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ストライカーとして、生きる

テキスト/隠岐 麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル) text by Oki Marina photo by Ohori Suguru (Official)

小林悠がゴールを決めると、スタジアムが熱狂に包まれる。

私たちは、ヒーローの姿に何度も心を揺さぶられてきた。

9月23日、39歳の誕生日に2027年1月1日での引退を発表した。

残りの時間を、それぞれが大切に、当たり前ではない今日を過ごしていきたい。

会見

 2026年9月23日、11時。

 39歳の誕生日に、川崎フロンターレ11番、小林悠の引退発表会見が行われた。

 クラブハウスには、麻布大学附属渕野辺高校(現・麻布大学附属高等学校)の同級生でもある太田宏介さんからの労いのメッセージつきの大きな花が届いていた。

 通路には、「小林悠選手 立ち入り禁止」と張り紙があり、そこから先には、オフィシャルフォトグラファーの大堀さんが17年間、プロ入り前も含めると19年間にわたって撮影してきた104枚の画像をA3サイズでプリントしたものを、1階の通路から階段、そして2階の会見場までスタッフが貼り付ける作業をしていた。

 1枚目は、小林が大学3年生の時に練習参加した際に、フロンターレの一員として練習試合に出た時のもの。そして、最後は、チームメイトの前で引退発表をした時の写真と、その下には小林がここ数年で最も一緒に時間を過ごしてきた丸山との笑顔の1枚だった。

 振り向くと、U等々力で大堀さんが撮影した家族との写真が数枚、貼られていた。小林家に子どもが誕生し、3兄弟が成長していく様子が、その数枚からも伝わり、会見前にサプライズで写真を目にした小林は涙が出てしまったという。

 クラブハウスには、かつて小林がチームメイトとして時間を過ごし、選手を引退した今は強化スタッフとなった森谷賢太郎、ヘッドコーチの中村憲剛が見守る姿もあった。

 会見が終わった直後に、小林はこう話していた。

「今は話せたので、スッキリしています。昨日の告知があって、思うところがあった方たちもいたと思いますし、やっぱり僕のことを応援してくれているサポーター、フロンターレのサポーターに伝えたいなという気持ちで話しました」

 比較的落ち着いた状態で、会見に臨むことができたというが、サポーターのことを聞かれると、涙が出てきた。それぐらいに、応援してくれている人たちの存在を意識して、感じてきた。とくに自分が試合に出ていない時やリハビリ中など苦しい心境になっている時ほど、等々力からの帰り道に、11番のユニフォームを着ている人たちを見ると、「もう一回頑張ろう」と気持ちを奮い立たせてもらってきた。

 涙ながらに話す小林の姿を配信で見て、応援してきた方たちは感無量だっただろうと思うが、「泣かせてくれるぐらい応援をしてもらっているので。会見では泣かないだろうと思っていたら、サポーターの話を聞かれたら涙が出てしまったので、本当に助けられているんだなと改めて思いました」と小林は言っていた。

仲間

 遡ること約1週間前、9月15日の練習前のミーティングでチームメイトの前に立ち、引退することを告げた。

「みんなの前で話をする時には、いろんな人の顔を見たら泣けてきちゃいそうだったので、ずっと上を向いてしゃべっていました。それでも、自分の想いを伝えた時には涙が出ましたし、泰斗とか泣いてくれてましたけど、その時の方がちょっと緊張しましたね」

 事前に家長昭博、大島僚太、丸山祐市には、それぞれに意向を伝えていたという。

 チームメイトに伝え、部屋を出ようとすると、家長が待っていてくれた。

「アキくんが『よく頑張った』って泣きながら抱きしめてくれて。この歳にならないとわからない辛いことがたくさんあるし、いろんなものを犠牲にしてやってきた。思うように身体が動かないとか、気持ちの面もアキくんは分かってくれていると思います。それはやっぱり、若い選手や中堅の選手とは感じるものが違う。だから、アキくんと一緒に泣きながら抱き合えたことは、すごくうれしかった」

 家長に、その翌日に話を聞いた。

「悠には、もうよくやったとしか思わないですね。頑張ってきたという、ありきたりな言葉では表せないぐらいに彼は頑張ったと思うし、そんな彼が自分で引退を決めた。個人的に寂しいとか、もうちょっとやってほしいという気持ちは当たり前のようにありますけど、尊敬しかないし、凄い選手やったと僕が言わずともみんながそう思っているでしょうけど、自分が一番それを思っているかもしれないです」

