CLUB OFFICIAL 
TOP PARTNERS
  • ホーム
  • F-SPOT
  • ピックアッププレイヤー 2024-vol.04 / アカデミー U-15コーチ 森 勇介

KAWASAKI FRONTALE FAN ZONEF-SPOT

PICKUP PLAYERS

ピックアッププレイヤー 2024-vol.04 / 森 勇介 U-15生田コーチ

俺だからこそ教えられること

テキスト/本間 勲 写真:大堀 優(オフィシャル)text by Honma Isao photo by Ohori Suguru (Official)

森勇介が川崎に帰ってきた。

2005年から2010年までの6年間、フロンターレでプレー。

今年からアカデミーコーチとして、U-15生田の中学2年生たちを指導している。

現役時代に「いろいろとやらかしてきた」森コーチだからこそ、教えられることとは?

多感な中学生たちと、自分なりに本音で向き合っている。

すぐに「はい、行きます」とは言えない

 ある日突然、森勇介のスマホが鳴った。相手は、山岸繁育成部長だった。

「どうだ? アカデミーのコーチをやらないか?」

 昨年まで森勇介は、帝京大学サッカー部、本田圭佑氏がプロデュースするサッカースクール「ソルティーロ・ファミリア・サッカースクール新豊洲校」、東京ヴェルディ時代から親交のある土屋征夫氏が監督、平本一樹氏がアドバイザーを務める「NossA八王子」など、いくつかのクラブを掛け持ちで “大人”を相手にコーチをしていた。

「最初はマジで悩みました。中学生よりも大人を教えたかったし、他にもいろいろお世話になっているところがあって、急に辞めると言うのも迷惑をかけるし…。山岸さんに1週間くらい時間くださいと言ったんです」

 森の現役当時にはトップチームの主務などを務めていた山岸は「タイミングが合えば森勇介をアカデミーのコーチに」と、ずっとタイミングを見計らっていたようだ。

 実は森が東京ヴェルディジュニアユースでコーチをしている時に、一度森にオファーしていたのだ。森が沖縄SVを退団して選手を辞めた時に山岸に電話し、引退の報告をした。その後にヴェルディの社長に連絡すると、「帰ってこい」と言ってくれた。ヴェルディのジュニアユースで1年間コーチを務めた時に、今度は山岸から連絡が来た。

「いやぁ、俺はヴェルディの社長に救ってもらったから、1年じゃ辞められないですよ」

 そして昨年、再び山岸から連絡をもらったが、すぐには「はい、行きます」とは言えなかった。

「もちろん、そう言っていただいてうれしかったですよ。自分がプロとして一番重要なところで試合に出させてもらったクラブですし、アカデミーコーチとなると責任も伴ってくる。自分は大人(の指導)をやりたかったんです。いろんな人に助けてもらいながら大学生や社会人を教えていました。S級(ライセンス)を取りたい気持ちもあるし、助けてもらっていた人たちのところを全部辞めなければいけないので葛藤がありました」

フロンターレでは悔しさの記憶の方が大きい

 

 ここで森勇介のフロンターレ在籍当時を振り返ってみよう。森がフロンターレに加入したのは、2005年。2004年にJ2を優勝し、二度目のJ1を戦う年だった。

 FWはジュニーニョ、鄭大世、レナチーニョら、超強力なタレント揃い。中盤は中村憲剛や谷口博之、DFは寺田周平、伊藤宏樹、箕輪義信の「川崎山脈」、守護神は川島永嗣、森は右サイドバックとしてフロンターレ在籍6年間で通算133試合に出場、6得点を挙げている。

 当時も現在も攻撃的なサッカーは変わらないフロンターレだが、当時はどんな意識で戦っていたのだろうか?

「俺らはより“個”だったので、相手に1対1で勝って局面を打開して、前に進もう。横や後よりも前に速く、というイメージでやっていましたね」

 森が在籍した2010年までにJ1リーグ2位が3回(06年、08年、09年)、ナビスコカップ準優勝が2回(07年、09年)。

「ACLで海外での試合もいっぱい行けたし、観衆5万人の中での(ナビスコカップ)決勝戦もプレーできた。大勢の中でプレーさせてもらうのは選手としてすごく励みになるし、やる気になります」

 フロンターレで、大舞台で戦う経験ができたことが森にとって大きな財産だったと言う。ただ、「シルバーコレクター」とも言われたこの時代、森にとっては悔しい思い出の方が多かった。

