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テキスト/麻生広郷 写真:大堀 優(オフィシャル) text by Aso Hirosato photo by Ohori Suguru (Official)

 今シーズン限りで川崎フロンターレを離れることになりました。プロサッカー選手でいる限り、いつか必ずこういう日が来るのはわかっていました。フロンターレで長くプレーさせてもらい、いいときも悪いときもありましたが、自分にとって非常に有意義で幸せな時間を過ごすことができました。

 初めて来日した2019年から7年間、たくさんの方々に応援してもらい、励ましの言葉をかけていただきました。サポーターの皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。今年のホーム最終戦での挨拶、そして麻生グラウンドでのお別れ会で自分の気持ちを伝えることができてよかったです。

 そして川崎フロンターレでの僕を支えてきてくれたチームメイト、スタッフ、クラブ関係者の方々。皆さんのサポートがあったからこそ、僕はピッチでチームのためにおもいきりプレーすることができました。

DF4 / ジェジエウ選手 "JESIEL" Jesiel Cardoso Miranda

川崎フロンターレ 2019〜2025

チーム成績

2019
FUJI XEROX SUPER CUP2019優勝、2019JリーグYBCルヴァンカップ優勝
2020
2020明治安田生命J1リーグ優勝、天皇杯JFA第100回全日本サッカー選手権大会優勝
2021
FUJI XEROX SUPER CUP2021優勝、2021明治安田生命J1リーグ優勝
2022
FUJIFILM SUPER CUP2022準優勝
2023
天皇杯JFA第103回全日本サッカー選手権大会優勝
2024
FUJIFILM SUPER CUP 2024優勝
2025
AFCチャンピオンズリーグエリート2024/25準優勝

個人成績

2020
Jリーグベストイレブン、Jリーグ優秀選手賞
2021
Jリーグベストイレブン、Jリーグ優秀選手賞

from ウジソン(フィジオセラピスト)

 ジェジはピッチでは責任感があり人間性としても素晴らしく、彼が通るところにポジティブなエネルギーが充満するような人です。個人的にはジェジ、マルシーニョ、私の3人は年齢的に近いこともあり、まるで兄弟のような関係で、リスペクトしあいながら仕事のパートナーとしてもお互いにいい仕事ができたんじゃないかなと思っています。彼は私が一緒に働いた選手のなかでもトップクラスのプロフェッショナルですし、妻同士も交流があるのでまさにファミリーのような感覚です。

 彼からチームを離れることになったという話を聞いたとき、ネガティブな話ではなくクラブに対する感謝の言葉が多かったです。彼が過ごした7年間のなかで苦しんだ時期もありましたが、愛するクラブで過ごせた日々をすごくポジティブにとらえていました。彼がフロンターレとともに歩んできた軌跡、獲得したチームタイトル、個人成績は素晴らしいものであり、クラブのレジェンドの1人と言っていいと思います。

 ジェジはここ数年ケガで苦しんでいましたが、今年に関しては多少筋肉系のトラブルはあったものの、問題だった膝の状態はだいぶ上向いてきました。さまざまなデータを見てもいいときの状態に近い数値が出るようになっているんですが、それは彼自身の努力、そしてメディカルスタッフの協力の結果だと思っています。

 2025年をもってジェジはフロンターレでのサイクルを終わらせるわけですが、彼が愛するチームのため最後にしっかりプレーできたことがよかったですし、1人のメディカルスタッフとしても彼が元気にプレーする姿を見ることができてうれしく思います。

 私は少しの期間ですが、彼がフロンターレで歩んできた道に関われたことをすごくうれしく思いますし、感謝しています。彼のこのチームでのサイクルは終了しますが、これから先のキャリアも応援したいと思いますし、彼が新しいチャレンジをする姿を見ることができるのは私自身もすごく幸せです。

 リスペクトしあい、仲間として、素晴らしい友として過ごした時間は私の宝物です。この気持ちをずっと自分の心の中に持ち続けたいと思っています。ジェジ、ありがとう。

from 古川宏人(ポルトガル語通訳)

