テキスト/隠岐 麻里奈 写真:大堀 優(オフィシャル)
2025年8月31日。
J1第28節FC町田ゼルビア戦での試合後のフラッシュインタビューで、僕は話をしながら涙が出てきてしまいました。
U等々力には、妻とふたりの息子も観に来ていました。大切な家族の前で、2ゴールを決めて勝利に貢献することができました。
簡単ではない険しい道も乗り越えて人生を歩んできましたが、インタビューの最後にどんな時でも常に自分に力を与えてくれた神様に感謝の気持ちがあると言葉にしました。
あの時の涙は、今の自分が置かれている状況に対して、幸せな気持ちから流れたものでした。
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2024年に僕は、サンパウロFCからフロンターレに移籍加入しました。
最初に感じたことは、「とにかく寒すぎる!」ということでした(笑)。
ちなみに、夏の暑さに対しても「暑すぎる!」と感じていますが…。
サンパウロFCでは、あまりいいシーズンを過ごせておらず、珍しく筋肉系のケガをするなど、公私ともにうまくいかないこともありました。僕は元々サンパウロ州の田舎町出身で、もちろんサンパウロを応援してきたので、そのビッグクラブでプレーするチャンスが巡ってきたことは、うれしいことでした。だからこそ、もっとクラブの力になりたいと、もどかしい想いもありました。そういう難しい時間を過ごしていたなかで、フロンターレからオファーがあったので、決断は早かったです。いろんな意味で自分にとってリフレッシュできるのではないかと感じましたし、実際に、フロンターレで、また新しいサッカーと自分自身に出会えていることをうれしく思っています。

これまでの約2年で、とくに印象深いゴールは、ふたつあります。
ひとつは、初めての公式戦となったACL2023/24 2月13日山東泰山戦。3対2で勝利した試合で、その先制点を決めることができたこと。
もうひとつは、ACLE2024/25ファイナルズ準々決勝アルサッド戦での先制ゴール。
ACLEで決勝まで進出できたことや、準決勝でクリスティアーノ ロナウドと対戦できたことは、僕にとって意味がありましたし、チームとしてこの大会で優勝することを目指していました。
なぜなら、フロンターレにとってまだ成しえていない唯一のタイトルだったからです。
サンパウロFC時代、コパドブラジルの決勝でフラメンゴに勝利して優勝した経験があります。
それは、サンパウロにとって唯一獲ったことがなかった大会でした。
その時、選手、スタッフ、サポーター、クラブに関わる全ての人たちが大喜びする光景を見ました。
だから、フロンターレでそうした景色を、あの時みんなで観たかった──。


