テキスト/隠岐 麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)
2025年11月12日、チョン ソンリョン選手が今シーズンを持ってフロンターレを離れることがリリースされました。
公開練習の日、たくさんのファン・サポーターがソンリョンに会いにきました。
「たくさんの方が、麻生グラウンドに来てくれたこと、感謝しています。中には学校や仕事を調整して来てくれた方もいたようです。泣いてくれた方もいました。フロンターレに来てくれてありがとうと言ってくれる方もいました。これからも応援しますと言ってくれた方もいました。皆さんからいただいた言葉や気持ちは、僕自身が嘘偽りなく川崎フロンターレで最善を尽くしてきたからだと思います」
これまでソンリョンからいろんな話を聞かせてもらったなかで、“やんちゃ”な子どもの頃のエピソードで忘れられないものがあります。
ジャッキー・チェンの映画を観た影響で、調子に乗ってしまったというソンリョン少年。
ある日のこと、スーパーに買い物に行った帰りに、自宅前の狭い道を、いたずら心から目をつぶって歩いたら、石でできた壁面におでこをぶつけて流血。びっくりするよりも先に、お母さんに怒られると思ったソンリョン少年は、隣の家に駆けこんで助けてもらいました。
ちなみに、ソンリョンのおでこには、今でもその時の傷跡が残っています。
ソンリョン少年は、小学2年の誕生日に父からサッカーボールをプレゼントされ、小学5年でクラブに入り、GKを始めたのは中学2年から。ボールを止めることが楽しかったし、至近距離からシュートを打たれても恐くなかったそうです。
高校は、実家から離れて韓国最南端の島、済州島にある西帰浦高校にサッカーのために進学しました。
高校1年の秋、ソンリョンは仕事中の不慮の事故で父を突然、亡くしています。その頃、自分にはジャンプ力が足りないと感じていたソンリョンは、半年間、毎日夜にジャンプ練習を続けました。
時には、しんどくて全力でできない日があっても、気持ちで身体を動かし続けて、自分に課した約束を守りました。それは、父を亡くしたことによる、家族や自分自身へのプロサッカー選手をめざす上での責任感が根底にあったといいます。
3年前には、ずっとソンリョンを見守ってきた母との別れもありました。
「母とは韓国と日本、離れて生活していることが長かったので、いつも一緒にいられなかったけど、会うと必ず『自信を持って頑張りなさい。愛しているよ』と伝えてくれました。毎回、毎回、最後にそう伝えてくれたので、ずっと忘れませんし、グラウンドで頑張る姿を見せたいと思っていました。僕が少しでもケガをすると母が心配をするので、時にはケガをしたことは伝えなかったこともありました」
ソンリョンは、高校を卒業して、目標であったプロ選手になってからは、試合に出られない日々もありましたが、その苦労した経験を忘れることはなかったそうです。そのようなことを忘れて慣れてしまったら、一瞬で自分はダメになると思っていたからです。プロの世界では、本人が一生懸命やっていたとしても、1、2年でプロとしてサッカーを続けられなくなってしまう選手も、ケガで断念しなければならない選手の姿も見てきました。だからこそ、常に「初心」を忘れず、最善を尽くしてきたのです。




韓国を代表するGKのソンリョンがフロンターレに加入したのは2016年のこと。
2003年から9年間在籍したジュニーニョを抜いて、外国籍選手として最長となる10年を共にしました。
中村憲剛が2020年12月27日第100回天皇杯準決勝対ブラウブリッツ秋田戦で記録した40歳1か月27日の記録を上回り、公式戦におけるクラブ最年長出場記録(40歳10か月26日)も更新。
J1リーグ273試合、ルヴァンカップ、ACL、天皇杯など川崎フロンターレの選手として、公式戦で364試合に出場しました。
天皇杯、ルヴァンカップと悔しい準優勝を知り、2017年の初優勝から7つのタイトルを共に勝ち取った紛れもない功労者のひとりです。
2018年と2020年には、ベストイレブンを受賞。
初受賞だった2018年には、憧れの川口能活さんから盾を渡され、「この賞は、個人の賞ではなく、新吉さん、章太、安藤、ポープ、みんなで獲った賞です」とコメントしました。いつもGKチームとして切磋琢磨する関係性を築いてきました。
シューターからは壁のように感じられるほどの圧力があり、駆け引きにも優れ、チームの失点を防ぎ、勝点を生み出す貢献をしてきました。
そして、何より「同じ失点をしない」ということを徹底する姿勢を貫きました。
また、ソンリョンは、ブレない芯を持ちながらも、変化を恐れず、柔軟に自分の対応をコントロールしたり、工夫することも努力していました。
年齢を重ねてもチャレンジを続け、2020年には4-3-3へのシステム変更によりビルドアップやDFの後ろのスペースのケア、攻撃への切り替えの早さなど、GKとして役割が増えましたが、チャレンジすることをやり甲斐に感じ、成長し続けました。