 互いの30代のほとんどを一緒に過ごし、約10年の月日になろうとしている。

「俺らは、そんなにベタベタする関係じゃなかったので、常に何かを相談したり、話し込んだりする関係じゃなかったですけど、本当に悠のおかげでいい時間を過ごせたのは、明らかだし、お互いの、いい時も悪い時も、それぞれにありながら、一緒に戦ってきたのは間違いなくて。言葉で表していなくても、お互いに心の中では、ずっとあった。チームメイトとしてあれほど頼りになる男はいなかったなって、すごく感じてるので、感謝しかないです。僕たちは、全然性格も違うし、考え方も多分違うでしょうけど、でも尊敬してるので、特別な存在ではあったと思います」(家長)

 2024年に加入した丸山とは、多くの時間を一緒に過ごした仲間であり、準備の取り組みや考え方が似ていた面もあったという。前向きで明るい雰囲気を好む小林にとっては、朝早くからクラブハウスで互いに準備をする際にも、丸山とのたわいもない会話や存在に助けられてきた面もあったと何度か話していた。

 引退発表の3日後に、ふたりの対談をすることになり、そこではこんな話をお互いにしていた。

「マルは、代表で一緒だった時は、もっと真面目なキャラなのかと思っていたから、こんなに仲良くなるとは思わなかった。僕もマルも明るいし、そういう波長があって、朝早くからクラブハウスに行ってマルに会うと、疲労があったり、痛いところがあったりしても、元気に1日のスタートが切れる。年齢も近くて気が合うマルがいてくれて、本当に僕は助かっていたし、ありがたかった」

 丸山は、「僕はまだユウくんの引退をあきらめてない」と小林に何度も告げているそうだが、本人を前に、こんな話をしてくれた。

「改めて僕が言うまでもなく、これだけの数字を残していることもそうだし、フロンターレでの功績や、ずっとクラブ一筋で来たこともそう。その上で、練習での取り組みは素晴らしいものがあったので。ただ、3年ぐらいしか一緒にやれていないので、もう少し一緒にやりたかったな。お互いがピッチに立って、もっと一緒にプレーできていたら、もっと楽しかったなと思う」

 それを聞いた小林は横で何度もうなずいていた。

「でも、まだあきらめてないですからね」と丸山が言って、ふたりは笑顔になった。

決断

 いつか、必ず選手は引退という区切りを迎えることになる。

 小林は、ストライカーとして、シーズンを通してゴールが決められなかったら退くべきではないかという考えがあったという。

 遡ること2025年7月、節目となった試合があったと引退会見で明かしている。

 2025年7月20日、ガンバ大阪戦を前に、「今日決められなかったらサッカーをやめるかもしれない」という気持ちをLINEで妻にだけ伝えていた。それで、前半9分にゴールを決めてみせるのも危機感から来る気持ちのギラつきと、その集中力に脱帽する。

「天皇杯の相模原戦(2025年7月16日)で先発して、その試合、チームが負けて(PK戦で敗退)。4日後のガンバ戦は、エリソンが復帰してスタメンになるかなと思っていたけど、シゲさん(長谷部監督)が僕を先発で使ってくれて、点が取れた。自分の中では、大事な試合というか、想いがこもった試合でした。あのゴールがなかったら、そのシーズンで引退していたかもしれない。後に、引退が決まって、シゲさんには、あの時、使ってもらってありがとうございましたと伝えました」

 会見の場で、小林は、引退の理由をこう表現していた。

「一番決め手になったことは、自分自身のことを自分が信じ切れなくなってしまったというのが一番の理由で、やっぱり気持ちでプレーしている部分が多かったので、それができないのなら選手を退くべきだなという風に思い決断しました」

 それだけ、ストライカーとしての自分に向き合い続け、ギラギラする気持ちまで持って行くため、自分自身に矢印を向け続けてきたのだろう。

 小林は、ゴールを決めてチームを勝たせる。

 そういう自分の姿をいつも明確にイメージして、ピッチに立ってきた。それが家族や応援してくれる人たちが望んでいることだし、自分自身もそうありたいと願ってきた。自分を信じてくれる存在をパワーに変え、悔しさからくるイライラする感情すらエネルギーにして、「ギラつき」へと昇華させていった。

 自分がゴールを決めると信じてきたし、ゴールを決めると、「生きている」と実感できた。そして、そのために「今、この一瞬」すら、手抜きをしないでやるべきことをやってきた。