 ジェジとは私がフロンターレに来た2023年からの付き合いになりますが、ひと言でいうと「すごくいいヤツ」です。ピッチでは自分のやるべきことをやって、ピッチから出れば真面目で心優しく、家族思いで友達想いです。いまいるブラジル人選手のなかで日本で車を運転できるのはジェジだけなので、選手の送り迎えを手伝ってくれることもありました。

 2023年はジェジ、マルシーニョの他にダミアン(レアンドロ ダミアン)やジョアン(ジョアン シミッチ)といったブラジル人選手がいたんですが、ダミアンは人間的にしっかりしてジョアンも日本人に近い勤勉さがあったので、もしかすると彼らから受け継いだものがあったのかもしれません。

 彼はここ数年リハビリの期間が長く、おそらくトラウマになるぐらいの回数のMRI検査を受けていると思います。でも、そういった時期を何度も乗り越えてきことが、現在の彼の気持ちの強さにつながったのではないでしょうか。今年に関して言うとウジソン(フィジオセラピスト)が来てくれたのでリハビリ面での進展があったと思いますし、膝自体はだいぶよくなっているので筋力が整ってくればまだまだいいプレーができると思っています。

 またジェジはブラジルの生まれ故郷の小さな町にサッカーグラウンドを作り、サッカースクールを運営するプロジェクトを進めています。彼自身も子どもの頃、地元のサッカースクールからスタートして、それから規模が大きなクラブに移りプロの世界にたどり着きました。自身の経験をふまえてブラジルの子どもたちの未来、可能性を広げるようなことにも取り組んでいます。

 これはジェジの奥様から聞いたのですが、彼は生まれ故郷の町でおそらく一番成功しているサッカー選手だそうです。そこにグラウンドや施設も作っているので地元では有名人だそうですが、彼が偉ぶることは一切なくて、町の人たちから「ちょっとコーヒーでも飲んでいけよ」と気軽に声をかけられるそうです。ジェジと触れ合ったことがあるサポーターの皆さんならわかると思いますが、彼のフレンドリーさ、親しみやすい人間性を表していますよね。

 最後に、ジェジへのメッセージを送ります。彼はサッカー選手としてだけではなく1人の人間としても素晴らしいものを持っているので、これからも自分らしく頑張ってほしいなと思います。来年にお子さんが生まれる予定なので奥様も多少不安な気持ちがあるかもしれませんが、彼と一緒ならきっと大丈夫です。来年彼がどこで何をしているかはまだわからないですが、いつかジェジの子どもの顔を見に行けたらいいなと思っています。

from エリソン

 ジェジは本当に素晴らしい人格者で、つねに自分たちのことを気にかけてくれていました。ブラジル人選手やスタッフだけではなくて、彼に関わるすべての人たちに対してです。周囲の人たちへの配慮、そして何か手伝いができればという姿勢は自分も学ぶべきものがありました。

 僕が来日した2024年の頭にジェジと会ったのですが、初対面ということでお互いにちょっと引いた感じというか、ぎくしゃくした空気がありました。ジェジは最初真面目な顔をしてすましていたので「もしかしたら怖いヤツなのかな」って思っていましたが、全然違いました(笑)。出会って2日目を過ぎた頃にはお互いに笑顔で話せるようになって、この2年間で親友と呼べるようないい関係を築くことができたと思います。

 ブラジル人選手やスタッフは遠く離れた地から日本に来ているので、自然とみんなで助け合おうという雰囲気が生まれます。この日は誰かの家に集まって食事をしよう、別の日はまた違う誰かの家に集まろうということを繰り返しているうちに、本当のファミリーのような関係性になるんです。

 ジェジはピッチの上では周りの選手みんなに声をかけてくれて、彼が持つリーダーシップがすごく発揮されているイメージがあります。つねにモチベーションを上げてくれるような言葉を発していますし、誰かがプレーでミスをしたとしても「もう1回チャレンジしてくれ!」といったポジティブな声がけをしてくれます。試合中はもちろんですが、日々のトレーニングでも彼の存在は非常に大きいと思います。

 ピッチ外に関しては、皆さんご存じのとおりです。ジェジの心の大きさ、人間性が周りの人たちを惹きつけ、彼自身もみんなをサポートしてくれるようなイメージです。彼からチームを離れる知らせを聞いたときは言葉にするのがなかなか難しかったですし、やはり寂しい気持ちになりました。でも彼が次にどんなキャリアに進むとしても応援したいですし、彼の能力と人間性があれば、神が彼自身、そして彼の家族を必ず守り続けてくれると思います。

