャレンジもできなくなって…。守りに入って自分たちから崩れてしまう。それに自分自身の気持ちにも波がありました。キャプテンは責任が違うし、色々悩んでいました。元々周りに声をかけたりするタイプではないけど、それもやらないといけないとも思ったし、どこに自分の考えをもっていけばいいか分からなかった」

 ふいにチームが勝てないのは「自分のせいではないか?」と思うときもあった。以降、プレーに思い切りのよさが薄れていき、5月に入ると試合に出られない時期が続いた。いつも笑顔でボールを蹴っていた表情も曇っていった。

「試合にも出られず、俺は何をやっているんだろうって。今までできていたことができない。今までボールを奪えていたところで奪えない。今まで前に行けていたところで行けない……。なんで、それができないのかが自分でも分からなかった。試合に出られない自分がウォーミングアップの前に先頭で挨拶しているのも申し訳ない気持ちだったし、あのときは正直しんどかったです」

支え

 そんなとき支えになっていたのが家族だった。

「自分のことを一番に考えてくれたし、なるべくサッカーの話をしないようにしてくれた。家の時間はサッカーのことを考えないで過ごせる空間を作ってくれたのは救われました。自分がキツいときに子どもが生まれてきてくれて、頑張ろうと力が湧いてきました」

 そんな橘田の姿を見て、鬼木監督もよく練習後に呼び止めて長い時間、話すこともあった。

「どうしてもキャプテンで試合に絡めないと気持ちが落ち込んでしまうこともありますが、もう一皮剥けていくための大きな原動力にもなると思っています。自分から要求もありますが、色んなことを考え過ぎず自分のプレーに立ち帰ること、自分のよさを尖らせていくことを忘れてはいけないという話をしています。トレーニングでは積極的にいいプレーをしてくれているので、徐々に彼らしいプレーが出てきているのかなと思っています。僕もそうでしたが、キャプテンで出られないのはキツいです。でも、そういったことを知ることで違ったものが見えてきますし、ここが大きく成長するタイミングだと思っています」

 常に前向きに自分のことを期待してくれている人がいる。鬼木監督と話すたびに「気持ちが落ち着くこともあった」。そういった人たちが橘田の周りにいたからこそ、もう一度ピッチで活躍するためにトレーニングに励んで、ある捉え方を見つけた。

「言い方を選ばなければ、『キャプテンと思わないようにする』。そのくらい割り切って何も気にしないでやろう」

 自分のなかでキャプテン像を大きくし過ぎていたのかもしれない。でも、鬼木監督が求めていたのは“ケントらしいキャプテン”。それはプレーで引っ張る姿。ならば、思い切って考えることをやめてみた。

「あまり考えることなく、割り切ってやり始めてからは変なことも考えなくなったんです。サッカーに夢中になることができたし、そこはオニさんが求めていたこと。そうやってサッカーで引っ張っていく形にできたのは、試合に出て勝ちだしたのが一番大きい。勝たせるプレーをすれば、自分が理想としていたキャプテン像に向かうために集中することができました」

戻ってきた“らしさ”

 そしてスタメン復帰したJ1リーグ第22節のG大阪戦以降から徐々に自分らしさを取り戻していった。すると今シーズンの出来事がすべて吹き飛ぶようなゴールが生まれる。ACLグループステージ第2節の蔚山戦。0-0で推移した試合終了間際に橘田が振り抜いた強烈なミドルシュートが突き刺さり、勝利をつかんだ。

「自分のゴールでチームを勝たせることができた瞬間、特別な思いになりました。でも、もうあんなシュートは打てないですよ。練習でもあんな蹴り方をしたことがなかったし、たまたまです(笑)」

 努力して練習し続けた結果。たとえたまたまだろうと、その過程がご褒美として返ってくるのがサッカーであり、それだけ橘田が自分と向き合って、ボールを蹴ってきた証拠だ。このゴールをきっかけに、足を振り抜くミドルシュートやペナルティエリア内に入る迫力などゴールに関わるプレーが増加。昨シーズンよりも成長した姿を見せていった。