「勝った試合はどれもうれしいです。でも…うれしかった試合よりも悔しい試合の方が何回もありますよね。ナビスコカップ決勝で2回負けていますし、リーグ戦でも大事な試合を落として2位も結構ありましたもんね。負けた試合の方がおぼえています」

 当時を知るファンにとっては、技術はもちろんだが、“クレバー”なプレーが印象に残っているのではないだろうか。本人は「いや、クレバーさはそんなにないですけど…」と謙遜するが、当時G大阪の家長昭博やFC東京の長友佑都らとのバトルは、見ているファンを大いに堪能させてくれた。

「相手が守っている方をさらに行ってやろうと思っていましたね。例えば相手は縦を切って縦に行かせないようにしていれば普通だったら中に行きます。でも、あえて縦に行って相手のメンタルを壊してやろうと毎回思っていました。相手の守っている方をさらに守らせないようにしたかったので」

アカデミー U-15コーチ 森 勇介 アカデミー U-15コーチ 森 勇介

沖縄で指導者への道へ

 2010シーズン終了後に森はフロンターレを退団。その後、古巣の東京ヴェルディへ戻り、2011年~2014年にJ2リーグ112試合に出場。2014年シーズン途中に当時J2のFC岐阜に移籍し、2015年はJ3のSC相模原で20試合に出場。歳を重ねるにつれて、フロンターレの頃のように「1対1で勝つ」だけでなく、周りとの連携でどうやって相手に勝つかを考えながらプレーするようになった。ただ、J1の第一線でプレーしてきた森にとって、フラストレーションが溜まることも多かったという。

「最後の方はケガもあって体が思うように動かなくて、サッカーが楽しくなかったですね。味方に対してイライラすることもあったり、自分にイライラすることも結構ありました」

 2016年、森は現役最後のチームとして沖縄SVを選んだ。清水東高校サッカー部の先輩である高原直泰氏(当時 代表兼監督兼選手)に「手伝ってくれ」と誘われたからだ。選手というよりもコーチ兼任で、もう膝がボロボロだった森は数試合しか出場できなかった。そこで、将来の指導者への道を考え始めた。引退してサッカー以外への仕事に、という選択肢は頭になかった。

「沖縄にいる間にA級ライセンスまでは取りました。沖縄でもジュニアユースやスクールで少し教えていたので、指導者になりたいなと思いました。他の仕事は考えなかったですね。せっかくこの歳まで長くサッカーをしてきて、その経験を活かせるとなったらやはり指導者が一番。自分もサッカーが好きだし、サッカーと関わっていく上で、指導者を目指すことが自分にとってはいいのかなと思いました」

 沖縄で選手としてプレーしながら、指導者として成長するための努力を重ねてきた。試合を見て課題を洗い出し、どんなトレーニングをすればいいかを考える。トレーニングで選手たちに何を落とし込むのか、常に考えながら過ごしてきた。“大人”を教える中で、難しさも感じて戸惑った。

「“それが分からないんだ”ということが多々ありましたね。ポジショニングもそうだし、ボールを扱うところで“なんでそれ取られちゃうのかな?”って。“普通だったら取られないのにな”“俺、そんなところで取られたことないしな”と思う場面でも取られてしまう。そこを教えるには原因を探らなければいけない。そういう作業は結構大変でした」

 そんな森に、理想としている指導者像について聞いてみた。

「常に冷静に相手を見て、試合中に相手がやってきたことに対して臨機応変に対応できる。日頃のトレーニングでいろいろと試して、いざ試合になっても対応できるような選手を育てられる監督がいいなと思います」

 森はフロンターレ時代、関塚隆監督、高畠勉監督の下でプレーした。当時、森にとって2人はどんな指導者だったのだろうか?

「関さんと高畠さんにはすごくお世話になったし、“自分のストロングの部分をどんどん出していいよ”と言っていただけてすごくやりやすかったですね」

 今、フロンターレのアカデミーでU-15生田のコーチとして中学2年生たちを見ている“森勇介コーチ”。かつて関塚監督、高畠監督から言われたように、U-15の選手たちにのびのびと、やりやすくプレーさせていくのだろうか?