 フロンターレを離れるときにたくさんのサポーターが彼への感謝の気持ちを伝えていましたが、僕も同じ思いです。とにかくジェジにはこれから先も幸せな人生を歩んでもらいたいです。これからも人生を歩むうえでいろいろな出来事が起こると思いますが、それらはすべて彼の存在の証明であり、存在する価値だと思っています。

 「やり続けた人間に対して神が導いてくれる」。これは僕が好きな言葉です。この言葉を彼に送りたいと思います。

from マルシーニョ

 ジェジは本当にクラブにとって重要な選手でした。数々のタイトルを獲得したチームの一員であり、クラブに本当に素晴らしい結果をもたらした偉大な選手です。

 僕がフロンターレでプレーすることになり来日したとき、チームメイトとともに温かく迎え入れてくれたことをいまでも覚えています。とくにジェジは日本のサッカーや生活面でいろいろなアドバイスをしてくれて手伝ってくれました。僕は日本では車の運転ができないので、彼に専属の運転手にもなってもらいました(笑)。本当に助かりました。

 またグラウンドの外では本当に兄弟と言ってもいいぐらい仲良くさせてもらいました。一緒に食事に行ったりオフに出かけたり、ピッチ外でも彼とともに素晴らしい日々を過ごすことができました。お互いの家族間でも交流がありましたし、一緒にいるのがとても楽しかったぶん、やはり別れは寂しいものがあります。

 ただ、サッカーの世界というのは出会いと別れの繰り返しで、これから先もいろいろな出来事があると思います。でも彼はプレーヤーとしてたくさんの成功を収めてきましたし、人間的にも信頼できる本当に素晴らしい人です。どんな道に進むとしても素晴らしい未来が待っていると信じています。

 これから先、お互いにどうなるかは誰にもわかりません。次にピッチで会うときは対戦相手かもしれないですし、もしかすると将来また一緒のチームでプレーすることもあるかもしれません。そのときはお手やわらかにお願いします(笑)。とにかく彼にはこれから先もっともっと成功してほしいと思います。

 ジェジのこれからのキャリアも輝かしいものでありますように。そう祈っていますし、もし何か困ったことがあったら、今度は自分が彼のことを手助けしたいと思っています。

from 中山和也(ポルトガル語通訳)

 ジェジと最初に会ったのは7年前の2019年です。初の海外でのプレーということもあってか、おとなしくてちょっと人見知りというのが第一印象でした。その年に来日したブラジル人選手はジェジとダミアン(レアンドロ ダミアン/2019-2024)、マギーニョ(2019-2021)でしたが、ジェジはダミアンのことをリスペクトしていて、例えるのであればダミアンが水戸黄門様で、マギーニョとジェジが助さん格さんみたいに黄門様の後ろをついて回っていました(笑)。

 経験豊富なダミアンが海外でプレーするための心構えみたいなものを彼らによく話していたので、来日した当初と比べるとジェジもだいぶ変わったと思います。もともとの性格的なものかもしれないですが、サポーターへの皆さんとの接し方も年々オープンになってきたと感じています。マイペースで出不精なので自分から率先して出かけるようなタイプではないですが、アクティブなダミアンの影響もあって電車に乗ることも覚えて、1人で病院に通えるようになりました。

 ジェジはJリーグでデビューするまでに半年ぐらいかかりました。いまのジェジからすると信じられないかもしれないですが、当初は血気盛んだったので試合に出られないストレスをなだめるのに大変でした(笑)。でも苦しい時期を乗り越えてデビューしてから、あっという間に自分のポジションをつかみました。それからの彼の活躍は皆さんご存知のとおりです。

 今年限りでフロンターレを離れるという話を本人から直接話を聞いたとき、「7年間ありがとう。感謝してるよ」と僕に言ってくれました。長くチームにいたぶん本人としても残念な気持ちだったと思います。でもサッカー選手としてこのクラブで素晴らしい経験をして、たくさんのいい思い出もできたこともあってか、彼はすっきりとした表情に見えました。