「ゴールも決めることができていますし、攻撃参加も去年よりも増えています。そこは成長していると感じています。僕はチームで一番上手い選手になりたいですし、誰がどう見ても攻撃でも守備でもアイツが一番いいなと思われるプレーヤーになりたい。いつか日本代表の選手になりたいけど、まだそのレベルにはない。フロンターレには自分よりも遥かに上手い選手が多いので、そういった選手たちを超えていきたいです」

 さらなる高みへ言葉を紡ぐ橘田の復調とリンクするように、なかなか勝点を積めなかったチームも10月から公式戦無敗を継続するなど好調を維持していった。あの苦い経験が橘田もチームを強くし、逞しくさせていったのだろう。そんな今シーズンを最高のものにするために──。

「シーズンを振り返ると上手くいかない時期もあったけど、チームとして強くなっているし、成長していると感じています。あの勝てなかったときの経験があるから“今がある”と思えるように、絶対に天皇杯は優勝したいです」

運命の決戦

“絶対に”。12月9日(土)天皇杯決勝の柏戦。捲土重来にかける思いを胸に、キャプテンマークを巻いた橘田が国立のピッチに足を踏み入れた。

 試合開始のホイッスルが鳴り響くと、立ち上がりから相手にペースを握られる展開。その状況を、なんとか打破しようと橘田は必死にボールを追いかけて、中盤からドリブルで果敢に敵陣へ侵入するなど背中でフロンターレを引っ張っていった。ただ、スコアは動かぬまま延長戦を含めた120分間でも決着はつかずPK戦へ。橘田は4番目のキッカーに任命された。

「正直、緊張しすぎてあまり余裕はなかった」

 それでも力を込めたシュートはゴールネット揺らして咆哮。そこからジェットコースターのようなPK戦は10人目まで進み、最後は守護神のチョン ソンリョンのビッグセーブで優勝が決まった。その瞬間、頬を伝った涙は止まらなかった。

「頑張ってきてよかった」

 勝利が決まってチームメイトやサポーターが狂喜乱舞し、国立の夜空にトロフィーを掲げた瞬間に降ってきた金と銀のテープ──。

「全然上手くいかない1年だったけど、最後に最高の景色を見ることができました」

 頑張っていれば必ず報われる。だが、たいていの努力が報われないのは、現実の世の中ではよくあること。実際に橘田も必死に努力していたし、報われない日々が多くて悔しさに打ちひしがれるときもあった。でも、諦めなかった。自分を信じて、自分を信じてくれている人のために必死に戦い続けた。だからこそ最後に最高の景色を見ることができたのだ。

「本当に上手くいかないシーズンでしたし、個人としてもチームとしても結果が出なかった。プロに入ってから一番難しいシーズンでした。でも最後にタイトルを獲れたのは、その経験があったからこそ。チームとして成長する大きなキッカケになったと思います」

 解散式の日。鬼木監督から声をかけられた。

「よく自分で乗り越えたね」

 ずっと側で見続けていた指揮官からの言葉を聞いたとき「キツいときもあったけど、サッカー選手として少しは成長することができたのかな」と感じた。

「上手くいかない時期を乗り越える難しさを感じたし、キャプテンをしていたことで乗り越えたあとの成長を感じられた。色んなことにチャレンジして、色んな壁を乗り越えていけるように、この経験を生かしていきたいです」

 迎える2024年。より強くなり、逞しくなった橘田が強く意気込む。

「今年もタイトルを獲るのは絶対の目標。去年はJリーグタイトルを獲れなかったので、奪還してすべてのタイトルを取りたい。個人タイトルもとることができなかったので、今年は本気で目指していきたいです」

 チームにタイトルをもたらし、自らがJリーグを代表するプレーヤーに名乗りを上げるために──。2024年も楽しく笑顔でボールを蹴る。

(※)高橋優 「現実という名の怪物と戦う者たち」より引用

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[たちばなだ・けんと]

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中盤で精力的に動き回り相手の攻撃の芽を摘み取るハードワーカー。競り合いに強く、鋭い反応と予測でルーズボールに反応。チームのピンチを未然に防ぐ。プロ入り3年目の2023シーズン、キャプテンに指名された。

1998年5月29日、鹿児島県霧島市生まれニックネーム:ケント

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