コロナ禍で制限があった時期には、こんなことを言っていました。
「もう慣れましたし、ポジティブに捉えるようにしています。よく食べて、よく消化して、よく休んでいます。Netflixを観たり、お茶タイムでリラックスしたりしています。最近では、コーヒーにもはまって通販で人気のコーヒーを買ったりもしました。隔離期間も経験しましたが、少し慣れているからかもしれません。小学校中学校のときも、城南の自宅に帰れるのは週に1回ということもよくありましたし、高校時代は済州島にある遠い学校だったので、帰宅できるのは1年に1回でした。いまも、韓国に帰国するときの隔離期間もあるので、そういうなかでリラックスして過ごすことは心掛けています」
痛みがあっても試合に出ることはもちろん、ケガをしても、すぐに復帰する姿もたくさんみせてくれました。
生きていると、いい時ばかりではありませんが、こんなことを度々話してくれました。
「長いシーズン中には、いい時ばかりではなく、よくない時期や調子が悪い時も必ずあります。しかし、私が大事だと思っていることは、悪い時に引きずらないことです。失敗したり、悪いことがある時にその日は落ち込んだり悔しかったりイライラすることもあるでしょう。でも、次の日には『大丈夫』とポジティブな気持ちで、いい準備をする前向きな気持ちになることが大切です。私は、どうしてもキツイときは家族のことを考えるとエネルギーが出てきます。人それぞれだとは思いますが、周囲の人たちのことを考えて、パワーに変えるということを私はしています」
ピッチ外では、GK会を定期的に開き、加入当時から、寮生を食事に誘ったり、たくさんのチームメイトたちと交流してきました。
来日してからまだ数ヵ月の頃に、すでにこんな言動をしています。
「みんなで食事をすることが好きなので、選手たちともよくごはんに行きます。GK会は、明日やる予定で焼肉にいきます。今日は寮メンバーのコウ、ミヨシ、ショウゴ、タツヤ、ナカノの5人を連れて焼肉に行きます。韓国から日本に来て、選手たちとコミュニケーションを取って仲良くするということもありますし、とくにGKは一緒に頑張って練習するポジションなので美味しいものを食べて一緒に頑張ろう、という想いがあります。寮にいる若手は、結婚をしていないので、たまには気分転換に外で美味しいものを食べたら元気が出るんじゃないかと思って誘っています」


中村憲剛FROが、自身が引退した翌年に、ソンリョンについて語ったことがあります。
「韓国を代表するGKとして、ソンリョンのことはA代表や五輪代表での活躍はもちろん知っていました。2010年のACLでは、城南一和の一員として等々力で対戦し、城南一和はその大会で優勝しています。2016年にフロンターレに移籍すると知り、『あの、チョン ソンリョンが来るんだ!』と思ったことは今でも鮮明に覚えています。実績も申し分ない選手なのに、年上の僕のことを立ててくれ、『ケンゴさんを見ていて自分も学ぶことがあるし、リスペクトしてます』と常々話してくれたことは、うれしかったです。自分自身もソンリョンから刺激をもらっていました。
ソンリョンは、GKとしてプレーで自分の仕事を全うすることは言うまでもないですが、トレーニングも休まずしっかりと取り組み、すぐにチーム内での信頼も得ていました。ビルドアップや攻撃の起点になること、前に出ることなどは、フロンターレのサッカーが変化していく中で、チャレンジして実践してきたことだと思います。そういう新しいことも体現しつつ、GKの基本であるセービングなど本来持っている能力の両方をレベルアップしてきたことは、本当に凄いことだなと思います。また、守備の文化をフロンターレに構築してくれたことや、ディフェンス陣への声掛けなど、コミュニケーションの部分でも、いろんなことを与えてくれました。ソンリョンと共にフロンターレの優勝を経験することができましたが、彼が優勝の立役者だと僕は思っています。
オフ・ザ・ピッチの部分でも、後輩たちを食事に連れて行ってくれて、いろんな選手たちとコミュニケーションを取ってくれました。それは僕もやらなければいけないと思いながらなかなかできなかったことなので、本当に助かりました。彼のキャラクターだからこそできることだったと思うし、チーム内での立場を理解して、どうしたらチームがよくなるかを考えて実践してくれたんじゃないかと思います。ちょっと自信をなくしている若手に声を掛けたり、いろんなチームメイトに声をかけ、食事に誘ってくれていました。僕が引退してソンリョンが最年長となり、そのことを意識もしているだろうし、ピッチ内外で絶大な存在だということは間違いなく言えると思います」