 公式戦では、出場機会が減っていくなかでも、練習試合でゴールを重ねて、その姿勢は貫いていた。

「練習試合では、毎週のようにゴールを決めていたこともあったし、僕にとっては、練習試合で、相手が大学生でもJ1のクラブではなくても、誰であっても、それが本番だと思ってやっていたし、そこでゴールを決めて自分をアピールすることで、試合に出るチャンスを掴もうと思ってやっていました。点の取り方とか最後の仕上げは、そこに運んでさえくれれば、誰にも負けない自信がある。練習試合だけど、ゴールを決めることで、(ストライカーとして)ちょっと“生きている”と思えて、それで気持ちを保てていました」

 だが、リハビリの時間が続くと、気持ちが揺れながらも、そのまま引退する方向に一度は、気持ちが傾いていったという。今の自分が、またギラついた自分に戻れるのだろうかと信じることが難しいと感じる日もあった。それでも、周囲にいる人や小林を理解してくれる人たちの存在が、それぞれのやり方で小林の心をぐっと支え、導かれるように、結果的に2027年1月1日をもって、現役生活を終えるという着地点を迎えることになった。

「百年構想リーグでは点も取れていなかったし、終盤はリハビリ中だったので、余計にプレーをするイメージがわかず、やめた方がいいのかなとも思うこともありました。でも、気持ちが変わることもあったし、やっとジョギングをしている状態で、チームメイトが走っているのを見て、あの中には戻れないのかなと思うこともありました。

百年構想リーグが終わる1か月ぐらい前から強化部のタケさん(竹内弘明強化本部長)とも話はしていて、妻にもその頃に、やめようかなと思っていることを伝えました。会見では、うまく伝えられなかったんですけど、その時、妻は彼女自身にもっとできることがあったんじゃないかという気持ちが込み上げて泣いてくれていました。

百年構想リーグで僕はほとんど出てなかったし、話した時はリハビリ中だったので、そのままやめたら、もうピッチで僕がユニフォームを着ている姿を子どもたちには見せられない。ここ最近は子どもたちのサッカーもあって、週末には遠くまで妻が一緒に行ってくれたりして、等々力に来られない日もあったから、あの時、連れていけばよかったんじゃないかという後悔もあったようです。

妻は、大学時代からずっと、一番近くで支えてもらって一緒に頑張ってくれた存在だし、ずっと応援してくれていたので、サポーターにも、子どもたちにも僕がピッチに立つ姿を見てもらいたいし、自分自身も見たいという思いもあったんじゃないかなと思います。『確かに、そうだよな』と今は、僕も同じ気持ちなので、あの時、泣いてくれた妻には本当に感謝しています。

 ケンゴさんには連絡した時に、百年構想リーグでケガをしてこのままサポーターの前に出られないままやめるのは違うんじゃないか。もし1年頑張れないなら半年ということもあるかもしれないし、話をすれば、クラブも力になってくれるんじゃないかと助言してくれました。タケさん(竹内強化本部長)とも話をしていくなかで、その頃には百年構想リーグも終盤だったので、この時期に発表して、悠が引退するというのは、クラブとしても送り出せないよ、とタケさんも言ってくれて、12月まで(2027年1月1日)という話になりました」

 フロンターレに加入し17年目を迎える小林は、引退発表時点で公式戦184ゴールを決め(その後、10/3 U-21Jリーグで1ゴールを記録)、そのうちJ1では通算144ゴールを決めている。ワンクラブマンとして生きて、2017年、悲願の初優勝を決めた際のキャプテンであり、自身も得点王とMVPに輝いた。

 小林の大きな転機の決断の際には、常に身近で寄り添う妻の存在と、会見でも名前を挙げていた幼馴染の小野寺達也(現・ギラヴァンツ北九州強化担当)、そして中村憲剛という理解者の姿があったように思う。

「移籍の話があった時にも、フロンターレの継承のために悠は絶対にいてほしい存在だったので僕も必死に止めましたけど、悠があの時、残留してくれたことはクラブのその後のタイトル獲得に大きな影響があったし、彼は初優勝をした時のキャプテンですから」と、中村は小林が引退発表をした日、クラブハウスで、そう言っていた。

 クラブにとっても、小林は特別な功労者だと言えるだろう。

「一番大事にしたかったのは、悠自身が納得するカタチで決断することだと思っていましたが、クラブとしても悠のことを百年構想リーグで記録が残らないまま引退となるのは違うんじゃないかと思いました。中途半端に終わらせてはいけない選手だ、と。本人自身もそうですが、これだけ悠は応援してくれているサポーターがいるし、家族のためにも、心の準備をする期間をきちんと設けた方がいいだろうし、もう一度、試合に出るために、しっかりやり切った方がいいんじゃないかという話は伝えました」(竹内強化本部長)