 この7年間でジェジがこのチームに与えたいい影響は計り知れないと思いますし、何よりクラブの新しい歴史を作ったという事実があります。フロンターレで過ごした日々を自信と誇りに変えて、今後もサッカー人生を続けて頑張ってもらいたいと思います。

 またこの7年間で1人の人間としてもだいぶ成長できたのではないでしょうか。2、3年前までは彼の奥様から「でっかい子ども」と言われていましたが(笑)、そんなジェジも来年パパになる予定です。いままで以上に大人になって、素晴らしい父親になってもらいたいと思います。

Mensagem de JESIEL para os amigos

 僕が始めて来日した2019年はダミアン(レアンドロ ダミアン)とマギーニョも一緒で、半年早くカイオ セザールがチームにいました。ダミアンが一番年上でたくさんの経験があったので「もう40歳ぐらいの貫禄だよな」なんてジョークを飛ばしたりもしましたが、彼はまるで兄のように僕たちにいろいろなことを教えてくれサポートしてくれました。

 そして2020年にはジオゴ(ジオゴ マテウス)がチームに来て、2021年に日本での生活が長いジョアン(ジョアン シミッチ)が来ました。ジョアンはブラジルの食事よりも日本食が好きと話すぐらい日本の生活に馴染んでいたので、日本の文化をいろいろ教えてもらいました。

 通訳のガンジーさん(白沢敬典通訳)にもお世話になりましたね。ガンジーさんは僕たちブラジル人選手のおじいちゃんのような存在で、一緒にレストランでランチをしたりカレーを食べたりしました。プライベートではガンジーさんは本当のおじいちゃんでたくさんの孫がいるので、家族の話をしたりして楽しい時間を過ごしました。そうやっていろいろな人たちと一緒に過ごすなかで徐々に日本の生活に慣れていったのもいい思い出です。

 そして2021年の夏にマルシーニョがフロンターレにやって来ました。マルシーニョは本当に陽気な人間で、プライベートではいつも楽しそうにしています。練習が終わるとロッカールームでいつも音楽を流して、わいわい騒ぎながら踊っています。たぶん彼の人生でサッカーと音楽がなくなったらマルシーニョじゃなくなってしまうのではないでしょうか。

 マルシーニョが来年もフロンターレでプレーするのであれば、ブラジル人チームのキャプテンマークはマルシーニョに渡したいと思います。僕がチームに来たときはダミアンがキャプテンで、彼がブラジル人たちをオーガナイズしてくれていました。そのキャプテンマークを受け継いだ僕は、いまではマルシーニョたちのUberタクシーとして働いています(笑)。今度はマルシーニョが若い選手やスタッフの面倒を見てあげてくださいね。

 エリソンは去年フロンターレに来て今年が2年目で、日本のサッカーや生活にだいぶ慣れてきたと思います。彼は普段の練習からすごく一生懸命で、つねに向上心をもって真面目に取り組む男です。ただ、ちょっと気が短いところがあるので、そういうときには周りのみんなで「落ち着け、落ち着け!」ってなだめていますが。

 そんな僕も来日した当初はすぐにカッとなるタイプだったので、自分の目標に対して少し遠回りしてしまいました。でもこの7年間で頭の中は冷静にということを学んだので、自分の経験を彼に伝えようと思って彼にいろいろな話をしています。「落ち着いていれば大丈夫」。僕からはこの言葉をエリソンに送りたいと思います。

 ウジソンはフロンターレで一緒に仕事をしたのは1年だけですが、その前に横浜FCで仕事をしていた頃からの知り合いでした。プロとしての役割をしっかりこなしてくれる人で、一緒に仕事ができてよかったです。不本意ながら僕がリハビリからチームトレーニングに加わるまでの期間をともに過ごしましたが、パワートレーニングやスピードトレーニングのときに何度もポジティブな励ましの声をかけてくれました。また彼は日本の生活が長く食文化にも勉強熱心なので、僕たちに美味しい日本のレストランをたくさん紹介してくれました(笑)。