「いや、俺はそう簡単にはやりやすくはさせないですよ」

U-15の選手たちは意外と生意気

「選手たちははっきり言って足りないことだらけ。のびのびやらせるのもいいですけど、まずはある程度選手たちにやってほしいこと、この年代で獲得してほしいことを言わないと。最初のうちはボールもしっかり止まらないし、蹴れない、周りを見てプレーできない、そういう選手たちに“のびのび自由にやって、行けるところまで行け”という人もいるかもしれないですけど、でもそうなってから指摘すると“俺できていたのに、急に変えなきゃいけないんだ”となる。だったら先に厳しいことを言いながら、しっかりと基本を身につける。もちろん特長を奪うことは絶対にしません。最低限のところは厳しく言いますね」

 U-15の選手たちは成長期。サッカーが上手くなるだけではなく、ひとりの「人間として」社会で通用する人材を育てることもアカデミーの大きな役割である。「日頃の生活面での行いがプレーにもあらわれる」とも言われる。「人に人間性を教えられるほど俺は出来た人間じゃないから」と森が言うと、子どもたちは笑う。アカデミーのコーチとしてフロンターレに戻ってきて約1カ月。森ならではの接し方で、選手たちと日々向き合っている。

「生活面のことは選手たちにうるさく言いたくないといつも言っています。俺は親でもないし、学校の先生でもない。サッカーの指導者だから。自分が選手たちに求めるのは、ピッチの中で100%でやること。あまりにも生活面が酷かったら言いますけど、中学生なんだから多少だらしなくてもいいでしょう。完璧過ぎる方が俺は逆に気持ち悪いと思うので。選手たちにはいろいろと間違いをしながら少しずつ成長していってほしいです。俺の前だけ礼儀正しくても、他で無礼だったら意味がない。俺には礼儀正しくなくていいから、他の人には絶対に礼儀正しくしろと(笑)」

 U-15の選手たちは、森からすると意外と「生意気」だという。

「俺は選手たちに結構ガミガミ言うんです。選手たちは自分に対して嫌味っぽく言い返す時もあるし、ムスっとしたり、聞いていないふりをしたり、無視したり。でもガッツがあるんですよ。全然おとなしくないですね(笑)」

 森は決して優しくはない。「いいよ、いいよ」とずっと褒めることもない。選手たちには厳しく接しているつもりだ。しっかりと良いプレー、悪いプレーをジャッジして、悪いところははっきりと言うし、いいプレーは褒める。積極的なチャレンジに対しては「狙いはいいよ」と言うが、当たり前のことができないと厳しく言う。メリハリをつけて選手たちに本音をぶつける。

「俺はオンとオフがはっきりしているので、ピッチの中では100%で楽しくやるところはどんどん笑顔を出していいし、でも、ここからは切り替えて激しく、笑いなしでいくぞということも言います。“ダラダラさせないよ”と。まあ、俺は練習中もフレンドリーで普通に子どもたちと会話もするし、バカ話もしたい。まだ来てから1カ月くらいなので彼らがどれくらい俺に心を開いてくれているのかわからないですけど、会話もできるようになってきましたし」

 現役時代の森は闘争心の塊だった。ライン際で相手選手と睨み合うと、スタンドのサポーターから「勇介、落ち着けー!」と声がかかったものである。ベンチから審判に向かって暴言を吐いたとして、試合に出場していないのに退場処分となったことも今となっては伝説だ。時には闘争心が空回りしてしまうことがあったが、アカデミーコーチとして、サッカーで大切な“戦う”姿勢をどのように子どもたちに伝えていくのだろうか。

「俺が見ている中で、戦う気持ちを持っていない子は少ないです。この前、審判の判定に不満そうな態度を見せた選手がいたんですけど、そういう時は逆に俺は怒りやすいですよね。昔、俺がいろいろと失敗しているから。“お前こういうことをしていたら次に良いプレーしても評価されないぞ”って言いやすい。そういう良くないことに関しては厳しく言います。“お前が言うな”と言われるかもしれないですけど、でも、俺だからこそ逆に言えるんじゃないかと」

 優しい、負けず嫌い、性格は人それぞれだが、サッカーで上を目指す以上、負けたくないという気持ちは絶対に持っていなければダメだと森は言う。普段はおっとりとしていてもいいから、ピッチに入った時だけは変わってほしい。そんな森の要求に対して、しょんぼりしたり、縮こまる選手はいない。

「中学生は多感な時期で、精神的にはまだまだ大人と子どもの狭間。顔を見ても俺と目を合わせない選手も結構います。でも、伸びしろは大学生よりもいっぱいある。今は来てから1カ月なのでまだわからないですけど、それが数カ月後くらい “伸びているな”と思うのも一つですし、周りのスタッフからも“伸びているね”と言われるようになったら、また楽しいかなと思いますね」