 正式に引退の時期が決まってからも、2026/27シーズンの始まりのタイミングでケガをしたこともあり、引退発表の日まですべてが順調だったわけではないが、それでも、周囲の人たちからのサポートもあり、メディカルスタッフとも丁寧に調整し、やるべきことに取り組みながら、少しずつ前を向いてきた。

「残り期間、もちろんケガをする不安はありますけど、ピッチに立てる姿を家族にもサポーターにも、もしかしたら見せられるかもしれないと思えていることは本当によかったと思っているし、今は最後に小林悠という選手を見せてあげられたら自分自身も本当にやりきったなと心から言えると思います。今、チームもいい状態になってきていると思うし、崩せているから、上から観ていても10分でも出たらゴールできるんじゃないかってイメージもできます。家族も、みんなでしっかり送り出したいと、前向きに背中を押してくれています。

オニさん(鬼木達前監督)には、引退発表の少し前に報告の連絡をしました。僕が悩んだ時期に一度、オニさんに連絡しようかなと思った時、自分の迷いを察して、そのタイミングではあえて話をしなかったと聞きました。電話越しに自分のために泣いてくれて、すごくうれしかったです」

 こうして、紆余曲折がありながらも、1日1日を丁寧に過ごしていくなかで、ちょうどチームの全体練習に合流するタイミングと重なるように、9月23日、39歳での引退発表の日を迎えることになった。

言霊

 引退発表をすると、大きな反響があり、うれしいこともあった。

「これまで一緒にやってきた後輩たちから、長文のメッセージが本当にたくさん届いて、本当にうれしかったです。自分への労いだけじゃなく、悠さんが自分にこういう風にしてくれたから、今も自分は頑張れていますとか、悠さんの言動が、年を重ねた今、自分が後輩たちにそういう風に見せて行きたいと思うとか、そういうすごくうれしい言葉をたくさんもらいました。僕が関わって来た後輩たち、初優勝した時のメンバーも、その後に加入した若手、海外に行った選手や移籍して今は違うチームでプレーしている選手たちも送ってくれました。僕はいろんな人たちと会話をしてきたので、それが彼らのためになっていたのかなと思うとうれしいし、自分の後輩たちへの接し方が正しかったのかなと思えて、なんかすごくうれしかったです」

 小林は、プレーだけでなく、その姿勢や言動を通しても、多くの人たちに影響を与えてきた。

 2021年に加入した橘田健人に話を聞いた。

「(引退を)聞いた時は、寂しい気持ちと残り3か月あるので一緒に試合に出て、悠さんにアシストがしたいな。アシストができたらうれしいなと思いました。悠さんは常にゴールをするための準備をしているし、そのためにいろんな人に要求もしていて、いいパスを出したらほめてくれるから、自分のモチベーションも上がりました。それが、いつもうれしかったです。悠さんは、誰からも愛される人。引退会見は、家で観ていましたが、悠さんのいろんな想いもあり、決めたことだとわかったけど、天皇杯に優勝して送り出したいし、僕は、悠さんにアシストをしたいです」

 2022年に加入した佐々木旭は、こう話した。

「発表を聞いた時は、もちろん寂しいし、もっとやりたかったなという気持ちはありますけど、まだ3か月あるので、1点でも多く自分がアシストできたらいいなと思いました。悠さんは、小さい頃からフロンターレを観てきた自分にとっては、憧れだったし、たくさん点を取る姿も見てきた。実際にフロンターレに入って一緒にやれたことは、本当にいい思い出になるし、いい経験です。僕が初スタメンの鹿島アントラーズ戦、僕が左サイドバックで、悠さんが左サイドハーフだったんです。憧れの人と一緒にサッカーをやれてうれしかったし、あのデビュー戦で一緒に左サイドで出て勝てたことは忘れないです。悠さんがめっちゃ中に入っていくから、サイドバックとしてプレーしやすかったし、ずっと声をかけてくれました。僕、悠さんにアシストをしたことがないので、最後、1点でも多くアシストできたらな。みんながそう思ってるし、自分もそうだったらうれしい。僕も頑張ります」