少し振り返ると、2024年のシーズンオフを終えてブラジルから日本に戻った時に、「昨年より必ずいい結果を残そう」ということを誓っていました。昨年以上にいろんなことに気を配ったり、自分に対する要求を高めて実行できるようになってきました。もちろん、まだ課題ややらなければいけないことはありますが、技術面やオフザボールの動き、プレスのかけ方など、ピッチ内でやれることも少しずつ増えてきたと感じています。
それ以外でも、睡眠の質にこだわるようになりました。昨年までは昼寝をすることはあまりなかったのですが、今年は取り入れたり、食事面も改善して、水分も1日6リットルぐらい摂るようにしています。また、睡眠や心拍数やストレスなどを計測するスマートリングとアプリを取り入れて、数値を可視化して活用しています。最初はトライアルの意味で使ってみましたが、続けることで体調面にもいい影響が感じられたので、睡眠時間をしっかり確保するためにも活用しています。
フィジカルトレーニングも、ウジソン(フィジオセラピスト)に協力してもらい、今年は多めに取り入れているので、ケガ予防も含めて、いいトレーニングができていると感じています。
その上で、僕がとても大事にしていることは、メンタルのコントロールです。
例えば、スマホを見過ぎるのはメンタル面によくないと言われているので気をつけています。具体的には、少なくとも朝起きてから最低15分、夜寝る前は最低30分は、見ないようにしています。最初はちょっと努力が必要でしたが、慣れてしまえば、スマホの存在を少し忘れるようになりました。いろんな情報を目にし過ぎるのもメンタルによくないと思いますし、他にやるべきことがあると考えるようにしています。メンタルに関する本を読むこともあります。
また、僕はブラジルにいた頃から、メンタルの専門家とコミュニケーションを取っています。僕は、あんまり感情を表に出す性格ではないですが、僕の人生のほとんどのことは、その方に話をしてきました。僕は、幼少期から裕福な環境ではなかったし、ほとんど父親の存在を感じずに育ってきました。今思えば、子どもの頃にあまりプレゼントをもらったこともなかったと思います。でも、だからといって、人生がうまくいかなかったわけではありません。
「自分には、こういうことが足りないから、こうなったんだ」という捉え方ではなく、いい方向に捉えることで、強くなれたのではないかと思います。
それは、ピッチの中でも同じことが言えると思います。
今、あなたは自分がやっていることに、何%で向き合っていますか?
この質問は、僕が今こうしてインタビューを受けていることに対してもそうだし、ピッチにいる時も、もしかしたら皆さんの学校や仕事においても同じ様に考えることができるかもしれません。
例えば、もしも僕が80%で向き合っていたら、残り20%の自分はどこにいるのでしょうか?
もしかしたら、どこかで家族が体調を崩していることや、自分が抱えている問題が気になりながら、質問に答えたり、プレーをしたりしていないだろうか?
もし、何か気になることがあったとしても、それは一旦ピッチの外に置いて、100%で向き合える状態にしてピッチに入ることが大事です。いい状態の時には、試合においても自然と笑顔が出たり、前向きな自分になれているし、深呼吸をするなどしてメンタル面を整えるように努力しています。
また、イエス・キリストの存在も、ずっと信じてきたし、感謝してきました。

僕は、自分の人生は“ミラクル”だと思っています。
自分でも、どうやって過去の人生を乗り越えてきたのか、そのすべてを話すことができないぐらいの人生を歩んできたんじゃないかと思います。そして、乗り越えられたのは神のおかげだと思っています。神が自分に与えてくれたものがたくさんあって、これからもきっとたくさんのことを与え続けてくれるだろうと思います。神の存在を信じていることもまた、メンタルを強くしてくれていると感じます。
だから、うまくいかないことも、ミスをすることもたくさんありましたが、繰り返しチャレンジすることができたのだろうと思います。
よく小さい頃のことを考えることがあります。そんな僕が、今はブラジルの家族やおばあちゃん、妻や子どもたちを支えることができるぐらいまで成長できました。大切な家族がいて、十分に広い家に住み、夢に見ていた車にも乗れて、いい人生を過ごせています。
毎日、母とは連絡を取っていますし、今でもブラジルにいる家族のサポートもしています。自分に与えらえたそうした責任を重く感じることもありますが、プロサッカー選手になり、宝物のような家族がいて、そのことは人生の価値だと感じています。
振り返ってみると、僕がサッカー選手になれるなんて、本当に奇跡の連続だったように感じます。

僕は、サンパウロ州の小さな田舎町で生まれ育ちました。僕が長男で、妹がふたり、その下に弟がふたりいて、僕が彼らの小さな父親代わりのような存在で、父親の存在を感じることはほとんどなく、長男として母や下の4人をサポートしながら生活していました。
お母さんは仕事をしていたので、食器を洗ったり、靴磨きをしたり、キッチンのコンロの掃除をしたりして手伝いを積極的にしていました。生活は厳しかったので、僕は髪を切るお金もなかったし、基本的に食事はごはんとフェジョン(ブラジルの豆料理)。たまにしかお肉は買えませんでした。
こうやってお話しすると、大変だっただろうと思われるかもしれないし、実際に困難だったことも多かったし、子どもの頃の自分には、いろんなものが足りていなかったかもしれません。でも、そういう生活のなかでも、お母さんが自分たちのために愛情を注いでくれました。携帯もまだみんなが使っていなかったし、今はゲームが大好きですけど、当時は持っていなかったから、できないことが当たり前でした。だから、よく考えてみると、悲しみよりも、家族と過ごしたり友だちと遊ぶ楽しさとか嬉しさの方が勝っていたと思います。
とはいえ、忙しかったのは確かで、午前中に学校に行き、午後は親戚の仕事の手伝いをすることもあったし、家事も手伝っていたので、夜遅く、22時ぐらいから自分のために走りに行くこともありました。時には、隣町まで行って走って帰ってくることもありました。周囲の人からは、変わっているという目で見られることもあったし、僕には所属しているクラブもなかったけど、僕は自分の夢のために走り続けました。
自宅前から見える場所に砂場のフットサル場があったので、家の窓からのぞいて誰かがフットサルをしていれば僕も参加したし、誰もいなくてもひとりでボールを蹴ることもありました。
14、15歳頃になり、僕は町のスクールのようなところに初めて所属して、僕が住んでいる町で大会が開かれました。その大会で、僕は4試合で11ゴールを決めて得点王になり、優勝しました。スパイクを買うことも難しかったので、左右違うメーカーのスパイクを履いてその大会に出たことを覚えています。体型も今とはまったく違って、ほっそりしていました。