2023年の天皇杯、ソンリョンによるPK決着での優勝からつながった2025年のACLEファイナルズ。
2024年秋から始まったリーグステージでは、多くの試合でソンリョンがゴールマウスに立ちました。
フロンターレでACLを獲ることは、悲願でした。
2025年4月、サウジアラビアに入りトレーニングを重ね、いよいよ翌日にACLEファイナルズ初戦となる準々決勝アルサッド戦を控えた前日。ソンリョンが語った言葉は、聞いているだけで胸に迫るものがあり、声が徐々に大きくなる程に力強いものでした。
「この大会は、昨年からつないできました。昨年はいて、今はいない選手もいるし、新たに監督、スタッフ、選手も加わりました。
マリノスとフロンターレは日本を代表して戦うことになります。
もちろん優勝をめざしていますが、まずはベスト8で勝たないと次がないので、明日の試合は決勝だと思い、勝たないといけません。相手よりもチームがひとつにならないといけません。
私は、2016年にフロンターレに加入し、韓国にいた時よりも長く所属し、初優勝からリーグ優勝、カップ戦での優勝も経験しましたが、ACLはまだチームとしてタイトルが獲れていません。内容がよくても負けたら終わってしまうので、どうやってでも結果を出し、フロンターレとしてベスト4、決勝とこれまでの結果を超えていかないと優勝はありません。超えるためには、個人としてもチームとしても成長してきたという自信をもって、試合に出る、出ない関係なく、全員で超えていかないといけません。
私自身は、今率直に言って、あまり試合に出ていない状況ですが、初めて経験することではないし、GKグループとして一緒に最善を尽くして準備をしています。もちろんチャンスが来ればいつでも戦える準備はしています。それはフィールドの選手も同じ気持ちだろうし、ACLEに来られなかったケガをしている選手もいます。
そういうことも全部ひっくるめて、最善を尽くさないといけません。
大事なことは、後悔なくやることです。
もちろん、優勝することを目標にしていますが、大会が終わった時に月日が経ち、「後悔なくできた」ということが、ひとりひとりにとっての経験になると思います。そのためには、身体で反応すること、足が攣るぐらい、喉がかれるぐらい、横で見ていて、こいつは死にものぐるいでやっているなというぐらいにやり切る。
本人だけじゃなく、いろんな人たちやいろんな要因がそこにはあると思います。なぜならチームはつながっているからです。そうした後悔なくやり切った経験は、大会が終わっても、その後にもつながっていきます。
また、サポーターの力も本当に大きな力になります。もちろん相手サポーターの方が数は多いとは思いますが、我々はプロなので、それすらも自分の味方だと思えばいいのです。
そういうこともプラスにしていく力が大事です。
今こそ、つないできたもの、チームフロンターレのつながりを感じながら、本当に力を示す時だと思います」



クラブが続いていくなかで、そこにいる選手たちの在籍期間には必ず区切りが訪れますが、それでもこの先長く続く歴史のなかで、10年間戦い続けてくれたチョン ソンリョンという存在は、ずっと記録にも記憶にも残ります。
「監督、スタッフ、一緒に戦ったチームメイト、関係者、サポーターの皆さん。皆さんに感謝しています。毎年、商店街回りを年始にしていましたが、皆さんにもまた挨拶に行きたいぐらいです。サポーターの皆さんには、どんな天候の時でも、勝っている時だけでなく、負けた時も、連敗した時も、応援してもらいました。それは、当たり前のことではありません。ブーイングをせず、応援してくれたことは、フロンターレの強みだと僕は思いますし、そういう応援をしてもらっていい結果が残せたと思います。お互いにリスペクトがあり、家族のような関係性だと感じています。これから先のことを継承するような言葉を僕が言うのはおこがましいし、僕が何かを言う立場ではないですが、質問されたので答えるのであれば、選手たちがお互いにポジティブな要求をし合い、一体感を作って、これからも優勝をするために惜しみなく頑張ってくれるのではないかと思います。これからも川崎フロンターレのことを応援しています」
ソンさん、いつも大きな心と身体で守ってくれてありがとうございました。
ソンさんは、誰かに言葉を伝える際には、最後に「健康に気をつけて」とよく言っていたので、どうぞソンさんも身体に気を付けて。
「いつの日か引退する日が来るまで、選手として後悔なくやり切りたい」と言われていたように、これからも最善を尽くすソンさんをみんな応援しています。
ありがとうございました。