 引退会見から2日後には、大島僚太に話を聞く機会があった。

「悠さんが、チームメイトの前で話をして、“ゴールを決めたい”と言った時に、僕は、『マジで決めるんだろうなぁ」って本当に思いました。なんだ、このギラギラ感は、というか、言葉を実行してきた人の重みなんだろうなって。悠さんは、いろんなところで発言をしたり、選手個人個人にも、チームにもしてきた人。11番を背負うと決めたのも自分にプレッシャーをかけたいと思っていたから、とこれまで話していましたし、いろんなことを跳ねのけて乗り越えてきた人ならではの魂みたいなものを届けてきた。悠さんの17年のうち、僕は16年、悠さんと一緒にプレーさせてもらってきました。他の人がどう感じていたかはわからないけど、僕にはゴールをするんだろうなとか、している絵が見えるというか、イメージができた。そういう言葉の力強さとか発言に対する責任とかもすごい感じました。

悠さんの引退については、現時点では、まだ想像ができないし、あと何点取れるのかなって思いながら見ている感じです。もちろん一緒にピッチに立ちたいと思うし、出た試合で悠さんに点を取ってほしい。というか、そんな風に思わなくても悠さんは取ってきてた人なので。僕は、この人に取らせようと思って取らせられるパサータイプではないからこそ、そこは平常心で。いつもどおりに“出せよ”って言われて、『はい』と答えつつ、勝手に悠さんが視界に入ってくると思うので(笑)。

会見で話していた京都戦(2023年5月3日)もそうです。あんなに人混みがあった中で、悠さんの動きだけが目に入って、悠さんだけがぼんやりと見えたことを今でも覚えています。だから悠さんはアシストのおかげだと言ってくれることがありますけど、自分は本当に出させられている感覚なんです。あの場面も、なんで悠さんだけが目に入ってくるのかは本当にわからないんですけど、僕は想像で出すってあんまりできないので、そこまで動きが目につくって、すごいなぁと思うし、あの動き出しは他の人にはないものなので。

3か月ありますけど、みんなの前で話していた“ゴールを決める”っていう言葉から自然と僕にイメージが出てきたように、きっとやってのけてくれるだろうな。そう思ってるからこそ、一緒に、天皇杯次第になっちゃいますけど、1月1日まで長くやってほしいなと思っています」

 引退会見が終わった後に、小林に聞いたことがあった。

──初めて終わりが決まった中で過ごす残りの期間、どんな時間にしたいですか?

「僕は今まで、元々手を抜いてやったことがなかったし、やることは今でも変わらない。しっかり準備をして、もしこれだけ準備をしててもケガをしてしまったらしょうがないやと思いたいですし、だからこそ早く来て準備をすることだったり、翌日のために早く寝るとか、当たり前のことですけど、しっかりやっていきたいと思います」

 

──小林悠さん自身が、“小林悠選手”に声をかけるとしたら、どんな言葉をかけたいですか?

「そうですね。“お前は、また決めると思うよ”って言うと思います(笑)。自分はそういう星の元に生まれているなと思うし、矛盾しているんですけど、自分を信じられなかったからやめるんですけど、今は逆に自分を信じているというか、残りの期間で決めるんじゃないかな。11番のユニフォームを高々と上げている姿が想像できるし、そうなれればいいなと思います。やっと練習全部に合流できたところなので、すぐにはできないですけど、やるんじゃないかな。自分はそういう男なんじゃないかなと思ってます」

 小林悠は、そういう選手なんだと改めて思い知らされる。

 今、この瞬間をストライカーとして一生懸命生きている。

 当たり前ではない今日を、大事にしている。

 私たちのヒーローは、そんなことをいつも思い出させてくれる存在だ。

 残りの時間は決まっているけれど、その時間がめいっぱい残されている未来であることを今は願っている。


【エピローグ】

  10月3日、この原稿を書き終えて、清々しい空の元、U等々力に向かった。

  そこで目にした光景や感じたことは、ずっと忘れないだろう。

 ゴールを決めて、ストライカーとして生きている小林悠がいた。

  感情が動き出し、頑張ろうというエネルギーに私たちの心も満たされていく。

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[こばやし・ゆう]

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相手の嫌がるポジションをとり続けながら抜け目なくフィニッシュにつなげるゴールハンター。対面するDFと駆け引きしながら一瞬でマークを外してゴール前に入り込む。経験に裏打ちされたさまざまなフィニッシュパターンを持つのも魅力。2017年のフロンターレ初タイトル獲得時にはJリーグ得点王とMVPにも輝いた。

2026年9月、2027年1月1日での引退を発表。プロキャリアの最後のその日まで、総ゴール数184を更新する気持ちは消えることはない。

1987年9月23日、東京都町田市生まれニックネーム:ユウ

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