17歳の頃、ミラクルが起きました。
サッカーが好きで練習を続けながらも、プロになるには遅いのかなと諦めかけていた頃です。代理人の人がテストを受ける話をもってきて、キンゼ デ ピラシカバに入ることになりました。
自分にとってよかったことは、午前中に練習参加し、午後にはパーソナルでトレーニングをつけてくれたことでした。17歳にして、実質初めてフォワードとしても選手としてもしっかりしたトレーニングをすることになりました。
すでに17歳だったので、最後のチャンスだと思いました。絶対にあきらめちゃいけないし、技術も何もかも他の人より遅れている自覚があったので、ほぼ毎日2部練習のような形でトレーニングして必死にやりました。とはいえ、初めて家族と離れることは自分にとって辛いことでした。
母は大切なことをいつも教えてくれる存在ですが、「サッカーをやるなら常に100%でやりなさい。試合で勝っても負けても最後まであきらめずにやれることをやり続けなさい」と言われてきました。
そして、18歳の時に、人生の大きな転機が一度に重なりました。
キンゼ デピラシカバに加入して2年目にプロ契約を結ぶことができたからです。
もうひとつは、父親になることが分かったからです。
前者は喜びが大きくて、後者は、嬉しさが大きい分、親になる責任が芽生えて不安もいっぱいありました。
そして、19歳の時に、長男が誕生しました。生まれた時、すごく幸せでしたしうれしかったです。いつかお父さんになりたいと思っていたので、予想していたよりは若くして父親になりましたが、息子からも人生でいろんなことを学んできたと思います。
サッカー選手としては、その後も移籍をした先で、給料が遅れることがあったり、出場機会を求めて移籍をするなどいろんな経験をしてきました。
その中でも自分にとっての大きな出来事は、2022年にボタフォゴに移籍が決まったことです。当時、それ以外のクラブからもオファーがある状況でしたが、自分にとって初めてのビッグクラブです。正直に言えば、給料面だけで言えばもっとよい条件を提示してくれたクラブもありましたが、オファーがあった時に即決しました。
そして、GDエストリル・プライア(ポルトガル)、サンパウロFCを経て、今に至ります。



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僕は、遠い先の未来を考えることは得意ではありません。
なぜなら、人は明日生きてるかどうかも分からないから。だから、本当に1日1日を生きています。今日という大事な1日を楽しまないといけないと考えています。
そういう僕が今、フロンターレで約2年を過ごし思うことは、チームメイトの特徴を理解して僕のことも知ってもらいプレーできていることは、とても有意義な時間です。フロンターレのことは、自分に幸せを与えてくれる“家”だと感じていますし、サポーターの方たちと一体感を持ってやれていると感じています。ブラジルでは移籍が頻繁で互いに信頼関係を築くことが時間的にも難しい面もあったので、スタッフやチームメイトからいろんなことを学びながら成長できていることも実感しています。
そういえば、僕がボタフォゴ時代からやっている闘牛パフォーマンス。
チームメイトたちが僕の後ろや横で一緒にやってくれることもうれしいです。
僕はあとから写真や映像で観ることになり、だいたいいつもマルシーニョ、サイ、アサヒ、ヤスト、ソウタがやってくれることが多いのですが、先日のマリノス戦(9月13日)では、けっこうな人数がやってくれていました(笑)。とくに、あの大人しいケントがやってくれていることに驚きとうれしさがありました。


