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FRONTALE DIARYフロンターレ日記

9/ 1 (木) 2022

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富士通スタジアム川崎のプロレスが熱い!!

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富士通スタジアム川崎スタッ

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2022年8月20日、21日の2日間、富士通スタジアム川崎が熱く燃えました。3年連続、富士通スタジアム川崎でプロレス開催。
2015年4月1日にスタートした、川崎フロンターレにとって初となる「指定管理業務」である「富士見公園南側、及び、富士通スタジアム川崎」の指定管理者としての日々が8年目(2期目の3年目)の夏を迎えています。「公園の賑わい」「稼働率向上」「利用者満足度」「アメリカンフットボールを活用したまちづくり」という川崎市が掲げるミッションをフロンターレならではの方法論で推し進め、アメリカンフットボールはもちろんのこと、サッカー、ラクロス、プロレス、ラグビー等、様々な競技大会や、スポーツに拘らない啓蒙系イベントを招致、開催し、多くの市民の皆様にご利用いただいてきました。

富士通スタジアム川崎が自ら主催するもの、川崎市と共催のもの、様々な団体や会社等が開催し、一緒にアイデアを練って実現させるもの、それぞれ背景や成り立ち、形態は異なりますが、根底にあるのは常に「市民の皆様に楽しんでいただきたい」「多くの市民の皆様に足を運んでいただきたい」という考えで8年間、全力で走って来ました。

そしてこの夏、富士通スタジアム川崎を代表する2つのイベントが行われました。
1つ目が8月20日。3年ぶりに「富士通スタジアム川崎 夏まつり」が戻ってきました。

3,000人を超える市民、区民の皆様にお集まりいただくことが出来ました。※詳しくは次回の富士通スタジアム川崎の「日記」にて。

そして、2つ目が8月21日のプロレス。3年連続3回目の佐藤光留選手による自主興行、「ニコプロpresents 佐藤光留自主興行 ファイト~闘う変態達の唄 富士通スタジアム川崎大会です。

両日ともに多くの来場者の皆様に富士通スタジアム川崎で楽しんで頂くことが出来ました。今回の「日記」では大会から10日以上が過ぎた今も尚、各種SNSで盛り上がり続けている佐藤光留自主興行についてレポートします。これまで何度もお伝えして来た通り、ここ「富士通スタジアム川崎」はかつて「川崎球場」として、1952年から1991年まで約2,500ものプロ野球の試合が開催された日本スポーツ史上の歴史的遺産と言える場所ですが、実はプロレスの聖地とも呼べる場所でした。「屋外」でのプロレスの歴史に関しては、以前も「日記」で触れていますが、この歴史を語らないと、佐藤光留選手による自主興行の価値が伝わらないので、改めて書きます。

1950年代から60年代にかけて、いわゆる「戦後の昭和」には球場やスタジアムなどの大型屋外施設でプロレスやボクシング等の大規模な興業が盛んに行われていた時代がありました。それは川崎球場(1951年設立)も例外ではなく、力道山が率いる「日本プロレス」が1955年9月を皮切りに、ほぼ毎年興行を開催し観衆を熱狂の渦に巻き込んでいました。中でも1957年9/25、豪雨の中での力道山とボボブラジルとの一戦は今でも伝説として語り継がれています。1964年に力道山が亡くなった後も「日本プロレス」は1971年まで川崎球場で大規模な興行を行い、所属選手だったアントニオ猪木さんやジャイアント馬場さんも(2人とも1960年のデビュー)毎年のように出場していました。

屋外興行は1970年前後から減少の一途を辿り、興業の拠点が体育館等のインドア施設にシフトしていきましたが、時を経た1990年代に突如現れたのが大仁田厚さんでした。1991年9月23日、川崎球場で初めて興行を行い、電流爆破デスマッチのセンセーションはプロレス界以外にも波及し一躍時の人となりました。その後も5月5日を中心に大規模興行を続けたことで川崎球場は、いつしかプロレスの「聖地」と呼ばれるようになりました。1994年5月5日のメインイベントでは5万人を超す観衆の中で「大仁田厚対天龍源一郎」が行われ、続く1995年5/5の「大仁田厚メモリアル引退ツアー」でも58,250人の川崎球場の歴代最多観客動員を記録しました。そして2020年、佐藤光留選手による「プロレスラー佐藤光留デビュー20周年記念大会」で実に23年ぶりにプロレスがこの場所に帰ってきました。

元々は感染防止対策の観点から「屋外」を探していた佐藤光留選手が富士通スタジアム川崎を「発見」したのが始まりですが、今はすっかり富士通スタジアム川崎が気に入ってしまったようで、今年で3年連続の開催となりました。その興行スタイルは、広いフィールドにイスは置かずにフリースペースにして、観客の皆様は広いフィールド内の思い思いの場所に座って観戦する、というもの。観客はテントや日除けのシェードを持参して設置するなど、昭和とはまた違ったスタイルでの「屋外プロレス」が定着しているようです。