Message for Sung Ryong

「僕は、2021年にフロンターレに入って、フィールドプレイヤーの選手はもちろんめちゃくちゃうまいと思ったけど、GKのレベルがこんなに違うんだと一番驚かされたのがソンさんでした。僕は、心の中で「ソンさん、ヤバイな」とずっと思っていました。ソンさんは、まずシンプルに止める能力が高すぎるし、GKの細かい技術はわからないですけど、明らかに誰が見ても圧倒的に止めていましたよね。練習でミドルシュートやシュートを打っても、バーンと壁のように大きなソンさんがいて、圧がすごくて入る気がしませんでした。また、ソンさんは、人間なのかなって思うぐらい恐怖心がなくて、そこも何度も驚かされました。例えば、ソンさんがゴール横にいて、シュート練習を見ている時に、たまに僕も含めてみんながシュートを外して、ソンさんに当たってしまい「ヤバイ!」と思っても、まったく動じない。僕は、ソンさんは当たったことに気づいてないんじゃないか(笑)とすら思っていました。それぐらい何事もなかったように動じなかった。そんなソンさんが、いつも後ろで守ってくれていたことは、安心感もすごくありましたが、やっぱり僕はそれ以上に「それも止めるんだ」という驚きが一番大きかったです。
5年間、サッカーのこともそれ以外のこともたくさん話をしたし、ご飯にも連れていってもらったり、優しくしてもらってありがとうございました。ソンさんは、これからもサッカーを続けると思うので、ソンさんが止めて驚くシーンをこれからもたくさん見たいです」 by ケント

「僕が10歳の頃、2011年カタール開催のアジアカップ準決勝で日本代表とPK戦までもつれ込んだ試合で韓国代表のGKとしてプレーするソンさんを知りました。また、フロンターレに入る前、ちょうど2019年ルヴァンカップ決勝前の時期に、大学2年だった僕は、あるクラブに練習参加する形で、麻生グラウンドでフロンターレと練習試合をしたことがありました。その日、フロンターレはサブ組が中心だったのですが、とはいえ、GKはソンさん、フィールドもユウさん、ヤスくん、ジェジエウもいて、ボールを触ることができないぐらいうまかったし、一番驚いたのはソンさんで、前半だけで3本ぐらい入ったなと思うシーンを全部止めていました。衝撃でしたし、僕が今まで見たGKのなかで一番すごいと思っています。あの日、茨城県から電車で栗平まではるばる来たことも含めて、すごく覚えています。
そんなソンさんと一緒にプレーするようになってからは、信頼もありましたし、実際に僕のミスがあっても何点もソンさんが阻止してカバーしてくれました。ピッチ外でもたくさん話したし、ソンさんに美味しい焼肉屋とかごはんやさんを教えてもらったり、そういう時もソンさんはいろいろ情報を調べてくれました。
ソンさんは、プレーを続けると思うので、サッカーをお互い続けていたら、また対戦したり、一緒にボールを蹴ったりしたいし、またご飯にも連れていってください」 by アサヒ

「1年間たくさんのことをサッカー面でも人間性も身近で学ばせてもらって本当に感謝しています。まだまだ足りないですけど、僕がもっといい人間、選手になるためにソンリョンさんと一緒にやれたことに感謝しているし、本当に貴重な存在でした。僕が思うソンリョンさんのすごいところは、“マイペース”なところ。性格的な部分だけじゃなく、プレーに対して確固たるものがありました。毎日毎日、同じ様に一定にできることは、なかなか難しいことだと思いますが、本当に安定していました。ソンリョンさんという人間自体に「落ち着き」があり、それも見習っているところです。僕はちょっとせっかちなところがあるので、急いでもいいことがないと知りました。
また、ソンリョンさんに僕がいつも挨拶をしていたので、「そんなに挨拶しなくて大丈夫」と言われたこともありました。僕にとってソンリョンさんは、言葉に表せられない特別な存在です。半年ぐらいリハビリなどもあったので、本当はもっと一緒にやりたかったし、僕はソンリョンさんの息子さんと4歳しか年が違わないぐらい年齢は離れていましたが、もっともっとソンリョンさんと仲良くなりたかったです。食事にも連れていってもらいましたが、ソンリョンさんのおかげでおいしいお店もたくさん知ることができました。本当にありがとうございました」 by クンヒョン















profile
[ちょん・そんりょん]
恵まれたフィジカルと冷静な状況判断が武器のGK。長年のキャリアで積み上げてきた経験を生かしたセービングでチームのピンチを何度も救ってきた。2016年から2025年までの10年間、川崎フロンターレの守護神として7つのタイトル獲得にも貢献した。
1985年1月4日、大韓民国 城南市生まれニックネーム:ソンリョン