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あの頃──。
自宅前のフットサル場で、ひとりで練習していた時。今のようなプロサッカー選手になれる未来が待っているとは到底想像できませんでした。
将来、自分がビッグプレイヤーになることをイメージして、練習していたことを思い出します。
「エリソンからロナウジーニョへパス、ロナウジーニョからロナウドへパスが通ってシュート!」
「左サイドのマルセロからセンタリングが上がって、エリソンがゴール!」
そんなことを脳内でイメージをしながら練習することもありました。
夜遅い時間にひとりで練習すると、疲れてしまって、ボールを枕にして星空を眺め、気づいたらそのまま寝てしまって、友だちが起こしてくれたこともありました。
もし、今の僕が、あの時のエリソン少年に声をかけるとしたら何て言うだろう。
あきらめるな。
今までの自分を変えずに、そのままの人間性でいなさい。
練習をたくさんしなさい。
常に自分ができることを精一杯やり切りなさい。
自分よりも経験を持っている年上の方たちの意見をよく聞きなさい。
周りの人たちに心を開いて親切に接しなさい。
自分だけじゃなく、周りの人たちの成功も願いなさい。
そんなことを伝えたいです。
今、エリソン少年に伝えた言葉は、実際にその後の人生で、僕が心掛けてきたことです。
ブラジルでは、自分自身の成功を願うことが大事だというマインドの人も多いように感じることもありますし、僕自身、まだ若いのにいろんなものを持っていて、運が良かったなと言われたこともありました。幼少期の僕を知ってる人は、今の僕の姿や状況がきっと信じられないと思います。
夢を叶えるためには、たくさんのいい準備が必要だし、自分ができることを精一杯やることで、自分に何かが返ってくる。もちろんその過程ではミスもたくさんしたし、うまくいかなかったこともあります。だけど、やり続けることで、目標に辿り着けるのではないかと僕は思います。
今、僕にはふたりの息子たちがいて、彼らは恵まれた生活を送れていますが、父親である僕はそのような環境ではなかったことも伝えていますし、不自由がない分、なおさらやり続けることが大事だということも教えています。
フロンターレで仲間たち、サポーターと一緒に目標に向かって時間を過ごし、大切な家族がいてくれることが今、本当に幸せです。



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追伸
ルヴァンカップ準決勝での敗退は、とても残念な気持ちでいっぱいでした。いい状態で準決勝第1戦まで進んでいたので、やはりタイトルを獲らなければいけない大会だったと思います。あのような結果になってしまったことは、サッカーでは起こり得ることではありますが、選手として責任を感じますし、しっかり受け止めないといけないと思います。ただ、もう起きてしまったことなので、同じような過ちを起こさないようにしなくてはならないし、とにかく残りの試合にフォーカスしてやっていかなければいけないと思います。
敗退が決まったその日は考えることが難しかったので、翌日に自分で整理をして、頭を切り替えて残り試合に挑戦するモチベーションを大事にしていきたいと考えました。
ファン、サポーターの皆さんに対しては、これまでとは違う表現にはなりますが、ルヴァンカップでタイトルを捧げることができなかったことは大変申し訳なく思っています。皆さんは、タイトルに値する人たちです。日頃から自分たちを後押ししてくれている大きな存在だからです。
これからもいい準備をして、目の前の試合に勝利し、ひとりひとりが成長し、チームとしてこの先につなげていくことで、皆さんにもっともっと喜んでいただきたいと思っています。





profile
[えりそん]
強烈な左足のシュートが最大の武器のストライカー。フィジカルとパワーを生かしてゴール前に入り込みフィニッシュに持ち込む。2024シーズンにサンパウロFC(ブラジル)から完全移籍で加入。得点後に披露する闘牛パフォーマンスでスタジアムを大いに盛り上げてもらいたい。
1999年4月13日、ブラジル サンパウロ州生まれニックネーム:El Touro(エル・トウロ)