 “大人”の指導をしたいと思っていた森は、アカデミーコーチという仕事に少しずつやりがいを感じていた。

常に相手を見てサッカーを

 フロンターレがトップチームからアカデミーまで大切にしている「技術」。ボールを大切に保持して、相手を圧倒する「フロンターレらしさ」。長い間フロンターレから離れていた森も、その理念についてはしっかりと理解している。そこにプラスして、森だからこそ教えられる技術はどんなことだろうか。

「駆け引きのことは常に言っています。やっぱり相手を見てサッカーをしたいよねと。最初から決め打ちでプレーをする選手がすごく多いんですよ。サッカーはみんな動いているものなので、状況が毎回変わる。その時に一番自分がやりたかったプレーをぐっと我慢して、相手を見てやっぱりやめるというのが苦手な子が多いかなと思います。そこの駆け引きのところは常にですね。賢く、頭をフル回転させてサッカーをした方がいいよと口酸っぱく言っています」

 森がフロンターレで右サイドバックのレギュラーを獲得するまで、長い間右サイドバックで活躍していたのが長橋康弘U-18監督である。長橋は「今のアカデミーではサイドバックの選手にゴールを決めるまでの役割を求めている」という。森も「誰でも点を取れるように」と指導している。また、森が現役の頃と比べて、サイドバックの役割も少しずつ変わってきている。

「俺がいた頃からサイドバックが試合を作るプレーをしていました。サッカーというのはまずは中央からサイドにというところがあるので、サイドバックはやっぱりハメやすい場所になります。そこでワンタッチなりドリブルでかわすプレーができると相手の矢印が折れる。今はサイドバックの選手にあまり開かせないです。より内側のところで密集して、人と関係を作らせています。外にいれば割とフリーでボールをもらえますが、その後に手詰まりになることが多い。俺はそれがあまり好きじゃないので、より内側でプレーすれば相手も味方も近い。最初は怖いかもしれませんが、その中でワンタッチ、ツータッチなり、トリプルなりをできるように」

 そこで止める、蹴るといったフロンターレが大事にしている基本の技術が欠かせなくなる。

「本当に日々の積み重ねですよね。それなくしてプロへの道は開かれません。そうしてしっかりと土台を作って、その上に戦術や技術的なことを乗せていかないといい選手になりません。走るとか、味方のため、人のため、チームのため、自分のためにしっかりと走れる。切り替えのところだったり、土台をしっかりと築き上げてからの技術ですね。前の選手というと、ドリブルやアクロバティックなシュート、コンビネーションというのは、土台がなかったらそんなのいくらやっても意味がない。そこは常に選手たちにも言っているし、求めています」

毎日が子どもたちと勉強

 森は今、指導者として日々が勉強だと言う。

「もっともっと自分の指導力を上げたいし、人間力も上げたいです。そのために攻撃面、守備面、切り替え、セットプレーのところでもレパートリーを増やしていかないと。フロンターレには俺より長くやっている指導者の方がたくさんいるので、聞くことも多いです。選手の頃と同様、いいことはどんどん盗んでいきたいなと常に思っています」

 きつい練習でも明るく自分たちで声をかけ、最後までやり遂げる選手たちの前向きな姿を見て、自身の励みになっているという。

 森の将来に向けた大きな目標は、まずはS級ライセンスの取得だ。

「個人としては次の仕事があるかないかは別として、S級を持っていなかったらまず監督もできないので。まずはS級を取れるようにしっかりと自分でサッカーを勉強していくところは目標として持っています」

 森は、「まずは自分がいる場所でしっかりと結果を出すこと。フロンターレのアカデミーで、子どもたちを成長させること。そして自分も如何に日々成長できるかが大事だと思います。別にフロンターレや他のクラブでトップチームの監督やコーチをしたいとか、今はないですね」と話す。

「いい選手を育てて、トップチームに送り出せるように頑張りたいだけです」

 森勇介は、今日もAnker フロンタウン生田で、選手たちにガミガミ言いながら本音で向き合っている。

profile
[もり・ゆうすけ]

プロフィールページへ

清水東高校を卒業後、1999年にヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)でプロキャリアをスタートし、ベガルタ仙台、京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)を経て2005年に川崎フロンターレへ加入。2006年にレギュラーに定着し、闘志むき出しのアグレッシブなプレーで右サイドを駆け上がる姿はスタジアムを大いに沸かせた。2018年オフに現役引退を発表すると、サッカーの指導者としてセカンドキャリアをスタート。今季から川崎フロンターレU-15生田コーチに就任した。

1980年7月24日、静岡県清水市(現・静岡市)生まれニックネーム:ユウスケ

PAGE TOP

サイトマップ