2年連続出場となったレジェンド、鈴木みのる選手も「ここでやるプロレスが好きだ」とおっしゃっているそうで、富士通スタジアム川崎がすっかりお気に入りのようです。ご自身の出場時間よりずいぶん早く会場入りして、人工芝に寝転んだり、ストレッチをしたり。それをすぐ近くで見ている観客も静かに見守っています。また選手達も観客と同じキッチンカーの列に並んだり。会場中にアットホームな空気が漂っています。

今回の興行には鈴木みのる選手(パンクラスミッション)、元WWEのヨシタツ選手(全日本プロレス)、佐野直選手(フリー)、関根シュレック秀樹選手(ボンサイ柔術)、米山香織選手(YMZ)、優宇選手(プロレスリングEVE)、プリティ太田選手(フリー)、等、ここに書ききれないほど、日本中のたくさんの団体から、様々なスタイルの人気と実力を兼ね揃えたプロレスラー達が川崎に集まりました。佐藤選手の交友関係の広さと人徳のなせる業です。

中でもこの日一番会場を盛り上げた、いや、震え上がらせたのは、映画の登場人物をモチーフにしたレスラー「レザーフェイス」で間違いありません。映画と同じマスクでチェーンソーの爆音を響かせながらフィールドの観客の中に猛ダッシュで登場したときには、逃げ出す観客や泣き出す子どももいたほどです。そんな状況下でリングの上では富士通スタジアム川崎と佐藤光留さんとの共催である「キッズ向けプロレス体験会」が整然と行われており、その様はカオスというべきかシュールというべきか。佐藤光留自主興行の真骨頂といえる場面でした。

「キッズ向けプロレス体験会」は佐藤光留選手が自らコーチ役を務め、小学生を中心とした6名の参加者(本当は10名参加予定でしたがレザーフェイスの恐ろしさに4名が直前に参加辞退)に厳しくも優しいトレーニングを伝授していました。ジャンピングスクワットのカウントでは、観客やリング外のレスラー達が一緒に声を出し場内が一つになった素晴らしい瞬間を見ることが出来ました。※その時も観客席ではレザーフェイスが暴れていました。

この日15時に始まった興業ですが、クライマックスは14試合目の19時、最後のメインイベントで訪れました。天龍源一郎さん(天龍プロジェクト)の登場です。天龍さんが、前述の1994年5月5日のメインイベント以来、立会人として川崎の地に立ったのです。「サンダーストーム」が大音量で鳴り響く中、川崎フロンターレのオフィシャルパートナーである「横浜トヨペット株式会社」様よりお貸しいただいた「レクサス」に乗り、颯爽と登場しました‼川崎球場時代から力道山をはじめ、数々の伝説的場面を照らし続けた照明塔(今年度で撤去予定)の光に照らされながら入場する姿は神々しくもありました。往年のファンはもちろん、新しい世代の心にも響いたのではないでしょうか。天龍さんは試合後にこうおっしゃっていました。「やっぱり屋外のプロレスは良いね。川崎の照明塔は良いね。あの頃を思い出すよ。」その眼にはいつの時代のどんな景色が映っていたのでしょうか。

これで終わりかと思ったメインイベントの後に、実はまだ試合が残っていたのです。開会の挨拶よりも前、まだ観客が入場中の14時に始まったダークマッチ(※本当の第1試合)のロッキー川村2(パンクラスイズム横浜)と立花誠吾(フリー)の試合です。佐藤光留選手が開会の挨拶をしているリング上で挨拶を無視して戦い、キッズプロレス体験会の最中も戦い、そして観客席、コンコース、階段、売店、会議室の裏でも戦い続けました。いつ、どこで戦っているのか誰も分からない。予測不能な時間が流れていましたが、最後の最後、佐藤光留選手が締めの挨拶の途中で「ダークマッチが続いている」ことを思い出し、2人を改めてリング上に呼び寄せました。そして試合再開の瞬間‼無情にも消灯の時間となり場内が真っ暗になってしまいました。観客も退場し、2人はファイティングポーズのままリング上に残されたのでした。今大会のMVPはこの2人かもしれません。富士通スタジアム川崎での興行が三度目となり、何度も視察に訪れ、富士通スタジアム川崎の裏の裏まで知り尽くした佐藤光留さん、そしてロッキー川村2さんのお二人ならではの壮大な展開(オチ)となりました。

その他にも魅力的な試合がたくさんありました。セミファイナルの異種格闘技戦、鈴木みのる選手対優宇選手(関根シュレック秀樹選手達が「畳」を運び、その上に優宇選手が一本を狙うも最後は鈴木みのる選手がゴッチ式パイルドライバーで勝利)や、長渕剛が好きな選手達による対戦。元WWEのヨシタツ選手(全日本プロレス)とプリティ太田選手のタッグ、等々。

多様性?ごった煮?とにかく見に来てください。食わず嫌いは勿体ないです。富士通スタジアム川崎でのプロレス、佐藤光留自主興行を一度見に来てください。そこにはプロレスという言葉では収まりきらない不思議な魅力的な世界が広がっています。選手の名前を知らないなんて関係ない。きっと、あなただけの楽しみ方が見つかるはずです。

来年の夏も必ずやります。是非、ご来場ください。

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