 ヒロトさん(古川宏人通訳)は主に僕らの家族が来日したときのケアや、ブラジル人が日本で生活するための環境を整えてくれました。海外で生活すると市役所や病院等の手続きやら何やらで本当に大変なんですが、僕が自分の仕事に集中できたのはヒロトさんをはじめ僕に関わってくれた通訳の皆さんのおかげです。ガンジーさん、ヒロトさん、そしてゴンさん(中山和也通訳)、本当にお世話になりました。

 そしてレオンことゴンさんは、僕がフロンターレに来た2019年からずっとサポートしてくれた人です。来日して最初に僕のことを快く受け入れてくれました。

 いまこうして話していることもゴンさんに通訳してもらっているのでなんだか照れくさいですが、最後なのでちゃんと言いますね(笑)。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。この7年間、つね日頃から僕のことを支えてくれて、難しい時間を過ごす時間が長いときもポジティブな声をかけ続けてくれました。

 日本で暮らし始めてから数年はわからないことばかりで「〇〇はどうすればいいんだ?」「高速道路でインターチェンジを通り過ぎちゃった」「〇〇が必要だと言われたんだけど」といった問題が発生したとき、何かあればまずゴンさんに電話していました。プライベートでも長い時間を一緒に過ごし、ゴンさんの子どもたちが生まれて成長していく姿も見てきました。まさに家族のような存在です。手術をするためにブラジルに帰り長く過ごさなければいけないときも、日本から励ましのメッセージを送ってきてくれました。たまに「お土産よろしくな」ってメッセージも入っていましたが。

 試合中の僕は気持ちが先走ってしまい、ついオーバーワークになってしまうときがあります。そんなときにはゴンさんがピッチの外から「おい、大丈夫か?」「ちゃんとコントロールしろよ!」「落ち着け!」と僕がチームの役割をまっとうできるように声をかけてくれ、僕がピッチで感じていることを監督やコーチに的確に伝えてくれました。なぜか通訳が退場してグラウンドからいなくなった試合もありましたが…。ゴンさんらしいですね(笑)。それからは逆に「気をつけて喋るように!」とポルトガル語でコーチングするように心がけました。


 もちろん楽しい出来事はたくさんありました。でもそういう時間が過ぎるのはあっという間で、自分の頭の中に残っているのはやはり苦しい時間です。でも、そんなときに周りのみんなが僕をサポートしてくれたことが、いまではいい思い出になっています。

 そして年齢や国籍に関係なく、この7年間で僕と関わってくれたすべての選手のおかげでここまでやってくることができました。チームを離れることが決まってからカオル(三笘薫)やチャナ(チャナティップ)をはじめ、他のチームで頑張っている選手たちからメッセージが届いたり、ホーム最終戦では忙しいなかノボリ(登里享平)やミキ(山根視来)がスタジアムまで来てくれました。ひさしぶりに会うことができて本当にうれしかったです。

 ブラジルから遠い日本に来て、フロンターレのスタッフのみんなもまるでファミリーのように仲良くしてくれました。スタッフの方々は役割としては僕たち選手の妻みたいなものです。いつも隣にいて手助けしあいながら苦楽をともに過ごし、誰かの誕生日パーティーがあるときはみんなで集まってご飯を食べたり一緒に歌ったりしました。

 チームを離れること自体は残念ですし、時間がたてばたつほど寂しい気持ちになるかもしれません。でも、いまは自分に関わってくれたすべての人に感謝して、また再会しようと約束をして、チーム解散式が終わりブラジル行きの飛行機に乗るまでの残り時間を楽しみたいと思います。

 そして最後に。改めてサポーターの皆さんへ。

 いろいろなことを学び、成長することができたフロンターレでの7年間でした。この先の自分がどうなるかはわかりませんが、またどこかで会いましょう!そんな希望をもってブラジルで過ごしたいと思います。

ミナサン、アリガトウゴザイマシタ。アイシテル。

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[じぇじえう]

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強靭なフィジカルとスピードを生かし対人戦で絶対的な自信を持つセンターバック。空中戦や背後のスペースのケアでも強さを誇り、チームのピンチを未然に防ぐ。フロンターレで過ごした2019シーズンからの7年間で156試合出場7得点。ベストイレブンに2回選出され、5つのタイトル獲得に貢献した。

1994年3月5日、ブラジル、サンパウロ州生まれニックネーム:ジェジエウ

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